0話 賢人会議
国王が崩御した。その情報は瞬く間に王国内に拡散され、都が、街が、村が、リュミエーヴェル国民の皆が、悲しみに包まれた。
なぜこうも突然なのか。事故か? 病か? まさか、また……。国民の多くは五年前に起こった同様の悲劇を思い浮かべたことだろう。
ならば、国王を継ぐものは……。
新星暦991年
混乱を極める状況に陥っている王都ヴェルドゥールにて、各地から主要な人物を召集しての賢人会議が開かれることとなった。
王宮内のとある会議室には、既に四名の人物が集っている。
「賢人会議か……五年ぶりにはなるが、このような事態をみすみす許してしまうとは……」
リュミエーヴェル王国騎士団副総長スフィオ。
今回は急な会議という状況であり召集には間に合わなかった騎士団総長の代理として来ている彼女は、己の未熟さを悔やみきれないと、艶のある赤銅色の髪で顔に影を落としている。
「やはり総長は不在かスフィオ副長。心労、察するよ」
リュミエーヴェル王国魔導庁副総官カルリトス。
彼もスフィオと同じく魔導庁総官の代理としてこの場に出席している立場ということもあってか、若い身でありながら総長の代理を任されている彼女に労いの言葉をかけた。しかし、王国に混乱を招いた元凶をこの賢人会議で突き止めるつもりである彼は、感情を浮かべまいと努め、モノクルを妖しく光らせている。
「カルリトス殿。そちらも、まだ見つかっていないようだな」
「ああ。総官がふらっといなくなるのは常ではあるが、今回ばかりは私にもわからん……」
日常から常人には理解しえない言動を繰り返し、覗きでもしているとしか思えない程に神出鬼没で現れる魔導庁総官は『変人』の名を欲しいままにしている。だが、そんな変人は永らく国王の右腕としても活躍しており、国内外にその名を轟かせる魔術を極めし者でもあるのだ。
そんな総官が国王が崩御したと同時に姿を眩ませている。
ある派閥からは、まさか、と疑いの声を上げる貴族も少なくはない。国王派として、他派閥の貴族に付け入る隙を与えるなど長官らしくない行動なのだ。
敵の策に掛けられたのか、あるいは、何か突拍子もない考えがあるのか。会議を欠席するのも日常茶飯事であった総官に、最も振り回され易い立場にあるカルリトスでさえ事の真偽は掴めないでいた。
「して、総官と共に国の双璧を成す騎士団総長への報告は滞りないのだろうな、ベルンハルト」
「我が領地フェアテシルトには幾らでも伝手はある。たとえ王宮の人物であろうとも、全ての足を防ぐ術はないはずだ」
第三領地フェアテシルト領主ベルンハルト。
かつて王国騎士団に所属していたこともあり総長とは旧知の仲でもある彼は、平民の出でありながら数々の功績を挙げて上級貴族の地位を手に入れ、地方自治の要であるフェアテシルトの領主となった逸材である。
立場上、国内の隅々にまで至る様々な情報を手に入れられるベルンハルトは、国王の崩御をいち早く察知し、地方へと出向いている総長へも多くの馬をそれぞれ別ルートで走らせて報告に向かわせていた。念には念を入れての手段であったが、ベルンハルトの読みが正しければ総長への妨害工作は確実に行われているだろう。それは、現在この場に集う者たちも思い至っていないはずがない。
魔導庁総官が所在不明であり、騎士団総長に対しての足止め。国王の側近であり、国内にも多大な影響力を持っている二人が共に賢人会議に出席できないのだ。これに作為を感じない者など、この場に集っている国王派の面々にはいなかった。
「実際、賢人会議が開かれる日取りには総長が間に合わないようにとの意図が見え透いている。そこのところはどうなのだプラトン。各国の監視として派遣されている六星教会の導師であるあなたであれば、何か掴んでいるのではないのか?」
「監視ではなく、世界の秩序とバランスを守るために教会から使わされているんですよ」
