【3】winter 1
裕に睨まれた相手は彼女の存在をすっ飛ばして叔父に一礼して、そして改めて気付いたように裕を見る。
何だ、いたのか、と言うように。
そして。
「入学、できたんだな」とさらっと言った。
「おかげさまでっ!」裕はつんっと澄まして言う。
「その節はお世話になりましたっ!」
「いえいえ。上級生として当然のことをしたまで。ご入学おめでとう」
ちっとも、おめでとうって雰囲気じゃないーっ!!
むくれる裕を飛び越して、慎一郎は割って入った。
「私が頼んだのだから。忙しいところ、足労願ってすまない」
「いえ」
慎一郎は席を勧めた。自分の前に、つまり、裕の隣に。
慎一郎が呼んだという彼、つまり叔父の教え子の名は、岡部仁という。
少し浅黒い肌を持つ彼は、裕より2学年上にあたる。
彼女にとっては今日から同大の先輩だ。
そして、仁とは初対面ではない。
叔父を通し、何度も何度も顔を合わせている。
裕にとっては、初めて会った日のことを思い出すのも拒絶したくなるくらいの相手だ。
彼が隣に座ったことで、少したわむ座面が何とも座りが悪いソファーの上で、もぞもぞとおしりを動かす。
「裕、彼は……」
言いかけた言葉を遮って、裕はスパッと言う。
「岡部仁。名前ぐらい知ってる」
「人の名前を軽々しく呼び捨てするな」
仁は即応する。
「まあまあ」と慎一郎は2人の間に割り込んだ。
そうしないと彼の姪は一言も二言も言い返しかねないからだ。
「仁……いや、岡部君。姪が失礼した。裕、人の話の腰は折らない。お前は言い返す前にまず人の話を聞くクセを身につけなさい。今のお前の態度では、我が校はもちろん、どこへ行っても通用しない。学べるものも学べなくなる」
お口にチャックしろ、ってのね。わかったよ。
裕は沈黙をもって答えた。
はあ、と小さくため息をつき、慎一郎は二人に向き合う。
「岡部君。君に来てもらったのは他でもない。君は当校でも1,2を争う英語の使い手だ」
「お褒めを頂く程のものじゃありません」
「いや、あるのだよ。その君に、たっての願いがある」
「何でしょう」
「そこの不肖の姪に、英語のレクチャーをしてやってはもらえないだろうか」
「えーっ!!」
裕は叔父の言葉の途中ですっとんきょうな声を上げた。
「叔父さん、何? 何言っちゃってんの?」
姪のことはサクッと無視して、慎一郎は続ける。
「君は我が校の入試でも協力を願っている。実力は折り紙付きだ。付け焼き刃でどうにもならない姪の英語力に活を入れてやって欲しい」
「先生、先生はホントに俺をかいかぶりすぎているようですが、俺に何ができると……」
「君にしかできない」
「他に適任者はいくらでもいるでしょう、功や麗や……」
「麗って、柴田さんのこと?」裕はくちばしを挟む。
「叔父さん、どうせなら私、柴田さんの方がいいなあー。だって、かっこいいし、やさしいしー」
「王子様みたいだってか?」受けて仁は吐き捨てる。「バカか、お前」
「裕、今は君と話してはいない。少し黙るように」
慎一郎は命じた、犬に躾けるように。
裕は下唇を突き出した。
「確かに柴田君も優秀だ。南井君も適任と言える。けれどね、仁。君は私の頼みは断れないハズだよ」
仁はぴりっと片眉を上げた。「あっ」と声を上げ、「ええーっ」と背もたれにどすんと身を投げる。
「先生、俺をキョーハクするつもりですか」
「生徒に対して私が? まさか」
慎一郎が、『自分はとっても善良な人間です』という表情をする時、ろくな事にならないことを、彼を知る人程よく知っている。
仁は――知っている側の人間だ。
「いや、まさかって、今言ったことはそうでしょうよ、ああー、ちくしょう、だって先生がズルズル先延ばしにしてくれたからですね、俺の方は去年の中頃からずーっとお頼みしていたわけで、時間は十二分にあったはずで!」
「昨年は受験対策委員にあたってしまってね、何かと時間を取られてしまったんだよ」
しれっとして答える教官に対し、へどもどしながら仁は問う。
「じゃ、まだ、まさか、まだ、そのう」
「あらかた整っている。今日にでも渡せるよ。君の返答を聞いてからになるが」
「ひでえー! うわーっ!」仁は悶絶した。
「で、どうかね」
「どうかね、って……ええーっ!」
「断っちゃえ」裕は、人ごと他人事のようにさらっと言う。
その彼女に、仁は鬼気迫る表情で何かを言いかけた時だった。
こんこんこん
ドアが3回ノックされる音がした。