第12話
赤土先生は階段を登って上の部屋へと行ってしまった。
…外に出ていかれなかっただけ、少し希望はあるのかもしれないと思うしかないだろう。
「あー……と瀬良先輩…すんません」
私を抱えたまま、しょんぼりとした顔で謝られる。瞬ですら理解が追いついていないみたいなんだから私がわかるようなことでもない。
「……まぁ、こうなっちゃった以上しょうがないし。それに……」
私が途中で言い淀んだせいもあり、近距離で目が会う。追手とかなにやら落ち着いた中で思うことはただ一つ。そう、今のこの体勢の方が色々と問題があると思う。
「そろそろ下ろしてほしいかな!出来れば椅子に!」
今日1番の瞬の謝罪が館には響いた。
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「…なんだ害虫か。」
大きなため息が響くが、声の主は古びた机のパソコンに向かったまま何も見ずになにかにそう声をかける。
「おにーさん、開口一番それは凹むってぇ~」
おちゃらけた様子で、相手はそんなこと言いつつ付近にあった回転椅子に座り椅子事くるくると回る。
「何を今更。戻せる手立てがあると言ってきたのに契約不履行を続けているからだ。用がないならさっさと帰ってくれないか。」
声の方向は一切見ず、不規則にキーを叩く音だけが響く。
「まーまー俺だってタイミングを待っていた訳だしね。ちょーどいい素材が出来たからね。言葉を選ばずに言えば、禍を移せる素材がね。」
「……詳しく聞こうか。」
「やーっとこっち向いてくれた。そういえば、おにーさん医者だったよね?そんでもって、最近治る見込みのない患者さん、いたと思うんだよねー?」
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あれから1階の空き部屋に座らせてもらったことでひと段落し、
瞬は渦原が思ったより時間が経っても来ないことを不審に思い、少し外に出ると言って部屋から出ていってしまった。
スマートフォンはどこかに落としてしまったらしい。車椅子がぐしゃぐしゃにされ、荷物も抱き抱えられたことによりどこかに置いてきてしまった。
「…これからどうなるんだろ」
はぁと大きなため息を一つ。車椅子がない為、部屋から動くことは出来ない。窓もない部屋をぐるりと見回す。
本当に童話の中にあるような古い洋館。しかし、古いという割には、蜘蛛の巣や壁紙の剥がれはない。部屋には自分がいま座っている椅子に机、奥の方にベッドというすごく簡易的な部屋ではある。
ふと、机の引き出しを開けてみれば、古ぼけたノートと一枚の写真を見つける。
写真は、家族写真のようだ。夫婦と思われる男女の真ん中に10歳くらいの子供が一人。…子供と男性の方は何となく見たことがあるような気がするがすぐに誰だと断定することは出来ずそっと引き出しに戻す。もう一つのノートをパラパラとめくれば、日本語ではない何かの文字が大半のページにビッシリと欠かれている。勿論そんな幾何学文字の習得はしていないため、読むことは出来ず、諦めて引き出しに戻す。
引き出しを閉めた瞬間に扉をノックされる音が響き、変な声が出る。やましい事をしているつもりはないけど、ドキリとしてしまうのは人間としての性だと思う。中にいることは声を出してしまったことによりバレているだろうが、返事をしていいものか分からず何も言えない。
「…瀬良さん?」
再度のノックと共に聞こえたのは、赤土先生の声だった。
「あ、えっと…どうぞ?」
盛大に吃りつつも、自分の所有の部屋ではない為、語尾が上がりつつそう返答する。失礼するよと、赤土先生は言い、つい癖で立ち上がろうとしてしまう私を窘める。…前よりは少し立てるような気がするが結局は崩れ落ちてしまう為、座っていた方が無難な
「さっきは…というよりいつからか分からないがバカが迷惑をかけたな」
「え…?」
話の流れ的に誰のことを言っているのか何となくわかるが、思考がうまく働かない。
「うちのバカ息子だよ。アイツが瀬良さんに何言ったかは分からないけど、信用しない方が良い。アイツはもう化物だ。」
淡々と語っているが、言っていることはかなり辛辣である。確かに吸血鬼であることは先程の会話と言えるような言えないような不穏なやりとりで、赤土先生も瞬の状況は知っているのだと思う。だけど、化物…なんてそこまで言わなくても言わなくても良いと思うのだけれど。
