厨房ロボ
けたたましいビープ音が、敷地全体に響き渡る。
チカチカと明滅する警告灯。
天井材に亀裂が走り、一気に崩れ落ちた。濁った色の土煙が舞い上がる。
「なにごとですか?!」
数分前まで隣の建物の応接室で茶をすすっていた軍服姿の女性は、そう叫んで、傾きかけた工房に飛び込んだ。
右手には軍用の拳銃。
訓練されたよどみない動きで、山積みの資材の間を駆け抜け――
もうもうと立ち込める白煙が、次第に晴れていく。
そして、目の前にあったのは。
「こ、れは……」
銀色の澄んだ光を放つ、バカみたいに巨大な装甲。
ぽっかりと穴のあいた天井から、青空へ突き抜けて太陽光を反射している、勇ましい造形の頭部。
右手にはサーベルのような武器。
工房のほぼ中央に仁王立ちする、全身銀色の――
……どう見ても。
――白い蒸気を細く吹き出す、二足歩行型の巨大戦闘兵器。
満足そうにそれを見上げている作業着姿の少年へ、女性はよろよろと歩み寄る。
「貴方の工場では……厨房設備を作っていたはずでは?」
少年の作業着の胸元に印字されている文字を見る。
『㈱クリヤ厨房設備』。
ごく小規模ながら、国内外の一流シェフや建築士から高い評価を受けている、業務用厨房設備の設計製造会社だ。
「いやぁ。ついうっかり」
そう答えて、なぜか照れたように笑う少年。
若くしてこの会社の工房を任された設計技術チーフだ。
片田舎の町工場のひとつでしかないこの会社に、主要都市の三ツ星レストランからの仕事が頻繁に舞い込むのは、彼のオリジナリティあふれる設計の功績によるところが大きい。
女性は銃を腰のホルスターに戻してから、呆れ顔で少年に言った。
「……人は、うっかりでロボなど作りませんよ」
少年は胸ポケットにさした鉛筆をいじりながら、のんびりと答える。
「ほら、あんたが世界平和とか連呼するから、つい」
「私が検討を依頼していたのは『本国の防衛』です! それがなんで世界平和に! ていうかなんでこんなマンガみたいなロボットに!!」
ロボを指さしてわめいて、頭を抱える軍服姿の女性。
折り返した襟の上に三色のラインが入っているのが、本国の政府高官たる証だ。本国最高の意思決定機関『エルライ』、その一機関、軍部の指令と統制を担う『第11』の交渉担当。
彼女は、ここ数ヶ月かけてこの少年の元に通いつめていた。
現在極秘で進行中の、本国の独自防衛システム開発プロジェクトに機械設計者の一人として参加してほしい、と頼み込んでいただけだ。
決して、断じて――
決戦兵器を作ってくれなんて、頼んでいない。
一ミリも。
「厨房設備しか作らないっていう理由で、私の依頼を断りましたよね?」
「ロボは別腹だろー」
「意味がわからないです」
真新しい作業着を着た男が、奥の小部屋から出てくる。
「チーフ、基礎テスト終わりました」
「よーし。あとは型番を刻印して、と」
いそいそと機材を用意して、ロボットの足元に近寄る少年。
その肩越しに手元のリストの文字が見えてしまって、女性はげんなりする。
「待って、厨房設備の連番で振らないで……」
「んーでもコイツも、厨房設備っちゃ厨房設備だし。ちゃんとした調理師入れれば、100人分のホテルビュッフェから老舗料亭の懐石料理まで、多国籍に対応……」
「……戦えるんですよね?」
「もちろん。目からビームも出るぜ」
「要りますかねそれ」
二人並んで鉄の巨体を見上げる。
女性がぽつりと言う。
「どうせ作るなら、いっそのこと防衛システム作ってしまってくれればよかったのに……」
「コイツで充分守れると思うけど、本国」
「いやもっとこう、現実に則した感じの……!」
女性の言い分に少年は不思議そうに首をひねり、コン、と装甲を叩き。
「あるじゃん、現実に」
「こういう中途半端にファンタジックなやつじゃなくて! 形状とか、もっと真っ当なやつをですね!」
と。
女性の携帯端末が鳴る。
『――緊急事態だ!! すぐに本部に戻れ、西側の国境付近で動きがあった』
「な、諜報からの情報では、まだ――」
「あ、ちょうどいいじゃん、本国の危機なんだろ? これやるよ、乗ってけ」
駆け出そうとした女性に少年が気安く言い、ヘルメットを押し付ける。
