20・21
(20)
この日、いつもなら来る時間にこないエメラルダを、訝る。
(おかしい。普段ならもう来ているはずなのに……)
トワカは心配になって、エメラルダの家に行く。すると、エメラルダはいた。父の死体の前で座っていた。
「エメラルダ……いったい何があったというのじゃ」
「トワカ師匠。父は死にました」
この日を境にエメラルダはトワカの家を訪れることはなかった……。
(21)
ひとりの弟子として娘としてやはりこのままにはできない。―1週間後、トワカは再びエメラルダの家を訪れる。
弟子エメラルダは見違えるような顔つきでトワカに対した。それを見てトワカは、「おお。ようやく立ち直ってくれたか」と、このとき安易に考えていた。
トワカの訪問を認めると、エメラルダは勢いよくトワカの前にきてトワカが何か言うのを待たず、開口一番 喋りだした。
「これを見てください。私の父の財産です」
「これは……」
―『闇植物図鑑』とあった。トワカは弟子が満面の笑みで差し出すその本を、訝りながら、手に取り、1ページ1ページ目を通していく。
そこにはおぞましい種類の植物があった。人間の臓器を食べる植物。人間の寿命を延ばす植物。人間の精神を破壊する植物……どれもこれも決して人の世には出してはならない、いや存在そのものを認知させてはいけないものばかりであった。
「いったいどういうことじゃ?エメラルダ」
「父の遺品です。父は植物博士でした。どうです。トワカ師匠。これがあれば、cookとしての地位を向上することができます。人間の可能性を高めることができます。そのためにはあなたの薬膳図鑑が必要なのです。私に伝承してください。きっと世の中のために役立ててみせます」
エメラルダは真っ直ぐな瞳でトワカを見てくる。迷いがない。ここで止めねば、一生 道を踏み外していくであろう。トワカは覚悟を決めた。「意地でも止める」と。
「ならん。人には必ず老いがある。寿命がある。人道がある。自然界の掟がある。それらに逆らってまで手にする地位や名誉にいったい何の価値があるというのじゃ。エメラルダ。お前cookとしての尊厳や誇りはどこにいってしまったのじゃ」
「そんなものとっくにありません。そんなものあったところで父は救えませんでしたから。これからの料理界で必要なものは、確実です。可能性ではありません。人は、何パーセントの確率よりも100パーセントの安心を求めているのです。トワカ師匠」
「なんじゃ。申してみい」
「あなたの薬膳料理は、完全ではありません」
トワカはエメラルダの頬を平手で思いっきり引っぱたいた。エメラルダは叩かれた頬を押さえ、紅潮した顔でトワカを睨み付ける。
「そうか。エメラルダよ。本当にそう思うのじゃな」
トワカも弟子の顔を睨み付けた。今までともに過ごした修行の日々が一瞬 脳裏に浮かんだ。それはなんだか遠い昔のように思えた。過ぎ去りし青春のようにも感じた。
「答えよエメラルダよ」
「はい。だから私の手で完全なるものとしてさしあげる、と申しておるのです。悪い話でないでしょうに」
エメラルダの必死で訴えてくる目は何も変わらない。いったい何が彼女をここまで変えてしまったというのか。その答えはわかっている。父の死だ。それが彼女を変え、道を踏み外してしまった。それがわかっているから何としても止めたい。もしここで「薬膳図鑑」を手にしてしまったら、誰も彼女を止めることはできないだろう。
「ならん。何度言われても同じことじゃ」
それを聞いて、エメラルダの目から血の気がなくなった。それは、もうトワカのことを師匠としてみない、といっているに等しい。
「わかりました。もう頼みません。すでに私の頭の中にはあなたから教わった、『中品』・『下品』があります。それだけで私にはもう充分です。『上品』などなくとも、私の父の植物図鑑は完成します」
「まて。エメラルダ。早まるな。人道を反するのではない」
見たこともない悪意に満ちた顔でエメラルダは笑った。悪魔に見えた。
「さようなら。トワカ殿」
「もはやもう何を言っても手遅れなのか……エメラルダ……無念じゃ」
トワカの目の写る先が回顧から目の前のプローリアたちに変わった。
「あのようなエメラルダの顔をわしは見たことがなかった。わしは弟子の不行を黙って見過ごすしかなかった。そしてわしは隠居し、弟子をとることをやめた」
「そうだったんですか」
プローリアが代表して言った。皆それぞれ言いたいこと、気持ちは同じように感じた。
「エメラルダは、薬膳の師であるこのわしのことを恨んでおるはずじゃ。そして父を救えなかった薬膳料理を。……だがのう、プローリア」
「はい」
「エメラルダの父は、病に倒れたのではない。魂を悪魔に売ってしまったのじゃ。薬膳では病は治せても心に巣食うてしもうた腫瘍は取り除くことはできない。エメラルダは父が道を踏み間違えたことと薬膳料理で治せなかったこととをはきちがえておる」
「はい」
「あやつの魂は腐っておる。料理とは作り手の魂がこもって初めて良き料理となりうるのじゃ。それは、愛情であったりやさしさであったり、その作り手によって変わる特性じゃ」
「はい」
「エメラルダは、cookとしての誇りを失ってしまったのじゃ」
「はい」
「見失うなよ。プローリア。cookとしての誇りを。食べてくれる人がおって初めてcookは生きるのじゃ」
「はい」




