懐郷の調べ
「さて、こちらは準備が整いましたが、始めてもよろしいですか?」
少年は宿屋の主人に問いかける。見れば、少年の前には何人もの村人が集まっていた。
「おう、始めてくれ。ほら、じいさんもこっち来て一緒に聴こうぜ」
主人が少年の前で立ち尽くしていた老人を客席側に引き込む。
そうして始まったのは、琴の弾き語りだった。
「遥か彼方 海を臨む」
少年が声変わりしていない透明な声で歌い上げる。客は皆、琴の音と軽やかな歌声に聴き入っていた。ただ一人、老人だけが驚愕に目を見開き、息を飲む。
「王国の栄華 民の喜び
いずれ必ず消ゆるものなれども
それまでその地に幸多からん」
続きを聴き、何やら確信を得た老人は思わずなんと、と呻く。
後奏の最後の音を爪弾き、それが止むと少年は立ち上がり、一礼した。会場に拍手が起こる。ありがとうございます、と少年は微笑んだ。
さてもう一曲、と座りかけた少年に、老人が声を上げた。
「何故、その曲を……」
「ああ、やはりご存知でしたか。貴方の祖国の歌ですものね」
さらりと言ってのける少年。その言葉に驚いたのは、老人だけではなかった。主人が目を丸くして言う。
「おいおい、このじいさんの祖国って。大分昔に滅んだ王国のことかい? 祖国っつっても、このじいさんはその国の生き残りの末裔で、実際国が滅んだのは百年以上も前の大昔だぜ? なんで若い琴持ち殿が知ってんだ?」
老人が大昔に滅んだ国の末裔だというのは、村中に知れ渡っている。故に、主人が口にしたその疑問はその場の全員の心中を代弁していた。
「ふふ、それは内緒ということで、どうか一つ。代わりに長い語りを一つ、謳いましょう」
少年は笑んで、再び琴を弾き始める。誰も、それ以上追及しようとはせず、琴の音に合わせて紡がれる物語に耳を傾けた。
ただ一人、老人だけがじっと少年を訝しげに見つめていた。
琴の騎士──この少年は、一体何者なのだろうか。
西の塔の姫の呪いも受けず、老人の祖国、ひいてはあの姫の故郷である王国の歌を知っている。
老人は、あの国で生き残ったのは、自分の先祖と西の塔に送られた姫だけだと聞いていた。先祖はある役割のために西の塔に最も近いこの村でずっと過ごしていたという。十代半ばほどにしか見えないこの少年が、王国の存在を知っていること自体、信じがたいことなのだ。
少年の小さな演奏会が終わり、客がいなくなったところで、老人は少年に問いかける。
「貴方は、何者なのですか?」
すると少年は、弦を一つ、適当に弾いた。ろーん、とどこかもの悲しげな音が響く。
「琴の騎士ですよ。もうお忘れですか? 門番さま」
少年の紡いだ最後の一言に老人は衝撃を受ける。
「どこまで知っているのです?」
思わず、険しい声で問い返す。けれど少年は目を丸くして、何のことでしょう? と惚けるばかりだった。
「さて、老人さま。夜も大分更けました。早く床についた方がよろしいのではないかと。僕もそろそろ失礼いたします」
そう言い置いて、少年はさくさく宿屋の奥へ消えていった。
老人は険しい表情のまま外に出る。見上げると、藍色の暗い空の中、月が煌々と村を照らしていた。
──Pre.交錯──
D.S.へ──