零れゆく
チュンチュン、と小鳥が囀ずる。眩しい日の光が窓から射し込んでいた。
姫は硝子のない窓の枠から顔を上げる。いつのまにか眠ってしまっていたようだ。
昔の夢を見ていた。琴の騎士がいて、呪われていなくて、ただただ歌が好きだったあの頃。
「琴の騎士……」
あの人と同じ音色を奏でる少年。騎士の格好をしている琴弾き。その姿は聞いていた"琴の騎士"の姿と完全に一致していた。
だからこんなことを思い出すのだろう。あれから百年以上経つ。彼はもう生きてなどいないはずなのに。
あれからどれほど時が経ったかなど、正確な時は姫には計り知れない。もう何度、この塔で向こうに沈む夕日を見たことか。ここからの景色も、姫の容姿も、さして変わってはいないのだが、多くのものがなくなってしまった。姫のいた王国も姫の力のために滅び、今は跡形もない。唯一、琴の騎士について調べてくれた門番の末裔が生きて近くの村に住んでいるそうだが、姫は直接会ったことは数えるほどしかない。
王国の民の多くが、姫の目の前で死んだ。姫の父も、母も、騎士たちも、皆。
「思えば、あのときからおかしくなったのよね……」
姫が初めて琴の騎士の伴奏で歌った日。あの日から王国では原因不明の人死にが出始めた。
姫の歌声にいつ呪いがかけられたのかは定かではない。誰がかけたのかも。ただ、姫の歌を聴いた者が、苦しみ悶え、死んでいった。人により多少の時間差はあれど、確かに死んでいた。
けれど、姫は歌うのをやめなかった。
「だって、歌っていたかったんですもの。……でも、業かしらね」
人を苦しめるとわかっていても、姫は歌うことをやめなかった。やめたくなかった。
あの琴の音の中で歌うのが、幸せだったから。
「明けて昇りし日の向こう」
姫は歌った。
「今日の空も青しと」
罪だとしても、彼女に残されているものは、歌だけだったから。歌うことをやめるときは、彼女が死ぬときだろう。
歌いながら、呪いが発現してからのことを思い出す。
「姫さま、やめてくださいまし。歌わないでくださいまし。あた、あたくしはまだ、死にとうございませんっ!!」
そう言って逃げた乳母がいた。乳母以外も、似たようなことを言っていた。
母親である王妃などは、料理に毒を混ぜて、姫を殺そうとした。
「明日も同じ……い、ろ、だろ……か……」
思い出すうち、姫の頬を温かいものが流れていく。
全てががらがらと崩れ出したあのときの記憶。どれほど時が過ぎようと、色褪せてはくれない。
「し、らずに……うぅ……」
伝い落ちるものを、どうやって止めたらいいかわからない。姫はそれ以降を歌えず、腕の中に顔を埋めてしまう。
嗚咽が零れそうになったそのとき──
「知らずに飛び交う白鷺
答え得るはずもなく」
声変わりをまだしていない少年の声がした。澄んだ声ともの悲しげな琴の音。二つが森の空気を震わせる。
ろん、と最後の一音が震えると、その音の主が言った。
「どうなさいました? 姫君」
気遣わしげなその声に窓から顔を出すと、真下にいた藍色の瞳と出会った。