ひとときの邂逅
一の詩を歌い上げ、間奏が緩やかに流れていく。琴の音が止まないことに姫は安堵の息を吐く。王国にいた頃は、一節を歌っただけでも、倒れ、そのまま目覚めなくなる者が多くいた。この百年近い間にも、偶々塔の近くを通った旅人が、そのまま倒れて動かなくなるという事態がままあった。その度、姫は絶望していた。
けれど今、そんな姫の胸中におよそ百年振りの希望が射し始めていた。この人なら、最後まで聴いてくれるかもしれない、と。
琴の柔らかな独奏が終わり、姫は静かに息を吸い込む。
「明けて昇りし日の向こう
今日の空も青しと
明日も同じ色だろうか
知らずに飛び交う白鷺
答え得るはずもなく」
ゆったりとした後奏が流れ、姫は歌の余韻に浸るように目を瞑った。耳障りのよい滑らかな琴の音。最後の音がろん、と響く。
「お見事です、姫君」
琴の余韻が消えると、少年は姫を見上げて微笑んだ。姫は少年の笑顔にほっとしながら、ありがとう、と短く返す。それから、歌う直前までに抱いていた疑問をぶつけようか悩んだが、久々に気持ちよく歌えた喜びを萎えさせたくない、と留まる。
それに、もう日は落ちて、空は藍色に染まりつつある。この少年にも行く先はあるだろう。これ以上引き留めるのは少年に悪い。
「あれ、もう日が沈んじゃったんですね。これだと、元の村に戻らなくては」
少年は日の消えた彼方を見やり、そう言った。
「ごめんなさい。引き留めてしまいましたね」
「いえいえ、お気になさらず。僕の用は急ぐものでもございませんし。今日はまた近くの村で宿でも探しましょう」
少年は琴を布袋に仕舞いながら言う。さくさくと身仕度を整える少年に、姫は声をかけた。
「今日もその村からいらしたの?」
「ええ。この近くに村なんて一つきりですし」
「ならば、明日も」
姫はそこで一瞬躊躇うも、こう続けた。
「明日も、ここに来て、琴をお聞かせくださいな。貴方の音色、気に入りました」
その言葉を受け、少年はおもむろに、腰に挿した唯一の武器──武器というにはいささか心許ない短剣をすらりと抜いた。鈍色の刃が月の柔らかな光を受けて煌めく。
「姫君のお気に召したとは、恐悦至極にございます。喜んで承りました。明日もここに立ち寄りましょう。この剣にかけて、お約束いたします」
少年はそう応じ、去っていく。暗がりのせいで表情はよく見えなかったが、彼が微笑んでいたように姫は感じた。