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花を売る少女

「――とまあ、そんなところだ。その後はあんたも知っての通りだ。読み通り俺は愚連隊の一員さ。(えびす)の早駆けだ」

 と少し得意げに名乗る少年を、少女はじっと見つめていた。

「な、なんだよ……」大きさの違う両の目にとらえられ、早駆けは照れ隠しに鼻をかく。「もう話せることは話したぞ。俺が追われてた原因もわかっただろ?」

「うん。本当に愚連隊なんだぁ、と思ってさ」

「そうだよ。だいいちそっちが言い当てたことじゃねえか」

「鎌をかけるって言葉は知らない?」

「なんだそりゃ」

「はったり、って言ったらわかる?」

 早駆けは、はっとした顔つきになって、

「俺をはめたな!」

「そんな大げさなものじゃないけれどね。だけどはったりに引っかかってしまうのは、愚連隊としてあまりいい傾向じゃないと思う」

「生意気な女だ! 俺をどこの誰だと思ってる」

「だから戎の下っ端の早駆けでしょ。さっき聞いた通りならさ」

「減らず口!」

 彼女はなぜこんな口を利くのか。いや、相手がどう考えて口を利こうが、その言いぶりに早駆けは腹を立てた。これがもし底抜け相手だったら、彼はもっと口汚く罵って拳を振り上げていただろう。早駆けが軽い非難にとどめたのは相手が女だからだ。女性に手を上げるものではない。愚連隊に入るよりも前にそう教えられていた。その辛抱が、結果的に少女の方から口を開かせる時間の余白を生んだ。

「……ごめんね、早駆け」

 少女はふいにしおらしく首を横にふる。

「な、なんだよ急に……」

 怒りが急冷されて、早駆けはしどろもどろに返す。

 打って変わって素直に謝られてしまい、かえってなんと応じればよいのかがわからなくなったのだ。戎にあっては一度張った強情は張りつづけなければ馬鹿にされる。

 折れる時があるとすれば喧嘩に負けたときか、隊長や先輩が介入したときぐらいだ。

「早駆けが言った通り生意気で減らず口だった。同じぐらいの年の人と話す機会がほとんどなかったから、つい嬉しくって余計なことを言ってしまったのかも」

 そう言われても、やはりなんと返してよいのかがわからない。途方にくれた早駆けは、話を変えようとして男に踏みにじられた花々を拾いはじめた。

「俺のせいで品物がめちゃくちゃになっちまったな……」

 彼女の謝罪を受け流す以外の(すべ)を知らなかったのだ。愚連隊に入る前の彼ならば、謝罪をきちんと受け止められたかもしれない。

 辛うじて色と名残りをとどめている花を、暗褐色の土くれから(すく)いだす。塊は濡れた粘土のような粘着性を帯びていた。それが引き離す際に数条の糸を引いて、早駆けの手に気味の悪い感触を伝える。

「これ、はさすがにもう使えないかな」

 まだましなものを引き抜いたはずだったが、いずれもこの世の穢れを一身に背負ったように汚れていた。売り物になりそうもない。

「わざわざ拾わなくてもいいんだよ、早駆け」

 少女は早駆けの横に来て、

「こうなったのは別に早駆けをかくまったからじゃないよ」

 そう言いながらも彼女は、自分の手が汚れるのもお構いなしに早駆けの手からそっと花を取り、木箱の上に並べた。

「あの人たちは強気に出られるのなら、相手なんて誰でもいいと思ってる。だから早駆けのせいじゃない」

「さっきもそんなことを言ってたな。下手(したて)に出るけど、思い通りにならないとすぐ手を出すって」

「あなただって身に覚えはない?」

「んー、俺は愚連隊だからな。そうじゃなくてもこんな乞食(こじき)みてぇな(なり)だ、下手に出てくるような相手なんかいやしねぇよ。みんな最初から強く当たりやがる」

「そう、なら早駆けは強いんだ」

「へ? い、いや、べ、別に俺のこたぁどうだっていいよ」

「なに顔赤くしてんの?」

「それはいいから! んなことよりあんたは花を売ってただけだろ? なのに連中箱を蹴っ飛ばしてさ、あそこまでしなくてもいいだろうに」

「仕方ないよ、みんなはけ口を求めてるんだから」

「仕方なくないって! おかしいよ」

「そう? あっちからすれば乞食も花売りも変わらないもの。それにあんな口を利かれたら誰だって腹が立つと思うよ。わたしだって……はけ口を求めているかもしれないね」

「あんたも?」

 どこか寂しそうな言い草に、早駆けはそう聞かずにはいられなかった。

「そう、みんないろいろ溜まってる。それをどこに逃がすか、どうやって相手にぶつけるか、自分のことでいっぱいなんだ。さっきの早駆けだってそうだったんじゃない? 生意気な口をきかれて怒っていたでしょ。生意気な女だ、減らず口、ってさ」

