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不完全世界と魔法使いたち①~⑥  作者: 安路 海途
不完全世界と魔法使いたち② ~ナツと運命の魔法使い~
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プロローグ

「でもいちばんよかったことは家へ帰ってくることだったわ」


   ――モンゴメリ『赤毛のアン』(村岡 花子・訳)

 学校の屋上からは、町の様子を遠くまで眺めることができた。

 平凡で、古びているほかに、その景色にとりたてて変わったところはない。天橋市は県庁所在地とはいえ、よくある地方都市の一つだった。古い歴史だけが埃みたいに積もって、そのまま残り続けている。

 梅雨も終わって季節はすっかり夏になっていた。学校も夏季休業に入ったばかりである。終業式は昼過ぎに終わり、今は校舎に残っている者もほとんどいない。

 無人の屋上では太陽の光だけが強く輝いていた。蝉の声が盛大にそれを祝福している。空だけが平気そうな顔で、高く、青く広がっていた。白い雲が、迷い出た氷山みたいな大きさで浮かんでいる。

 久良野奈津(くらのなつ)はそんな場所から、町の景色を眺めていた。

 ナツはこの彦坂小学校の、六年生だった。平均より少し高めの背丈に、少年らしい未完成の体躯をしている。すぐに気づくほどではないが、顔立ちには端正なところがあった。飾りけのない黒縁の眼鏡をかけて、その向こうにある瞳は複雑な色あいで世界を映している。

 ナツはその手に、白い紙ひこうきを握っていた。折り紙で作った、何の変哲もない代物である。

 ただしその両翼には、魔法で〝ジェットエンジン〟が描きこまれていた。

 ナツはそっと、その紙ひこうきを空に向かって放ってみる。

 紙ひこうきはふわりと風に乗って、滑らかに進みはじめた。その姿にはためらいも迷いもなく、二点間の最短距離を結ぶ線――直線――で飛行していく。

 段々、指先よりも小さくなっていく紙ひこうきを、ナツはぼんやり見つめていた。魔法の力がこめられた紙ひこうきは、安定した姿勢をたもって飛び続けていく。空に何の痕跡も残すことなく。

 たぶん、ナツの魔法が切れるその時まで、紙ひこうきは飛び続けるだろう。どこかの勇敢な飛行士みたいに、うまくすれば海の向こうまでたどり着けるかもしれない。

 けれど――

 けれどそれは、どうでもいいことだった。

 その紙ひこうきが大洋の深い底に沈もうが、海を渡って見知らぬ国に到着しようが、ナツにとってはどうでもいいことだった。

 ――本当に、そんなことに意味なんてないのだ。

 夏休みになったからといって、特別な何かが起きるわけではない。季節は同じように巡り、時間はそれまでと同じような顔をして過ぎていくだけだ。

 通りすぎた時間を、もう呼び戻すことはできない。電車に乗り遅れてしまえば、いくら切符を持っていたとしても、それを見送るしかないのと同じで。

 そして過去を変えることができないように、すでに選ばれてしまった運命を変えることはできなかった。失われたものを、破られた約束を、取り戻すことはできない。それがどんなに大切な、どんなに強いものだったとしても。

 その事実が変わらない以上――

 ナツにとって、世界はいつまでも()()であり続けた。

「……本当に、意味なんてないよな」

 左目を手で覆って、ナツはもう見えなくなった紙ひこうきのあとを追った。半分だけになった、その世界の中で――



 世界は時々、残酷な運命をもたらす。

 場所や時間による偶然、ささやかな気まぐれ、ほんの小さな約束――

 ごく些細な決定が、その後の結果を大きく変化させてしまう。

 けれど与えられた選択肢の先行きを、すべて知ることはできない。

 だとしたらそんな時、人はどうするのだろう?

 絶望のまま、何を選ぶこともできなくなってしまうのだろうか。それとも、少しでも選択肢が残っていることに希望を見いだすのだろうか。

 あるいはそんな時――

 人は、サイコロでも投げるしかないのかもしれない。神様だって、そうする時はあるのだから。

 いずれにせよ、人は選ばなくてはならない。

 それがどんな結末をもたらすにせよ、どんな不完全さをこの世界に作りだすにせよ。


 ――何故なら、世界は完全ではないから。


 魔法があれば、そんな運命でさえごまかすことはできるのだろうか? イカサマをしたサイコロに、いつも同じ目を出させるように。

 かつての完全世界にあった魔法でなら、そんなことができたのかもしれない。死者を蘇らせ、すべての悲しみを消し去ってしまうようなことが。けれど、それはもう失われてしまっている。この不完全な世界では、誰も魔法など使うことはできない。魔法を使ってさえ、それが完全になることはない。

 ……この物語には、五人の魔法使いが登場する。

 本来、交わるはずのなかったその五人の運命は、奇妙な歪みによって導かれ、交錯する。宇宙の果てで平行線の交わる、非ユークリッド世界のように。

 彼らは道化のような役割を演じつつ、一つの運命をある場所へと行きつかせることになる。それが正しいことなのかどうかはわからない。望むべき最善だったのかも。

 けれど少なくとも、一つの運命にとりあえずの終わりをもたらしたことは確かだった。例えそれが、ある種の遊戯に似たものだったとしても――

 そして物事というのは基本的に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のである。

→「一つめの予言」

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