西の塔の伝説
──Pre.交錯──
遥か昔のこと。
西の白い塔にはそれはそれは美しい歌声の姫君が囚われていたと言います。
今はどうかはわかりません。何故かって? それは姫君の歌を聴いた者は皆、死んでしまうからですよ。故に、あの塔には誰も近づかない。姫君はその力故に、幽閉されているのですから。
貴方も、行かれぬ方がいい。森の外側を回っていった方がよろしい。随分回り道になってしまいますが、獰猛な獣などはおりませんゆえ、安全です。貴方はまだお若い。まかり間違って姫君の歌を聴き、志半ばで命を落とすこともありますまい。
「面白い物語でした。ありがとうございます、老人さま」
こじんまりとした家の建ち並ぶこじんまりとした村の片隅で、鈍色の鎧に身を包む少年が目の前の老人に言った。騎士のような立派な出で立ちの少年と粗末な服を身にまとった老人、という取り合わせはかなり目立っていた。何より目を引くのは二人の雰囲気。少年の方は十代半ばほどに見える幼い顔立ちも相まってか、かなり柔和そうに見える。騎士ならば持っていてしかるべき剣や槍といった武器の類が一切ないのが、いっそうそう見せるのかもしれない。対する老人の剣呑な雰囲気ときたら。この少年に少しばかり分けてやったらいいのではないかと思えるほどだ。──つまりこの二人は纏う衣装と雰囲気が逆であるような、そんな違和感を放っていた。
「これは実話ですぞ、騎士殿。この話を老いぼれの戯言と一笑にふして西の塔へ向かった輩は数知れず。その悉くが帰ってくることはありませんでした」
「死んだとは限りませんよ。もしかしたら、姫君を口説いている方もおいでかもしれませんね。こんなおとぎ話のような姫と添い遂げることができるなら、西の塔に貼りついてでも暮らすかもしれません」
少々物騒なことを言う老人に怯えるどころかにこにこと楽しげに言ってのける少年。ところが老人は少年の言葉を即座に否定した。
「それはありません。あそこは姫の幽閉後、上り下りができぬよう、階段は壊され、梯子も外されたのです。遥か塔の最上階に暮らす姫に会うこともできますまい」
「おやおや、それは大変ですね。けれど、それでは姫君も上り下りができないのでは? ただそこにいるだけ、では飢え死にしてしまいます」
「その心配はございません。姫は不老不死ですから」
そう告げた老人の声が重たく場に落ちた。辺りがしん、と静まり返る。もっとも、近くに二人以外の人物が誰もいないからかもしれないが。
「なるほど。それでは姫君も大層退屈しておられることでしょう」
重々しい沈黙を破ったのは、空気に反していささか呑気すぎる少年の声。そこから少年は、足元に置いていた肩掛け用の丈夫な紐のついた布袋を持ち、にこやかに老人に告げる。
「では僕は、姫君の退屈しのぎに行ってみましょう」
「退屈しのぎ、とは?」
意表を衝かれ、きょとんと問いかける老人に少年は悪戯っぽく笑んで答えた。
「僕は"琴の騎士"、なんですよ」
驚きに目を見開く老人を置き去りに、少年は鼻歌混じりで歩いていった。
西の塔へ、日が沈んでいく。