「う……。さ、さっきのちょっとした口喧嘩じゃねーか。口より身体に態度が出るって言ったのはあんただけど、俺はあんたを殴ろうとしなかったんだから、溜まってるものとやらをぶつけたかったわけじゃない。……そうなるよな?」

 彼女が言っていた言葉をなんとかつなぎ合わせて、そんな理屈をこね上げる。すると少女は、またしてもじっと早駆けを見つめながらこう言った。

「ありがとう。優しいね、早駆けは」

 身長は彼女のほうが少し高い。肩のあたりで切りそろえられた髪はぼさぼさだが色つやはよい。底抜けの脂だらけの髪とは違って、それなりに手入れされている。

 顔のほうは、彼はじろじろ見る気にならなかった。同じ年ごろの異性をじっと見たことがなく、気恥ずかしさが先に立ってしまう。

「優しくなんかねえよ。あんたが変わってるだけだ。ま、まあ……、ともかく、今回は助かった」

 照れ隠しに口を尖らせて顔を背けると、少女が笑いを深める。憎まれ口を叩くのかと思えば急に素直になる。早駆けは少女のそんな態度が気になりはじめていた。

「次もあれば、助けてあげようか?」

「次も、か。そんな目に遭わないようにしたいけどな」不意の提案に魅力を感じる。しかしその提案には、また失敗しているという含みがある。眇められた目にじっと捕らえられていると、また失敗してもいいような気分になる。早駆けはなんだか決まりが悪くなって、

「そうだ、忘れないうちに」

 と懐にしまっていた財布を取りだす。彼自身、今日の戦利品を見るのは初めてだった。成功してからここへ逃げてくるまで、確認する余裕などどこにもなかった。

 財布には紙幣一枚と硬貨が数枚詰まっている。あの老夫婦は当たりだったようだ。彼は財布から無造作に銭貨を抜き取る。五円金貨だった。早駆けは目をみはる。大金だ。このまま少女に渡すには惜しい。

 しかし抜いた硬貨を差し戻して、今度は額を確認してから取りだすのはいかにも不格好である。そもそもこれは彼の財布ではない。いくら渡そうが懐はちっとも痛まないのだ。見栄をはりたい思いもあって、早駆けはそのまま五円金貨を突き出す。

「ちょっと、こんなに受け取れない」

 少女は心底驚いたふうで、両手を交叉させてぺけ印を作った。

「捕まってたら五円どころじゃなかったんだ、受け取ってくれよ」

「ちょっとかくまっただけでしょ?」

「十分にその価値はあるよ」

「にしたって五円じゃ多すぎる。お釣りいるよね?」

「いらない。そのまま受け取ってくれ。もらえるもんもらっといて損はないだろ?」

「懐は損しないけどさ、……大したことしたわけでもないのに」

 このままでは押し問答になる。そうなれば口が達者な彼女に押し切られるかもしれない。どうすれば、と視界の隅のあるものに気づいた早駆けは妙案を得る。彼は木箱の上に並べなおされた花を手に取った。

「……じゃあこう考えてくれ、俺は自分の仕事でこの金を手に入れた。で、その金で俺はあんたから花を買う。つまりあんたも自分の仕事でこの五円を手に入れた。お礼を押しつけられたんじゃないし、共犯者になったわけでもない。これなら後腐れはないだろ?」

 早駆けの言を受けて少女はしばらく考えこむ。やがて言い分に納得したのか、「そういうことなら」とうなずき、おずおずと五円を手にした。

「素直に受け取ってくれたらいいのに。やっぱあんた、変わってるよ」

 ほっとする早駆けの額にかさついたものが当たる。彼女が少し首を突き出して、唇を押し当てているのだと気づくのに時間はかからなかった。

 髪をかき上げられた額を、温かく湿ったものが()う。これまで寒風に吹きさらされていたせいか、熱に接したそこだけが異様に熱く感じられた。熱は瞬く間に顔全体に伝っていく。

 少年はすぐに少女の肩をつかんでぐいっと離す。彼女から離れたのか、彼女を押して離したのか、自分が身を引いて離したのか。額から急速に温もりが失われていく。一方で顔を覆っていた熱は体全体を駆けめぐる。

「な、なに、を……」

 女の唇に触れられるのは、もちろん初めてだった。

「なにって、お仕事」

 少女は人差し指で唇をさらりと撫でた。乾燥してかさついているはずなのに、いやに(なまめ)めかしい。

「あなたが(それ)を買うのなら、わたしも売らなければならない(もの)がある。手は抜かないから安心して」

「花売りだろ?」

「花売りなんだけど?」

「花はもう買っただろ」

「花は見本。注文を入れただけでしょ」

 泰然たる花売りは早駆けの手を取り、狭い路地に引きこもうとする。

「全部頼む人なんて、あんまりいないんだよ。それでも五円だとお釣りが出るんだけどね」

「待って、なに言ってんだおめぇ」

 花売りから花を買って、それでおしまいじゃないのか。少年には少女の言動がさっぱりわからない。

 早駆けは路地をなす塀に手をついて踏ん張る。このまま引きこまれると恐ろしいところへ連れて行かれるのでは。

 愚連隊に入ってまだほんの数か月。早駆けにとって路地裏は異界といえる。戎にしてもスリにしても、目の前の女にしても。

 ふと花売りが引く力を緩めた。懸命に踏ん張っていた早駆けは、緩められた反動でつかんでいた花売りごと引き倒してしまい、尻餅をつく。早駆けからすれば押し倒されたような格好だ。相手はそれをはかっていたのか、うまい具合に肘を曲げて少年に指呼の距離まで迫った。

