母が教えてくれたこと
(1)
にっちもさっちもいかなくなった。こういうときはお風呂に入ってゆっくり寝るにかぎります。これ、私の格言なんです。
ベッドに入り、ロケットを開けて写真を眺める。そしてそっと、指で母の顔をなぞる。「おかあさん」。言葉にした。そうすることで悲しくなることがわかっているのに言葉にしてしまった。
「おかあさん」
今度ははっきり言った。誰かが側にいればわかってしまうくらいはっきりと。言ってなぞっていた指の爪がかりっと写真をえぐった。そしてめくれてしまった。後悔して、入れなおそうと写真を一旦取り外した。ふと、写真の裏側を見たら、
「オルゴール」
と書いてあった。?!おかあさんの字だ。私は飛び起きた。そして、母の形見のオルゴールを手にする。それは母が装身具を入れていた木箱だった。
箱を開ける。でも音楽が流れない。壊れていた。年月とは非情だ。情け容赦なく降りかかる。私はその日、思うように眠りにつくことができなかった。
(2)
「無理だわ。完全にイカレてるわ」
「そんな……」
私は懲りずに食らいつく。
「なんとかなるでしょ。オルゴールごと交換するとか」
「無理いいなさんな、お嬢さん。この型番は年代物だよ。すでに製造中止になってる」
「…そ、そうなんですか……」
私が半泣きになっていると、それを見て店主が口を挟んだ。
「訳ありかい?どうだい。よかったらこの老いぼれに話してごらん」
「実は、……」
※
※
※
※
※
「そうかい。事情はよーくわかった」
老店主は顔に似合わずやさしかった。
「わしもこの道25年。このオルゴールを直すことはおろか、交換もできないが、何の曲だったかくらいは、調べられる」
「本当ですか?」
「ああ。でも条件がある」
と、言って私の体を一瞥する。体に悪寒がはしった。
(あー、そうですか。ダルスといい、この老いぼれじじいといい、なんなんですのっ!もうっ男って最低っ!!)
「料理を作ってくれないかい。女房に先立たれてからというもの、ろくなもん口にしとらん」
前言撤回します。ごめんなさい。あっ、そういえばダルスもだった。一応あやまっとくわ。ごめんねダルス。
「は、はい。お安い御用ですわ」
老店主がオルゴールを分解しているあいだ、私は台所を拝借して料理を作る。
1時間30分後。
「わかったわい」「できたわい」
……なーんて同時なわけがない。言葉節もねっ(笑)。
老店主は、「ハインズ」といった。昔はオルゴールばかり扱っていた店も時代の流れとともに、主流は時計へと移行していったらしい。今ではオルゴールのスペースは2割に満たない。
「まずはメシを食ってからじゃ」
私が作った、「ミルフィーユチーズカツ」、「きのこサラダ」、「ポタージュスープ」、「ビーンズとカボチャのボイル」を市販のパンと一緒においしそうにほおばる。作った甲斐がありましたわ。
「ふー。ひさしぶりじゃわい。さて、と」
食後の紅茶を飲みながら、ハインズは喋りだす。
「先程のオルゴールじゃが、あれは『エリマエル』じゃ」
「誰?曲名?」
「そうじゃろうな。無名の作曲家が作り上げた曲でな。自費でオルゴールを作ったのじゃろう。10個と聞いたことがある。これはその内の一つじゃ」
「ほれ、自作でオルゴールを作ってみた。流すゾイ」
ハインズがネジを回した。そこからメロディーが流れ出す。
「こ、これは」
私は思い出す。
「プローリア」
母の背中が見える。振り向いて私を見る。机の上の木箱から音楽が流れる。
「プローリア。この曲はママがとても好きな曲なの。もしあなたが、この曲をピアノで演奏するようなことがあれば、そのときは、ママの書棚から、楽譜を使っていいわ。それ以外は勝手にいじっちゃダメ。いい?わかったわね?」
「はい。おかあさん」
私は気付けば涙していた。
「大丈夫かい。お嬢ちゃん」
「はい」
そうして母は、木箱を閉じた。




