命の行き先
そこまで読み、まだ話が続くようであることに、老人は眉をひそめる。
この物語の琴の騎士と姫は、王国が顕在していた頃の姫と"琴の騎士"によく似ている。挿絵に描かれた姿も、二人の特徴と一致しているからかもしれない。黒髪で夕焼け色の目をした姫と、夜空のような目をした黒みがかった茶髪の琴弾き。そのままあの二人ではないか。
ただのおとぎ話なら、「二人は末永く幸せに暮らしました」などと結んで終わりそうなものだが、まだ文は続いていく。
老人はぴらりと一枚めくった。
騎士が爪弾き、お姫さまが歌う──そんな小さな幸せの連なりは、そう長くは続きませんでした。
二人の暮らしていた住居が、火事になったのです。他の者たちは早くに気づき、逃げたのですが、目の見えぬ騎士は一人、逃げ遅れてしまいました。お姫さまはそのことに気づくなり、皆の反対を押し切り、火事の中へ戻ってしまいます。
騎士を見つけたお姫さまですが、辺りはもう火の海。逃げ道がありません。そこへ燃え朽ちた柱が倒れかかり──
どしゃあっ!!
騎士を庇ったお姫さまが大火傷を負ってしまいました。
騎士は泣き叫ぶこともできず、ただ心の中で嘆きます。
「姫君が、姫君が死んでしまう! 僕のせいで……本当に焼かれるのは、僕の腕だったはずなのに!!」
無意識でしょう。光を返さない騎士の目は、己の腕を見下ろしていました。
「この腕がなくなってもいい。本当はなくなるはずのものだったのだから。だから、姫君を……姫君の命を!!」
「また愚かにも願うか」
騎士の祈りに、以前も見えた声が応じます。
「人はいつか死ぬものであろうに、なにゆえそこまでして繋ぎ止めようとするのやら。これ以上続けると、お前が死ぬぞ?」
「お願いです。どうか姫君を……!」
「やれやれ、もはや聞く耳持たぬか。まあ、そういうなりふりかまわんところも嫌いではないが。よかろう。お前の指の記憶をもらう。もうあの美しい琴は弾けぬぞ。よいのか?」
「姫君は助かるのですね?」
「ああ。愚問だったな。しかしな、あの姫を助けるのはこれが最後ぞ。もう我は応じぬからな」
直後、お姫さまが目を覚ましたらしく、辺りはちょっとした騒ぎになりました。
しかし、それから数日……お姫さまは眠るようにこの世を去りました。
騎士は絶望しました。指の記憶を捧げてしまったがために、彼はもう弔いの歌すら贈れません。
姫君を取り戻したい──知らず、そんな願いが騎士の心の中に浮かびます。そう思い始めたら、願いがどんどん溢れてきます。
姫君の笑い声を聞きたい、他愛のない言葉を交わしたい、王国の話をして懐かしみたい、手を握るだけでいいから触れ合いたい、もう一度歌を聴きたい。
姫君に、会いたい。
「もう、僕の願いなど、聞いていないでしょうが」
騎士は心の内で祈ります。親切すぎたあの声に。
「僕をもう一度姫君に、会わせてください」
届かないだろうと、半ば諦めて。
「愚か者が」
意外にも、答える声がありました。
「死んだ者はもう戻らぬ。それが世の理ぞ」
「愚かなのはわかっております。ですが、譬、我が身を捧げても」
「たわけ!」
その声には今までにないほどの怒りがありました。
「姫に会いたいのはお前なのに、お前が死んで、姫だけ生き返ってどうする。願いが叶わんだろうが」
はっとしました。確かにそのとおりです。途端に騎士は、視界が拓けたような気がしました。そして実際、拓けていたのです。目の前の景色が見え、自分の手があり、足があり──まさかと思って声を出すと、掠れてはいるものの、「あ」と言う自分の声がその場に落ちました。
「これは……!」
「これまでお前から奪ったものを全部戻してやった。姫は死んだからな。だから、お前はこの先自分で姫を探せばいい」
「探す、とは?」
「何かが死んだとき、別の場所で何かが生まれる。それが自然の理というもの。もしか何かの拍子で、お前の"姫"がひょっこり生まれることもあるだろうさ」
見つかるかどうかもわからない。それどころか生まれるかどうかもわからない存在を追い求めるのだと声は言いました。
「それでも、いつか姫君に会えるかもしれないのなら」
そう告げて騎士は歩き始めました。
琴を弾きながら騎士はお姫さまの好きだった歌を紡ぎます。もし再びお姫さまが生まれたら、この音色で気づけるように。そして何より、誰かが、自分が、お姫さまを忘れないように。