「路地裏の花がなんなのか、知りたい?」

 耳朶(じだ)に温かな吐息が触れた。ささやきが穴をねぶる。またしても熱感が全身を駆けめぐる。

 少年のなかで名状しがたいもの――彼自身なんと言っていいのかわからない――が身をもたげようとしていた。このまま少女に身を任せるとどうなるのだろうか。それに直面するのはなんとなく恐ろしい。知りたいと答えてしまえば深いところに落ちてしまうような気がする。

 視界の大半が少女の髪に遮られる。いくらかふけもついているが、早駆けにとっては不潔というほどのものでもない。下層民など髪を洗う機会が週に一二回あればいいほうだ。蒸気で湿った髪は煤煙の臭いが濃い。路地裏に佇んでいればいやでも(いぶ)されてしまう。誰でもそうなる。それでも早駆けは、少女の髪の香りに甘酸っぱさを覚えた。不思議な安心感がもたらされる。

 ――もしかしたら恐ろしいことではないのかもしれない

 そんなふうにさえ思えてくるほどだ。幾度も耳をくすぐる吐息が思いを助長し、少年に無限の熱を供給する。

 身体がどんどん熱くなっていく。焦らされているようでもどかしい。このままではなんだか困る。早く解消してほしい。

 ぼんやり顔の少年の肉を少女が撫でる。探るような手の動きを受けても、少年はされるがままだ。少しでもスリの経験があるのならば、このまま財布を盗まれるかもしれないという疑いを持ってもよさそうなものだが、いまの彼にはそんな考えがかけらも浮かばない。

 撫ぜる手が突然ぴたりと止まる。

 焦らすような熱が急速に引いていく。唇を離されたときと同じだ。

 むずむずとした陶酔を伴う恐れは一朝にして去った。名残りの熱だけが明け方の星のようにいつまでもとどまっていたが、それもほどなく没した。

 少年にはっきりとした意識が戻ってくる。

 花売りはおもむろに早駆けから顔を離した。

「気が進まない人を相手にしちゃったら押し売りになるのかな。進んで買った相手に押し売りっていうのも、筋が通らない話だけど」

 どこか遠慮がちに笑いながら立ち上がった少女は、「ほら、手を貸して」と倒れたままの少年の手を引いて立ち上がらせる。

「それにあなたも、もう少し勉強が必要だね」

 早駆けはそのことに関してなにも返さない。お見通しであるかのように言う彼女だが、彼自身はなにの勉強が必要なのかもわかっていない。しかしそれを彼女に聞いてしまうのは、なんだか情けないことのように感ぜられて結局、

「……で、五円はあれでしまいなんだな?」

 もういいだろ、と早駆け。しかし言外に、『あれが五円分なのか?』と物足りなさがにじみ出るのを隠しきれていなかった。もっと触れていてほしかった、と。

 しかし打ち切った相手に継続を求めるのも愚かしく思われる。少年に特有の、余裕を示したいという見栄が突っ張ったのだ。これがもし底抜けのような少年だったら(素直というか正直というかは別として)、思うところをそのまま口にしていただろう。

「質問があべこべだよ」少女がくすくす笑う。

「五円を払ってもらったのはこっちなんだから、それはこっちの質問。あなたが満足してるのならあれでおしまい。もし足りてないのなら、ときどきでいいから会いにきてくれると嬉しいかな。話し相手になってくれるだけでいいから」

「そんなので良ければいくらでも」

 今後も彼女と会えるのだという喜びが強まる。しかし『だけ』でいいのだろうか、というかすかな物足りなさも覚える。早駆けはあの熱の再来に期待してしまっていた。

「そんなの、じゃなくて、それがいいの。こんなところで花売りなんてしてるとさ、同年代の子と会う機会がほとんどないから。あなたは愚連隊の友達といつも一緒にいられるかもしれないけど」

「友達なんかじゃねえよ……」

 早駆けが吐き捨てるように言う。その意に少女が気づき、

「ごめん、嫌なこと言ったみたいだね」

「いいよ、あんたは知らないことだしな。それより、あんた、なんつうのも具合が悪いな……、名前は?」

「そう、ね……、早駆けの好きにしていいわ」

「なんだよそれ」

「もっとお互いのことを知ってから、ね」

 彼女の言葉に一喜一憂する。それはきっと感情の芽生え。

 その末に咲くものはなにか。彼はその名をいまだ知らぬ。

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