贈りもの
誰も彼も眠りについて静まり返った部屋から、姫は足早に立ち去った。歩調は徐々に速くなっていく。気がつけば姫は走っていた。
行く宛などない。何も考えたくなかった。大好きな歌を歌って、こんなにも気が晴れないのは初めてだ。何故、何故、自分の声はこんな力を持ってしまったのだろう。人を殺してしまうのだろう。呪われているのだろう。
答えのない問いをぐるぐると頭の中に浮かべながら走り続ける姫は、不意に立ち止まった。辿り着いたのは姫がいつも夕刻に歌う窓が開け放たれた広間。歌は日暮れの合図でもあるため、国中に広がるよう、その広間には特殊な設計が施されていた。
故に、音がよく響く。いつもなら気にならない自分の足音が、姫にはやたら大きく聞こえた。
姫がその広間に入ったのは、人影があったからだ。
「楽師さま?」
「ああ、姫様」
そこにいたのは竪琴を携えた壮年の男性。姫の父である国王に仕える楽師だ。姫も面識があった。
「お久しゅうございます。お待ちしておりました」
「待っていた、ですか。私を?」
「はい」
面識はあっても、そこまで親しい間柄ではない。故に「待っていた」という一言がどうも引っ掛かった。すると姫の疑問を感じ取ったように楽師が続ける。
「自分は代理でしてね。あの子は自分では上手く伝えられないものですから」
「あの子?」
「"琴の騎士"と言えば、わかりますかね」
姫ははっとした。
「では、もしかして貴方が」
「やはりご存知でしたか。はい。彼は義子です」
頷いて、楽師は姫に歩み寄った。おもむろに、懐から武器としては心許ない大きさの短剣を取り出し、姫に差し出す。
「これを預かって参りました。あの子の持つ唯一の武器ですが、姫の身を守るために役立ててほしい、と」
口を聞いたことは当然ないし、会ったこともない。だが、その琴の騎士からの贈り物は姫の心をすっと軽くした。姫は丁重に受け取る。
「ありがたく、頂戴いたします」
「そう畏まらないでください。貴女は姫君であられるのだから」
曖昧に柔らかく微笑み、姫はすらりと短剣を鞘から抜いた。それを見つめ、楽師は悲しげに眉根を寄せる。姫が何をしようとしているのか、悟ったのだろう。
「では早速、使わせていただきますね」
言うなり、姫は逆手に持った刃で自らの胸を突いた。