六星教会導師プラトンは監視という表現が的を射ていると自覚していながらも、教会のメンツを保つためにすぐさま訂正していく。教会の人間でありながらも国の中枢に深く関われているのは、プラトンの人となりを信用されている証であり、その信用に答えるためにも教会の威厳を汚すわけにはいかないのだ。
プラトンの役目はあくまでも、各国が教会の目から隠れて禁忌の技術を蘇らせたり、悪さをしないようにと見守ること。それを見つけ次第、教会へと報告がなされ、それなりの制裁が加えられたり、時には国が滅ぶこともあるだろうが、決して監視とかいう程ではない。
「監視であってるじゃないか」
「だから……もういいです。で、お話についてですが、導師として手に入れた情報を流すのは、あまり褒められたことではありませんが、皆さんが考えていらっしゃる通り、総長や総官のみならず、一部の人物へ向けての妨害工作は行われています。……それを指示したのもお察しの通り――」
各国に二名ずつ派遣されている六星教会の導師であるプラトンによる証言が終わる頃合いを見計らったかのように、会議室の豪奢な装飾が施された扉が大きな音を立てて開かれた。
厳粛な場であることを弁えない振る舞いをして現れた者は、ぞろぞろと取り巻きを左右に従えてニヤリと口角を上げる。
「主役の入場を前に勢揃いしているとは、殊勝な心がけだな」
空気を裂くように登場したのは、第二領地プルバルムの領主キッソバークだ。ベルンハルトと同じく、大領地の領主として正式に召集された人物である。
丁度話題に上がっていた人物の登場に、苦虫を噛み潰したような表情を取る四人。賢人会議という選ばれた者にしか立ち入れない場に、わざわざ大勢の取り巻きを見せつけにきたところを見ると、これから始まる会議の流れは完全に仕組まれていると理解できるもの。異を唱える者には武力行使を辞さないと語っているのだ。
そして、第二領地の座に甘んじていたキッソバークがそのような暴挙に出られるということは、後ろ盾を得たということ。
第二領地の領主でありながら、騎士団総長と魔導庁総官の代理すら黙らせることのできる強力な後ろ盾を。
「王弟、シュルヴェステル殿下のお越しだ。控えよ!」
脇へと退いたキッソバークに導かれて入室してきた人物は、ゆったりとした漆黒の袖を揺らして立ち止まると、その圧倒的な権力を感じさせる厳格な眼でその場に集う面々を射抜いた。
「この場に集う者は国民の上に立つことが許された選ばれし者たちである。ならば己の地位を自覚し、見合う振る舞いをせよ」
王弟シュルヴェステル。王族の立場でありながら、五年前の騒動の主犯と目されている男である。此度の国王の崩御にも裏があると見て間違いない。
しかしそれでも王族は王族なのだ。再び歩み出したシュルヴェステルが、彼の視線に気圧されて甲斐甲斐しく頭を下げる一同の間を縫って、会議室最奥に位置された王族の椅子に腰掛けると、続いて四人が席に着き、プルバルム騎士団が退室。最後に導師の二人がシュルヴェステルの背後に控えることで、総勢七名、賢人会議に召集された全ての人物が揃った。
「ではこれより、リュミエーヴェル王国賢人会議を開催する」
シュルヴェステルに連れられる形で室内に入ってきたもうひとりの導師、アポストルの宣言によって賢人会議は開催される。議題は当然、崩御した国王の座を継ぐ者についてだ。
現在、会議室の外では騒ぎを嗅ぎつけ王宮へと押し寄せた前国王派の貴族、王弟派の貴族のそれぞれが事の成り行きを見守っていた。
会議の流れによっては第一派閥である前国王派の貴族が抑え込まれ、王弟派の台頭を許す結果となるかもしれない。そうなれば国内の混乱は必至。お家取り壊しになる可能性のある、中・小貴族はどちらに付くのが賢明かを見定める必要があってか、各貴族間で情報のやり取りが加速し、この機会に名をあげようと画策する者、自領が有利に働くように根回しを始める者、かねてから中立を保っていた領地でさえ、これから受ける影響に備えることに必死だった。
「新国王となる権利を持つ者はシュルヴェステル殿下しかいらっしゃらない。既に決定ではないか」
