花に明日を託して
花売りの家はすっかり解体されて更地になっていた。
住人が消えたあばら家は通常ならば放置されて、またしばらくするとどこからともなく新しい者が住みつくのだが、花売りの家は殺人があったせいかばらされたようだ。
早駆けは更地に立ってつま先で地面をこする。湿り気を帯びた地面は茣蓙の下にあった当時のままだ。あれからここに誰かが足を踏み入れたのだろうか。
路地に捨てられていた新聞を読んだ限りでは、ここで起きた事件には触れられていなかった。警察が捜査をしたのか、いや、そもそも通報があったのかどうかもわからない。貧民街で非合法組織が起こした事態だ、いくらでも証拠を消せる。貧民窟の住人も居丈高な警察には反感をいだいている。仮に通報があったとしても、当の警察もこんな地域で起きた貧乏人が死んだ些細な事件にいちいち注力しない。
早駆けも警察を信用していない。汚いなりの少年が貧民街の流しの花売りが行方不明だなど訴えたとて、取り合ってくれるわけもないのは目に見えていた。迷宮入りという言葉があるが、ここではそもそも警察が迷宮に立ち入ろうともしないのだ。
早駆けは更地の角にかがみこむ。そこは家の中で少女が押し花を置いていた場所にあたる。いまは更地にした影響であちこちの地面がでこぼこになっていたが、もとの場所を早駆けは見誤らなかった。更地の状態で見るえぐれた箇所は驚くほどに浅い。上に板を敷いてあれこれを隠していたなど信じられないぐらいだ。なにも残っていないから余計にそのように映じるのかもしれない。
早駆けはそっと押し花を置く。
温かさをはらみだした早春の風に花が揺れる。
早駆けはすぐに花を手に取って、胸の内にしまいこんだ。
ここに置くのはなんだか違う気がした。
彼は更地を後にする。
森林公園へ花を置きに行こうか。そう迷いもしたが、結局行かなかった。
もしあの日に彼女がぎりぎりまで待っていてくれたのだとしたら……。
そう考えるととても足を運ぶ気にはなれなかった。それに 公園へは二人で行こうと取り決めていたのだ。一人で行くのは彼女を置いていくのと同じだ。
もしかしたら彼女と再開できる日があるかもしれない。早駆けはそうした希望も捨てきれずにいた。そんな明日が来るまで、約束は果たさずにおかなければ。
それは花売りに明日を見た早駆けが立てた操だ。
彼にできるのは、彼女を忘れないでいようと自分に約することだけだった。忘れろという隊長の命令に反していたとしても。
きっと忘れない。
明日を冀う〝花〟が路地裏に咲いていたことを。
自分がその〝花〟に明日を、明るい未来を重ねていたことを。
しかし明日咲く〝花〟の前には昏い影が立ちふさがっている。
少年が目指した明日と、そこに託した〝花〟は日陰へ沈んでしまった。
彼が日陰を脱するのはもっと先のこととなる。




