"ことのきし"
ぱたりと門番が本を閉じ、姫は知らず詰めていた息を深く吐き出した。
聞くうち、姫はなんとなく思い出していた。この話、遥か昔に王国で聞いていたおとぎ話だ。幼い頃、乳母に読んでもらったかもしれない。
そんな懐かしさを感じる傍らで、姫には引っ掛かることもあった。門番の語った物語は、姫の記憶の中の話と食い違う点がいくつかある。本当なら、姫の国は滅びてしまって、その後貧しい生活を強いられていたはず。琴の騎士は火事から逃げ遅れて、身代わりになった姫が大火傷を負い、それを助けるため騎士は指の記憶を捧げて琴を弾けなくなった。
何より騎士は城にいたときから姫とよく会っていて、だからこそ姫が死んだとき、もう一度会いたい、と思ったのだ。この話は大きくずれているような気がする。
「どうでしたか? 姫様」
問いかけてくる門番に姫は答えかねる。門番が嘘を吐くような人物でないことを知っているだけに戸惑う。
「お気に召しませんでしたか?」
「いいえ! そんなことはありません」
咄嗟に否定するが、語尾が尻すぼみになってしまう。小さく「でも」と口にした。
「でもこの話には、違和感があります。私の知っているものに似ているけれど違う。ほんの少しの違いかもしれませんが、それでも何か腑に落ちません」
門番を見下ろし、瞳で問う。門番は心持ち固い表情で、こう返した。
「姫様はご存知ですか? "琴の騎士"という言葉の中にいくつもの意味が込められているのを」
突然方向のずれた問いに、姫は一瞬虚を衝かれる。それから門番が話をはぐらかそうとしているように思えて、むっとした。
「知りません」
姫は不機嫌に答える。それを気にした風もなく、門番は続けた。
「最も一般的なのは"琴を弾く騎士"で"琴の騎士"ですよね。他にも口が聞けないことから"普通とは異なる騎士"ということで"異の騎士"ともされていました」
「そこまでなら、知っています」
あまり快い思い出ではない。城にいた頃の"琴の騎士"は他の兵士たちに後者の意味で呼ばれ、蔑まれていたのだ。姫の中に苛立ちが募る。
「では、もう一つの意味もご存知ですか?」
「……もう一つ?」
その問いに姫はきょとんとする。思い当たらない。
「その絵本の"ことのきし"は古くにあった王都の騎士でした」
姫のおうむ返しに答える声は姫の真後ろからした。姫は驚きに振り向くと、そこには。
「本来のその物語では最後、騎士は滅んだ王国と姫のことを歌い歩き、語り継いでいきます。やがて彼は人々から"古の都より来たりし騎士"──"古都の騎士"と呼ばれるようになるのです」
黒みがかった茶色い髪。その奥に佇む藍色の瞳は夜空よりも尚深く──そんな少年が立っていた。騎士の鎧に所々土埃をつけて。
「琴の、騎士……」
「ええ、僕は"ことのきし"です。姫君、お迎えに上がりました」