「えーっと…。息子さんなんですよね?なんでそんな」
「アイツは人殺しなんだよ。」
言葉を遮られパッと顔を見れば、苦々しい表情でこちらを見ていた。
「赤土…先生?」
「アイツは瀬良さんに『吸血鬼になれば足は動くようになる』って話をしたときに、自分の母親の話をだしたか?」
急なことを言われ、思い出した内容ではそんなことを聞いた覚えはなかった為、控えめに首を振る。
「やっぱりな。もしかしたらの希望を持っているかもしれないから、これは忠告と思ってくれ。吸血鬼なんてものは化物と一緒だ。自分の体を蝕むだけでなく、周りにも多大なる迷惑をかける。金も莫大にかかり、下手をしたら無駄に苦しむだけだ。確かに、あのバカは九死に一生を得た部分はある。しかし、人間の摂理を大きく捻じ曲げている。そのせいか、アイツは14歳の時から一切身長が変わっていない。早めに成長期があったせいか人並みくらいの身長はあるが、何しようが、身長や体重が変わらず、多分髪の長さも2年前から殆ど変わっていない。成長をいう成長は一切止まり、寿命があるのかすらも分からない。人間のように怪我はするらしいが、瀬良さん自ら進んで化物になりに行く必要はない。走るのが好きなことは聞いているが、それがすべてではない。瀬良さんの現状が精神的なもので、はっきりとした原因が分からない今、すがりたくなるのも分かるが、もうあのバカとは関わらない方が良い。」
こちらの言葉を言わせないくらいすごい剣幕で語られる。赤土先生の言っていることが理解できない。内容としては頭に入ってくるが、瞬に教えてもらった内容とは色々と違っていた。
…成長が止まるってどういうこと?吸血鬼になったとしても怪我はするし、万能じゃないという話は最初に聞いていたけど、ここまでだとは思っていなかった。
「あのバカも今はいないことだし、送迎の車呼ぶから、自宅まで送る。あのバカがいなければ瀬良さんは自宅に入れるだろう。歩行は…まだ厳しいか?…そういえば車椅子はどうしたんだ?」
「……えっと、車椅子…いま、無くて。」
瞬が壊しましたなんて密告紛いのようなことは出来ず、俯きつつ言葉を濁す。その言葉で何か察したのか、舌打ちが聞こえる。
「あんのバカ。物は壊すなって何度言えば…。車椅子も病院のもので良ければしばらく貸すから家に帰りなさい。そして、今日のことは今すぐ忘れなさい。わかったね?」
「でも…赤土君と……」
そう、勝手に帰ってしまったら、あの二人はどうなるのだろう。そういえば、瞬は渦原君の名前を伏せていたような気がする。さっきから吃ってばっかりだが、考え事をしながらだとどうしてもうまくコミュニケーションがとれない。そもそも、人と話すことはあまり得意じゃないのだ。
「あのバカと…?」
赤土先生は私に聞き返す。変なところで区切ってしまったせいで、興味を持たれてしまったようだ。
「あ、いえ…何でもないんです。流石に何も言わずに帰っちゃうのはどうかなって思って…車椅子貸していただくのは移動できるので有難いし、自宅まで戻れるのであれば嬉しいことなんですけど…でも、なんか違うような気がして……」
自分でも何を言っているか分からないが、今はまだ帰っては行けない気がするのだ。
「…つべこべ言わず帰りなさい。自宅までが嫌なら自分が病院まで送ろう。バカがここまで来たら伝えておくから、ほら。」
手を差し伸べられるが、何故かその手を取る気にはなれなかった。この手を取って、家に帰ってしまえば、今日のことを忘れてしまえば、いつもの平凡な日常が帰ってくるだろう。俯き、ちょっと非日常だった今日のことを思い出す。…ここまで来て、はいさようならみたいな感じで放り出すことはできないようなきがした。そう、私は今、自分でも驚くくらい瞬が心配だった。
「赤土先生の気持ちは嬉しいんですけど…やっぱり私、瞬が一度戻ってくるまで待ちます。大変申し訳ないんですけど、送ってもらうのはそのあとって形でも大丈夫でしょうか?」
パッと顔をあげれば、赤土先生はいつものちょっと不貞腐れたような表情でなく、歪んだ笑みを浮かべていた。
「あのバカを庇ったり、君がこちらの事情に踏み込んできてくれたりしなきゃ、知らなくて済んだことも沢山あっただろうにな。残念だよ。」
その言葉に返答する前に後ろからの大きな衝撃と共に私は意識を手放した。