「え、いや、でも」
「お宅が持ってるどの戦闘機より、最高速度、出るよ?」
続いて聞こえた数字にぎょっとなる女性。
にんまり笑った少年は近くの柵から身を乗り出して、階下で作業している男に叫ぶ。
「ケンじい! いいよね、今これ出しても!」
「おう、先月の試作費の範囲で作ったからな。好きに持ってけ」
スパナ片手にこともなげに答える、ヒゲ面の技術チーフ。
女性の右手にある端末から、いくつかの慌しい足音と、焦ったような声がする。
『副司令、そこに機体があるのか?』
「え、まぁ機体というか、」
『それは好都合だ、やむを得ない、そこから現場に直行してくれ。国境での衝突まであと15分! これより防衛作戦に入る』
「は、了解しました。すぐに向かいます。――これ、お借りします! 支払いは後日必ず!」
女性は工房の皆に聞こえるくらいの声で叫んで、ロボの腹部につながっている階段を駆け上がる。
少年が開けたばかりのハッチに、身軽な動きで飛び込んだ。
「困ったら、中に無線機あるから!」
少年の声に背を向けて返事をして、白い廊下を駆ける。
自動で扉の閉まる音。
「……えーと、とりあえずこれで向かいながら、本部に連絡して、先行部隊と……」
コックピットに飛び込み、ハンドルの下にぶら下がっていた小型無線機を乱暴に掴む。
「今日はこれで失礼します! ですが、防衛システムも諦めてませんからね!」
足元に向かってそう叫ぶと、台車で荷物を運んでいた少年が肩をすくめて、
『はいはい、厨房つくるのに飽きたら考える、かもね』
作りかけのシンクの山を指さした。
『……あれ? って、おい! 操縦士は?』
運転席(らしきもの)に座ってベルトを締め、計器類を見渡しつつ、女性がしれっと答える。
「船舶も重機も航空機もだいたい操縦できますし、その応用でなんとかしますよ。えーっと……」
そう言ってスイッチをいくつか押し、レバーを引いてペダルを踏み込み――
『あぁそりゃ役に立たん。そこらの奴、誰か連れてけ』
ロボがゆっくりと前進しはじめたところで、技術チーフが言う。
「え?」
少年が大きくうなずくのが見えた。
『うち製のキッチン使ってる奴なら、誰でも操作できるよ』
「…………は?」
***
青く連なる山々を背景に、ドォン、と赤い火柱が上がる。
青空を隠すように、どす黒い煙がいくつか立ちのぼる。
「……な、なんなんだ、あれは……!」
兵士の一人がたまらず叫ぶ。
激しい爆炎の向こうには――
見たこともない、真新しい銀色の巨体が不気味に鎮座する。
確かに集中砲火を食らったはずの謎の人型兵器は、だが、それでもまったく体勢を崩さない。
無線を飛び交う、驚嘆の声と慌てた報告。
敵陣の司令部が大混乱に陥っている――その最中。
マンガみたいなロボに乗って突然戦場に現れた副司令官に、本国の司令部ももちろん大騒ぎだったが――
――何より、そのロボ内の副司令官殿が、一番混乱していた。
目の前の湾曲したフロントパネルを覆っていた炎と煙が、風に押されて流れ去る。
数秒前に直撃した無数の砲撃の痕跡など、微塵も残さず。
傷一つない強化透過素材の向こうに、すぐ、鮮やかな景色を映し出す。
『ほらね、大丈夫。言ったろ、宇宙船の外殻パネルに使ったりしてる素材だって』
頭上から、少年の誇らしげな声。
運転席の女性はゼェゼェと息を乱し、蒼白の顔で、
「宇宙船は、爆撃、浴びないでしょ……」
なんとかそれだけ言う。
『ほら、隕石とか、墜落に備えたりとか』
「死ぬかと思いました……」
『大丈夫だって。――さて、反撃だな! あ、そこの扉開けてー』
言われるがまま、大きさのわりに重い鉄扉を引き開けると――コックピット内にぶわりと広がる、小麦の焼けた良い香り。
中を覗き込んだ女性が半目になって、長い長い息を吐く。
「……いつ、私が、ホットサンドの焼き方を聞きました?」
そうこう言っている間にも次々と焼きあがってくるパンの山。ハムとチーズの香りただようその山を押しのけて、女性は無線機のマイクにしかめっ面を近づけた。
「いいから、ほら、なんか攻撃!」
『あー、そんなにカリカリしてんなよ。たぶん腹減ってんだよ、ほらそれ食べていいから』
