バレンタインデーなんて縁が無いに限る(黒芭談)
完全番外編ですが、せっかくのバレンタインデーなので(ノ´∀`*)
2月14日……、世間的に、恐らく日本で一番チョコレートが売れる日だが、俺こと無常 黒芭にとって、この日はずっと『女子から弟宛のチョコを押し付けられる日』であった。
なので、無事双子の弟とは別々の高校に進学した今となっては、本当に平和。寧ろ、周りの意識がバレンタインと言うイベントに逸れていてくれるお陰で、普段より落ち着いて過ごせる1日……の、筈だった。去年までは。
「黒芭みーっけ!!!」
やっぱり来やがったか……。
盛大に鉄製の扉を開く音と共に、屋上の定位置で横になっていた俺の身体に忠犬が如く飛び付いてくる女……。
衝撃に小さく呻いた後、日除けとして顔に被せていた楽譜を畳み、そのままそれを使ってピンクブラウンの髪が靡く頭を思い切り叩いてやった。
「いったーいっ!!!」
「痛かったのはこっちだ、全く……。毎度毎度腹に向かって飛びかかられる俺の身にもなっ……」
「まぁいいや!はいっ、これ黒芭の分!」
「…………どうも」
『そんな事より人の話を聞け』と言う一言は、最早言っても無駄だとわかりきっているので呑み込んで、素直に差し出されたオレンジ色の包みを受けとる。
すると、目の前の女……響 天音がきょとんと瞳を瞬かせた。
「およ?今年は素直だねぇ。また去年みたく追いかけっこになるかと思ってスカートの下に短パン履いてきたのに」
「もう諦めたんだよ、去年散々お前に追い回されたせいで翌日全身筋肉痛になったからな……。って、わざわざ捲って見せんでいい!!」
思わず響が自ら捲っているそのスカートの裾を掴み、無理やり正しい位置に直させる。本当にこいつは……!
「あのな、短パン履いてるとか以前にお前だって女子なんだから、もう少し自分の身体を大切にだな……」
「大丈夫大丈夫!流石に誰の前でもやるわけないじゃん!バンド仲間の前だけだから!」
「……いやダメだろ」
バンド仲間と言えど、クラスも違えば恋人なわけでもない。なので、世話など焼かずにさっさと逃げてしまえばいい筈のこんな場合にも思わず説教を垂れてしまうのは、どんなに嫌がっても結局は兄気質な自分の性なのか……。実の弟から離れたと思ったら、次は妹が出来た気分だ。
『流されなかったかー』と、残念そうにしている響から視線をそらし、先程受け取ったオレンジの包みを両手で触ってみる。
去年は(俺がひたすらに逃げ回ったこともあり)鞄やらロッカーやら、挙げ句に自宅のポストやらに市販のチョコ菓子……しかもコンビニとかスーパーで定番の奴等が大量に突っ込まれているスタイルだったわけだが、今受け取ったこれは、きちんと可愛らしいハート柄の包みに包まれたそれらしい見た目だ。……触ってみてわかる中身の感触が、拳大の球体であることを除けば。
「……野球のボールでも入ってるんじゃないだろうな?」
「あはははっ!やだなぁ、そんなわけないじゃん!!」
あまりの不安感にそう呟いたら、くれた本人にそう笑って一蹴された。そうだよな、いくらこいつでもそれはないか。
……しかし、じゃあこれの中身は何なんだ。
「ふふん、聞いて驚け!これはねー、ちまたで流行りのおしゃれチョコの一つ、オレンジジェットだよ!!!」
「…………たった二文字間違うだけでずいぶんとまぁスピード感溢れる名前になるもんだな。ちなみに、多分正しくは“オランジェット”だ」
動じたら負けだと淡々と言ってやると、『おーっ、詳しいね黒芭!』とバシバシ背中を叩かれた。多分、俺が詳しいのでなくこいつが無知すぎるだけだ。
それにしても、オランジェットは確かオレンジの薄切りか細く切った皮にチョコを絡めた菓子で、断じてこんな、見るも見事な真ん丸ではない筈で。
(正直、食うのが恐い……)
「まぁとにかく、お姉ちゃんのレシピかりて作ったんだから大丈夫だって!」
「作ったのか!?これを!?全員分!!?」
何て事だ、卒業生の送別イベントライブも近いと言うのに、あわやバンドメンバー全滅の危機だ。しかも、一番役に立つはずの望月はこいつに惚れている。どんなゲキブツだろうがきっと根性だけで食うだろう。何とかして阻止しないと……。
「ううん、それは黒芭にだけだよ?」
「……は?」
正直から飛んできた思わぬ言葉に一旦思考が停止した。
唖然としつつもどうにかあいつの話を理解した所、どうやらこの一個を作るので手一杯で、時間も材料も使い果たしたらしい。
『皆の分はこっち!』とあいつが広げた派手なリュックには、遠足かと言わんばかりに大量のチョコ菓子が無造作に詰め込まれていた。その“皆”の中には、当然望月も入るのだろう。何て気の毒な奴。
「黒芭が一番の仲良しだから、特別ね!あ、ホワイトデーは珍しい飴ちゃんで!!」
「……あぁ、考えとく」
しかし、裏表のない馬鹿正直な奴にそう言われるのは悪くない。無邪気にひと月も先の事を当たり前に俺も踏まえて語るあいつに、俺も自然と笑い返した。
そしてその日の夜。生チョコの様な柔らかいチョコレートに包まれたその球体を噛った瞬間、口中に広がった柑橘特有の苦味に、昼間の態度はやはり甘かったと後悔したのは、また別の話。
「……苦っ!」
「黒芭……、オランジェットのオレンジって普通甘く煮てあるんじゃ」
「言うな、完食する自信がなくなる」
「あ、結局食べるんだ!?」
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そして翌日、練習の為部室に向かうと、いきなり望月に両肩を掴まれ激しく揺さぶられた。
昨日の影響でまだ調子が悪いんだから止めて欲しい。
「……いきなり何だ、鬱陶しい」
「うるさい!無常、お前昨日天音から手作りチョコ貰ったらしいじゃん!俺ラッコのマーチのバラエティーパックだったんだけど!?何この差!!」
「俺が知るかよ……、理由くらい本人に聞け」
軽く突っぱねて定位置に腰掛け、ギターのチューニングを始めたが、望月はまだ一人でぶつぶつ言っていた。これじゃあ練習にならないな、仕方ない……。
立ち上がって肩を叩くと、非常に不機嫌な表情で振り返られる。何て失礼な奴。
「望月……」
「な、何だよ」
「貰ったのが既製品で良かったと思うぞ」
そう言った俺の表情は、自分でもわかるくらいに遠い眼差しをしていた筈で、誰の目から見てもこれが本心だとわかったろう。なのに。
「~~っ!だからお前なんか嫌いだ馬鹿ーーっっ!!」
結局望月はそう叫びながら先に帰ってしまったので、結局音合わせは出来ないままとなった。
お陰で望月に惚れてる他のメンバーから責められるし、響が無邪気にチョコの感想を聞いてくるから周りの反応は喧しいし。
あぁもう、本当に、この災難を一言で言い表すとすれば……
~バレンタインデーなんて縁が無いに限る~
と、いうことだろう。
……来年からは、バレンタインデーには弟を少しだけ労ってやっても良いかな。と、若干思ったのは内緒だ。