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和風のシリーズ

桃花幻想

作者: 入江 涼子

時は平安時代の中頃。京の都のとある森に桃の樹が植わっていた。その樹には精霊が宿っている。齢は三百年とも四百年とも言われていた。

いつからか、精霊は陰陽師の青年に「桃花」と名付けられて式神となる。青年は見目麗しくあの有名な安倍晴明の弟子だった。

桃花は青年を好いていて淡い恋心を抱くようになる。そうして、今日も式神から恋人に昇格できないかと思い悩むのだった。




「明義!わらわの相手をしておくれ!」

桃花は元気良く明義と呼ばれた青年に呼び掛けた。

今年で十八歳になる青年は本名を安倍明義(あべのあきよし)と言い、晴明のいとこの子で遠縁の親戚にあたる。少し薄い色の瞳を眇めて明義はため息をつく。

「またか。桃花、お前は諦めが悪い」

「そんなこと言わずに遊んでたもれ!」

「嫌だ。桃花はすぐに無理難題を言ってくるからな」

明義にそっぽを向かれて桃花はしゅんと項垂れた。烏帽子を被り淡い水色の狩衣と萌黄の指貫といった出で立ちの明義は爽やかな感じの美男だ。桃花は彼を一目見た時から気に入っていた。

いわゆる一目惚れというものをした彼女だった。

「…それよりも。桃花、今日は師匠の呼び出しを受けているから。邸の留守番を頼む」

「わかりました。行ってらっしゃい、明義」

桃花は項垂れた顔を上げてにっこりと笑う。明義はすまなそうに彼女の頭を撫でてからそのまま出かけていった。



そうして、また一人の時間が来る。明義には他にも式神はいたが。桃花はあまり仕事で連れて行ってもらった事がないために他の式神たちとは面識がない。ふうとため息をついた。退屈だ。

床に寝転がる。ごろごろとしながら時間を持て余す。

(ああ。早く明義や姉様たち、帰ってこないかの。暇で元の姿に戻ってしまいそうじゃ)

桃花は外の景色を眺めながら瞼を閉じた。



しばらくして桃花に声をかける人がいた。それにより、ぱちりと目が覚める。

「桃花、起きなさい。こんな所で寝るんじゃありません」

凛とした声の主は桃花が姉様と呼ぶ女性だった。名を橘華(きつか)と言い、明義の実姉だ。橘華はれっきとした人だが明義に理解を示し桃花や他の式神たちにも親切にしてくれる優しくしっかりとした女性である。つり目がちの眼をしているが性格はなかなかの好人物といえた。

「あれ。橘華姉様?」

「やれやれ。桃花、あなたいくら昼間だからって。こんな端近にいたら駄目よ。中に入りなさい」

「はあい。今日はお天気が良かったから昼寝をしたくなって」

「それでも中に入った方がいいわ。もし、他の式神や人がいたらどうするの。用心しなさい」

「…わかりました。以後、気をつけます」

桃花が謝ると橘華は苦笑いした。本当に気をつけてねと桃花の頭を撫でたのだった。


その後、橘華は桃花の話し相手を請け負ってくれた。明義への想いが全く成就しないと愚痴を言えば、橘華はあの子は堅物だからねと苦笑いする。橘華は霊や精霊、式神などの類いが見える。だから、明義にも理解があるし桃花たちにも普通に接する事ができた。でなければ、桃花も姉様といって慕わなかったかもしれない。

「明義ってば朴念仁て言えるね。未だに通っている女君がいないんでしょ?」

桃花がずばずばと言うと橘華は何ともいえない表情をする。

「確かにその通りなのよね。あの子、女嫌いではないはずなんだけど。男色には興味がないと言っていたし」

「そうなんですか。姉様、明義はどんな感じの方が好みなのかな。教えてもらえませんか?」

桃花が尋ねると橘華はそうねと笑う。

「明義は明るくて可愛らしい方がいいと言っていたかしら。桃花も当てはまると思うわ。けど、あなたは精霊で式神だから対象外だと言っていてね。私、役に立ててないわ。ごめんなさい」