先だけが緑色に染められた金髪を撫でつけるキッソバークは、早く帰りたいのか退屈そうに呟いた。
「私には殿下から申し使った仕事がある。早く議決してくれ」
「いや、王位継承権を持つ者はひとりではない。フィリア王女殿下がいらっしゃるだろう」
あんまりなキッソバークの物言いに鋭く切り込んだカルリトスの言うフィリア王女とは、前国王の血を引いた唯一の子供だ。前王は五年前に失われた王妃以外を迎えようとはしなかったために、フィリア王女以外に子を授かることはなく、王位継承権の第一位はフィリア王女で、シュルヴェステルの継承権は第二位となっている。
「五年前の罪で地方へと追いやられたシュルヴェステル殿下は、そもそも継承権は剥奪されているに等しい。未だに王族を名乗ってこの場に現れているのも許されざる行為だ」
「そのような噂程度の話を五年間も信じているとは、正気を疑う発言だな。証拠は何ひとつとして上げることも出来ずに、グダグダと難癖を付けて……。正式に王族のおひとりである王弟殿下への反意と見做して、即刻処罰するべきではないか?」
ククク。と実際に相応の武力を見せつけていたキッソバークの言に対して、次に口を開こうとする者はいない。
「では、新国王はシュルヴェステル様で決定ですな。以上を持って――」
「待て、アポストル! なぜそうも性急に事を進めようとするのだ! ……まるで総長と総官が不在の間に終えたいと言っているようではないか。そうなのだろう? わたしは賢人会議にフィリア殿下を招くべきだと主張させてもらう」
総長が不在となった場合に備えてあらかじめ用意しておいたスフィオの主張に、今度は王弟派の面々が虚を突かれた形となった。
だが、そんな反論もある程度は予想済み。だてに事前から舞台を用意していた王弟派ではなかったようだ。
「フィリア殿下は成人すらしていない。更に付け加えるならば、あの姫様は我が儘放題の生活を送って、側近を毎日振り回しているではないか。貴様等にも、思い当たる節はあるだろう。あれには無理だ」
……確かに、反論の余地はない。
「だが、国王を亡くしてからの殿下は人が変わったように努力なさって――」
「努力が何だ! 結果が全てではないか! 貴様等は勘違いしているのかもしれんが、これは前国王派への宣告に過ぎない。新国王がシュルヴェステル殿下であることは決定事項なのだ。貴様等に拒否権などない!」
騎士団総長と魔導庁総官の代理でしかない二人も、これにはさすがに異を唱える決断に踏み切れないでいる。自分の発言ひとつで国内が二分し、内戦に至ってしまうとなれば、その責任を代理の分際に背負いきれるものではなかったのだ。
そう。故に総官が不在の時期に、総長の出席を阻止した状況で、賢人会議が開かれていた。
これはキッソバークの言うとおり決定事項。最初から、いや、事前からシュルヴェステルが国王となれるように仕組まれていたのだろう。
五年前に続いて王国に再び悲劇を齎したのだ。そして今回はついに国王の座をみすみす奪われてしまうというのか。
五年前に謎の集団に襲撃を受けた王宮。当時その場にいた多くの騎士と魔導官が犠牲となり、王妃と総長夫人とその長子が失われた。
証拠はない。だが、当時の状況が全てを物語っていた。あるいは、一部の噂通りに導師アポストルが裏で糸を引いていたのかもしれない。
そして、今回は国王が――
「シュルヴェステエエェェェル!!!」
暗い静寂に包まれていた会議室に、ひとりの男が重厚な扉をぶち破って怒鳴り込んできた。
憤怒の形相、修羅の如き立ち姿で室内を睥睨した男はシュルヴェステルを視線に捉えると、無精髭の目立つ口元から唾を飛ばして憤然と歩みいる。
「我が妻と息子に続いて陛下まで……! 血の繋がった弟だからとの陛下の恩情に仇なした貴様の行為!! 陛下に代わってこの場で引導を渡す!!」