「結構です」
『じゃあ、そこの左の目盛りを50に調節しながら、そこの青いレバー引いてみて。標的に照準合わせながら、ゆっくりね。――ていうか、だから誰か連れてけって言ったのに。俺とか』
「民間人をいきなり戦場に連れていくわけにはいきません」
『あー、基礎契約だけでも結んどきゃ良かったね』
「その話はあとで!」
前方から高速で飛来してくる戦闘機を視界に捉え、女性の手が、今しがた数発試し撃ちしたばかりの青いレバーを掴む。
機械音声の自動警告が、右側の棚にぶら下がって揺れている中華鍋にぶつかって、妙な反響音を生む。
機体の上体を大きく反らせて、向かいくる爆撃をなんとかかわす。
傾くコックピット。
そのはずみで、女性の肘の先が、何かのスイッチに触れた。
「しまっ……」
ゴゴゴゴゴ、と足元からの振動と、うなるような重低音が鳴り始める。
ああ、と少年が言った。
『大丈夫、ディスポーザーだ』
「それ、どんな武器です?」
『あれ、知らん? 違うよ、生ゴミ粉砕して下水に流すやつ。うちの製品には全シリーズ標準装備』
「……一瞬でも『使えるかも』と思った自分を呪いたい……」
部下の操縦する機体が、一直線に滑空して敵機に向かっていく。それを羨ましそうに横目で見て、女性がつぶやく。
「やっぱり、さっき乗り換えておけば……」
『いけるって、一撃当たれば一部隊落とせるんだから。こっちのが効率いいって』
そうなんだよなぁ、と、到着直後に偶然放った一撃を思い出す。
特殊編成の一個小隊を丸々撃墜した――雷のような轟音の『何か』。
あの強烈なインパクトはなかなか良かったのだが。
ノイズとともに通信に入ってきた同僚の声が、叫ぶように女性の名を呼ぶ。
『副司令、さっきのをもう一度頼む!』
「期待しないでください、まぐれ当たりです!」
間髪いれずに返し、『は?』と呆けた返事をする相手の声を掻き消すように、ロボの右腕に搭載された火器が火を吹く。
それを難なくかわした戦闘機の後方で、どぉん、と遅れて爆音が鳴った。
思ったように発射されない攻撃に、女性は下唇を噛みしめる。
「絶対、さっきと同じようにやってるのに……」
『おねーさん、火加減下手だね』と少年。
「私が自炊できないみたいな言い方やめてもらえます?」
抗菌ステンレス製の天板を、手袋をはめた指先が不満そうにノックする。
『火加減さえ掴めりゃ、大抵の敵は美味しく丸焼きにできるよ』
「……食べませんからね」
戦闘中に聞こえてくる調理用語の、壮絶な違和感。
女性は顔をしかめて、内心で頭を抱える。
と――
コックピットにビープ音が鳴り響く。
すぐ後方から、何かのシャッターが開くような音。
「て、敵ですか?!」
『いや、今のは……食洗機が終わりましたよーって音』
「しょくせんき?」
『えーと、食器洗い機』
女性がすばやく振り向いた先――銀色の箱のようなものの中に、洗いたての白い食器が並んでいた。
「……」
『わかった、わかったから、その超電磁サーベル、こっちに向けるのやめようか、やめてください』
先ほど、建物一個分の標的をピンポイントで攻撃する方法を教わったばかりだ。
女性が黙って武器を下ろすと、少年は短く息を吐いて言う。
『うん分かった。もっと可愛い終了音にするよ』
「食洗機自体を取り外してください」
と、本部からの通信音。
『敵陣、撤退していきます!』
音声どおり、目の前の敵機が、隊列を組みなおして飛び立っていくのが見えた。
「よ、良かった……」
操縦桿を硬く握り締めていたほうの手を、女性は少し緩めた。
とたんに、腕から全身へとわずかな震えが這い上がる。
『ちっ、弐号機の実践投入は次回かぁ』
と、悔しげな少年の声。
「……はい?」
『いま参号機までできたから。あとで本部まで納品しにいくよ』
女性の手が、思わず、目の前のフロントパネルをドンと叩いた。
「なんっで増えてるんですか?!」
『いやぁ。ついうっかり』
無線機の向こうから、確かに、機械の重い駆動音が二つほど聞こえる。
「……人は、うっかりでロボ増やしません……」
うなだれる女性の耳に、本部からの帰還命令が届いた。