橘華は眉を下げると謝ってきた。桃花は慌てて言った。

「そんな。わらわ相手に謝らないで。橘華姉様は悪くありませんから」

「…そう?」

「はい。悪いのは明義ですから」

きっぱりと言うと橘華は下げていた眉を上げて笑いだした。しかもお腹を抱えながらだ。

「ふっ。ふふ、あなた面白い事を言うわね。明義が悪いだなんて」

「だって実際そうじゃないですか。明義のわからず屋とわらわは言いたいです。何でいつも好きだと伝えてるのに無下にされるんだろう」

桃花が悲しげに言うと橘華は彼女の頭を撫でた。可哀想にと思う。それと同時に明義が本当は桃花を憎からず想っていることが口をついて出そうになる。けど、口止めされているために告げられない。橘華は何ともいえない複雑な気持ちに蓋をするのだった。



明義が邸に帰ってきた。桃花は出迎える。横には姉様こと橘華もいた。

「あれ。姉上?」

「お帰り。明義、お師匠様のご用は終わったの?」

「え。ああ、終わったよ。桃花とまた話でもしてたみたいだな」

明義はそう言いながら桃花をちらりと見る。

「ええ。今日も話をしていたわ。桃花、そうよね?」

「うん。わらわが簀子縁で昼寝をしていたら注意をされてな。それで成り行きで姉様と話をしていたんだ」

桃花が笑顔で告げるが明義は不機嫌そうに眉をしかめた。そのまま、彼は黙って自室へと行ってしまう。桃花はきょとんとした表情でどうしたのかと彼を見やる。明義は冷たい表情で桃花を見ようともしない。衣擦れの音も聞こえなくなった頃、橘華はやれやれと本日何度目かのため息をつく。

「仕方のない子ね。桃花、あなたが明義の部屋に行きなさい。きちんと説明すればわかってくれると思うから」

「わかりました。行ってみます」

桃花は言われた通りに明義を追いかけた。




明義の部屋まで向かうと桃花は上座にいた彼を見つけた。無言で向こうを睨み据えている。桃花はどうしたものかと躊躇した。

「桃花。そこにいるんだろう?」

ふいに明義がこちらを向いて声をかけてきた。桃花はそっと足音を立てないようにしながら近寄る。

「こっちへ来いよ。何だったら膝の上に乗ってもいいぞ」

むすっとした顔のままで言われたが。桃花は意味がわからなかった。膝の上って言わなかったか?

「明義。わらわを何歳だと思っておるのだ。これでも人でいうと大人なのだが」

「わかってるよ。桃花が大人だということは。お前が俺を好きだと言うんだったらすぐ側まで来れるんじゃないのか」

桃花は顔に熱が集まるのがわかった。火が出そうだ。それでも意を決して明義のすぐ側まで行く。

明義は手を出せばすぐ触れられる所まで来た桃花の腕を引っ張る。あっと小さな声をあげて桃花は倒れこんだ。明義の腕の中にすっぽりと収まってしまった。

「…い、いきなりどうしたのだ。明義、様子がおかしいが」

「お前が端近で昼寝なんかするからだろう。姉上から聞いた時は嫉妬でどうにかなりそうだった」

低い声で言われて桃花はいたたまれなくなる。明義は今度から気をつけてくれと言いながら彼女をそっと抱き締めた。ついでに膝の上に乗せた。

気がついた桃花が腕を突っ張って明義を押し退けようとしたがそれより強い力で抱きすくめる。桃花の髪からほんのりと甘い薫りがした。桃の花の薫りだと明義は微笑む。桃花も観念したのか体から力を抜いた。

それに気を良くして明義は桃花のつむじに口づけを落とす。

「可愛いな。いつもこれくらい大人しかったらいいんだが」

「悪かったな。わらわはどうせ、対象外なんだろう?」

「それは。お前は精霊だし。俺の式神だから恋仲になってはいけないと自分に制御をかけていた。けど、今日になってお師匠様に言われたんだ。桃花は精霊としての力が強いから自身の意志を持つって。それに恋情を持たれたのだったら腹を括れって。だから、お前の想いを受け入れる事にした」

明義は真面目に言いながら桃花を抱き締める力を強めた。彼女はいつの間にか泣いている。

「…うっ。明義はわらわの想いを受け入れてくれるのか?」

「ああ。だから言わせてくれ。俺は桃花が好きだ。お前はどうなんだ」

「…わらわも好きに決まっている。ずっと、あなたが幼い頃から慕っていた。待ち続けた甲斐があった」

「桃花…」

明義は桃花の涙を袖で拭ってやる。穏やかな日差しの下、若い恋人たちはしばし抱きしめ合っていたのだった。

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