【4】検定倶楽部の人々 6
◇ ◇ ◇
ああ、もう、サイアク!
必要書類が入った、校章入りの真新しい紙袋を下げながら、裕は肩を怒らせて駅の改札を出た。
誰が悲しゅうて、大学生の身の上で、中学英語を復習せねばならんのだ。
やっぱり、言いつけ守る義理はないもんね。
改札を出た真ん前にある駅前の本屋の軒先には、語学講座のテキストがうず高く積み上がっていた。
裕は足元に目線を落とす。
爪先が尖った革の靴に慣れていなくて、さっきから足が痛い。爪先も踵も全部痛い。
知らないもん。だって、足が痛いんだもん。きっと靴擦れしてる。もう歩くのやだ。
早くおうちに帰りたい。
裕は本屋など存在しないかのように通り過ぎ、少しでも早く本屋から遠ざかりたかったが、足が痛くてままならない。のろのろと亀さんのような歩みで帰宅の途についた。
◇ ◇ ◇
辿り着いた先では、伯母が陽気に「お帰りなさい」と彼女を迎えた。
母の姉である道代は、母を月とするなら太陽といった案配で、似ているところはほとんどない。
あらゆるところが丸く、性格も丸く、陽気この上ない。
裕には、親戚と呼べる人は慎一郎と道代一家だけなので、親戚付き合いの難しさは良くわからない。たくさんのいとこ達と遊んだ経験もない。
学校で、よくいとこたちとのあれこれを話す同級生たちが内心羨ましかった。
その点では、きょうだい話にも縁がなかった。
誰それのお下がりを嫌がる友と同じ話ができない。彼女はひとりっ子だったから。
裕は、大家族とか、ひとつ屋根の下でわいわいという生活にちょっと憧れていた。
青山の本家に、両親と慎一郎、そして道代に悟にいとこが加わった図を想像してみた。
それはとても幸せな一家の図なのだろうか?
ちょっと違う気がする。
私の願いは、ないものねだりなんだわ。
裕はため息をつく。
家族の数は少なくても、両親の仲は彼女の年代を思えば良好と言えた。そこは良いではないか。
親子そろって、たとえ一方通行であろうとも、言い合いができる環境ができていたのだから。上から押さえつけるような育て方をしない両親には感謝しよう。
一応。
それに、道代伯母は、嫌な人ではない。
「裕ちゃん?」
まじまじと見返す姪に、道代は言う。
「どうかした?」
「ううん、伯母さん、ただいま」
「はい、おかえりなさい。あら、浮かない顔しちゃって」
「あのね」
「どうかした?」
「足が痛くて。参っちゃった」
「あら、やっぱり靴擦れ起こしたのね、ヒールの靴に慣れてないから。どこが痛い? 踵? 足の外側?」
「踵が超痛い。でも、親指の付け根あたりもちょっときつい。小指も」
「後で、靴、少し広げておいてあげるわね」
「伯母さん……」
「ん?」
「今、ちょっと感動した」
「感動?」
「自分ん家に帰ってきた気がして、いいなあ、って思ったの」
「それは上々」
道代はカラカラ笑う。
「じゃ、もっと慣れてきたら、お説教もしなくちゃね」
「えええー、私、叱られるんですか?」
「もちろん!」
「あはは、お手柔らかに」
「早速絞られてるのか」
居間からひょいと暖簾を分け、顔を覗かせたのは裕の父、政だ。彼の後に母の加奈江もいる。
「あら政君、お久し振り」
道代は今気付いたように入った。
「お久しってことあるかい、随分と前から上がってるだろうが」
「あー、そうだった。いつの間に入り込んでいたのかしらー? 昨日来た時はあっという間に帰ったのにねえ?」
政はぷいっとそっぽ向く。
「その前は母さんの四十九日だったわねー、うちの娘が日本にいる間に済ませたんだったわね。母さん死んじゃった時は大雪で! もう大変だったわねえ! そうだ、裕ちゃんもよね。受験と重なったのよね」
「……うん」
ちり、と胸の奥が痛む。