腰から幅の広い剣を甲高く抜き放った男、この場に現れるはずのなかった男、騎士団総長ゴットハルトは、威圧を受けて硬直している一同及び、腰が抜けて椅子から崩れ落ちているキッソバークの目の前、大きな楕円を描く卓を飛び越えて、愛する家族と心の支えとなってくれていた前国王の仇へと、裁きの一太刀を振り下ろす。だが――
「【マレート・メルドルマ(海に沈めよ)】!」
宙を舞う総長の体が突如として水球に包み込まれてしまった。速度を奪い去られ、軸足が宙に浮いた状態では身動きも取れない。
それでも男の錆色の眼から怒りの炎が衰えることはなく、水の流れに逆らって剣筋を滑らせていた総長だが、ついに加速度的に上昇していく水球の圧力に耐えきれなくなって体内の酸素が絞り出されてしまう。
「止めてください導師アポストル! このままでは総長が……!」
威圧が抑えられたことによって硬直から解放されたスフィオが魔法を行使する者、アポストルへ向けて立ち上がったが、仮にも中立の立場であらなくてはならない導師は淡々とした反論を返す。
「あなたの目は節穴ですか? どのように見ても、彼の行いは国王への反逆行為です。王族の、いえ、賢者の血を絶やすわけにはいかない六星教会として、見過ごすことなど出来はしませんでしょうに」
さも当然の行為だと語る彼の眼は無感情で、王族以外の命には価値がないと語っているようだった。
「アポストル、お止めなさい。このような形で王国の一角を担う総長が失われたとあれば、各貴族からの暴動が起こります。そうなれば国としての機能は崩壊。かの脅威が迫っているというのに、教皇猊下がお認めになるとお思いですか? ……神殿騎士団が動くことになりますよ」
手を緩めずに油断なく総長を見上げているアポストルに対して次に働きかけたのは、同じく六星教会の導師であるプラトンだ。神殿騎士団との発言を耳にしたアポストルは、面白くなさそうな顔をした後に総長の首へと小杖を添えると、彼を解放した。
「これ以上不要な真似をすれば、あなたの首から上が消し去ります。よろしいですね?」
「私は首が無くなろうとも、そこの愚者を葬るまではこの身を止めるつもりは無い」
膠着状態だ。その眼を見れば、総長が屍となってもシュルヴェステルを追い続けるのではと錯覚してしまう。
騎士団総長でありながら、第一領地エクエサルム領主の兄でもある彼を止められる者はこの場には存在しない。相手が国王を詐称する王弟であろうが、六星教会の導師であろうが、彼は止まらない。
ならば、誰ならば彼の嘆きを受け入れられるのか。顔を濡らしながらも決して俯くことのない男を、誰が止められるというのか。
結果を悟り、彼の勇姿を見届けるしかできない四人は、せめて俯くのは許さないと唇を噛みしめている。
と、その時、天使の慈愛が込められた声が、室内をピンと張り詰めさせた。
「待ちなさいゴットハルト。シュルヴェステル陛下に対する無礼は、わたしが許しません。こんなこと、お父様――前国王は望んでいないわ」
力強く語りかけられたゴットハルトは己の耳を疑い、眼を見開いて、壊された扉の前に立つその天使へと振り返る。
「フィリア殿下……!」
王を継ぐ資格を持った王女のその口が、シュルヴェステルを陛下と呼んだ。
「では、シュルヴェステル様が国王になられることをお認めくださるのですな?」
「ええ。わたしは叔父様――あなたが国民を導く覚悟に満ち溢れていらっしゃるのなら、それでも構わない」
母が失われてから五年。そして、父が失われてからは数日しか経過していないなかで、目元を腫らしながらもその蒼玉のような瞳は確固たる強い意思を宿し、爛々と輝いている。
「よかろう。リュミエーヴェル国民に対して正しく導くことを、星の創造主である六人の賢者に誓う。……ならば、王女の身であるそなたにも、相応の助力を願いたい」
「もちろんよ」
「では後程、部下のウンベルトと副団長ルイトポルトに書類を届けさせよう。国王である我に代わり、存分に執務に励むがよい。……賢人会議は終わりだ。我は重要な計画の進行に当たらねばならぬでな。ゆくぞ、アポストル」
「は。全てはシュルヴェステル国王陛下のご意志のままに」