この痛み
「前から思ってたんだけど、早駆けの話を聞いていると、愚連隊の人って月給取りとほとんど同じみたいに思えてくる」
「会社員と?」
「うん。月給取りだって、一人がこなさないといけない仕事の分量が決まっていたり、同じ会社の人と組んで成果を出せないといけなかったり、上からの命令で別の仕事にまわされたりするんだよ」
「よく知ってるな」
「お客さんにそういうのが多いから……、あの人たちはよく不満をこぼしていくの」
「あ、俺のも愚痴に聞こえたちまったか……」
聞きたくもないものを聞かせてしまったかもしれない。早駆けは気まずそうに隣を見た。
「気にしないで。早駆けの話はわたしが聞きたくて求めているのだから」
誠道会の事務所の場所を確認した帰りしな、早駆けは足を伸ばして花売りのもとを訪れていた。むしろこちらが外出の主な動機であったといえる。面罵と軽侮の根城にはすぐに戻りたくはなかった。あそこはただ夜風雨露をしのぐだけの場所だ。野良犬の寝床と変わらない。
早駆けはおよそ二三日に一回の頻度で花売りに会いに行っていた。交わされる内容はとりとめもない。少年が直近の出来事を口にして、聞き役に徹する少女が応えてあれこれと返すというものである。頻繁に顔を会わしているうちに、自然そんなやり取りが主となっていた。
「愚連隊なんていうから、もっと飲んで騒いで好き勝手に生きてるのかと思ってた」
「上手いことやってる連中はそうやって過ごせるよ」
「上手くいかないと、やっぱり厳しいみたいだね?」
少女は少年の頬についた、まだ青い打ち身を見ながら言った。日ノ出に殴られた痕は、腫れているのかいないのか、靄をまとわせたようなはっきりせぬ感覚があったが、触れると確かに痛んだ。
「これは失敗と関係ないぞ」
「本当に?」
花売りが覗きこむ。変わりない眇目がじっと頬に注がれている。彼女の鼻と頬にあった痣はとっくに消えていた。
――そういえばこいつの傷……
商品が台無しになった翌日についていたものだ。誰かに殴られたのだろうか。彼女が花を仕入れてくる先は――花売りの背後をぼんやりと想像してしまい、早駆けはすぐに考えを振り払う。見てはいけないものを見てしまって、すぐに忘れようと努めるかのように。少女が『大した傷じゃない』と言ったのなら、その通りにしておくのがいいのだろう。
「か、関係ねぇってば。こんなの唾でもつけときゃすぐに治らぁ」
あのときの彼女のように、早駆けもまた原因をぼかした。
彼は失敗がつづいていることも、隊内での風当たりが厳しくなっていることも口にしていない。見栄を張って飾り立てこそしないものの、情けない真実にも触れたくはない。そんな少年が口にする出来事だから、自然とりとめもないものになっていくのも道理であった。
どちらも話したくないことを伏せているのはわかっていた。
触れずじまいのままでもよいのかもしれない。ただの話し相手ならば。
「早駆けは綺麗な顔をしているのに、こんな傷をつけて――」
少女は手のひらをぺろりと舐めた。そこからの彼女の行動は素早い。
「な、な……」
早駆けの頬にじわりと生ぬるいものが触れる。汚いとは感じなかった。
「唾でもつけときゃ、すぐに治るんでしょ」
そう言われて、早駆けの胸の内に、全部を口にしてしまいたいという勢いが興った。少女を考えたときに生じる胸のもやもやと温かさと同じ出どころだった。噴き出す勢いは彼の全身を駆け巡る。
――話したいというよりも聞いてほしいんだ、俺が
その先に何を求めているのか。考えようとしてみても、模糊としてつかみきれない。
もっとも少年は勢いに身を任せるのを恐れてもいたので(それがどんなに最悪の結果をもたらすのかを彼は知っていた)、目を閉じて勢いが翳るのを待とうとした。