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クァドリフォグリオ999年

 挿絵

『(キースインク絵画、ソルト・ビールマン氏の4200年頃の作品。晩年のジョンが親友であるナデューラと杯を交わす様子が描かれている。)』



ーーーこちらで一緒に呑もうじゃないか。

“酒の探求者” ジョン・ビスキー(4118〜4212)



◆◇◆



 クァドリフォグリオ999年



 先日、遂に私自身の最後の作品として手がけたオーク果実酒『フォア・リーヴス』がビスキー酒蔵から発売された。このフォア・リーヴスは私が初めて味わったエルヴンリカーと、私のかけがえのない友人に由来している思い入れ深い酒である。オーク果実特有の瑞々しい酸味と奥ゆかしい渋味を諸君らにも心ゆくまで堪能して欲しい。私が長年掛けて再現した思い出の味だ。きっと諸君らも気に入ることだろう。

 本来ならばこの場でレガシーを全て記したかったのだが、それを書くには余白が足りない。なのでフォア・リーヴスにまつわる思い出話を余白一杯に書かせてもらうことにする。飲む前に一度、是非とも読んでくれたまえ。



 懐かしくもなんともなく、昨日の事の様に思い出すことができる、それほどまでに脳に深く焼き付いた思い出である。

 あれは私が冒険者として身を立てる前、まだ学院に席を置き、勉学に励んでいた時の事だ。

 当時の私はそれなりに優秀な学徒であったが、なまじ優秀であったせいか学院での勉学に興味を持てないそれなりの問題児でもあった。何よりも先ず自身の欲望に忠実であり、教授の講義なんてものを真面目に聞くつもりも無かった。いつも特定の悪友らと寮の一室に引きこもり、惰眠を貪り、酒を呑み、賭けに勝っては娼館に通ったりしていた。こと酒に関しては今の私を見て察せられるだろうが、一際愛執していた。

 しかし、そんな私ではあったが、あのナデューラに“妖精転ばし”でとことん勝ち越した日の、その翌日だけは実に殊勝な学徒となっていた。学院に入る前にちゃんと象牙塔の儀を済ませて一人前になったというのに私は年甲斐も無くはしゃいでいたのだ。

 と言うのもナデューラとは“妖精転ばし”で負けた方が勝った方にとびきりの一杯を奢るという誓約をしていたためである。エルフという種族は義理堅く誓約を必ず守るし、家ごとに代々伝わる秘蔵のエルヴンリカーはそれは有名であるし、あれの家は中々に由緒正しい家柄だとどこから風の噂で聞いたのでかなり期待出来る筈だと、そう私は踏んでいたのだ。


 まぁ、結論から言えば、その期待は良くも悪くも大幅に裏切られたわけなのだが。


 あの日、未だ見ぬエルヴンリカーへの多大な期待感で殊勝な学徒と化していた私は、ナデューラと共に実習課題を誰よりも早くに終わらせて教授を発狂一歩手前まで驚愕させ、その隙を見て学院本館を飛び出し、セリアンばりの素早さで寮の自室へと向かった。自室に着くと私は部屋を綺麗に掃除し、酒の肴を用意し、エルヴンリカーを迎える用意を整えて、備え付けのベッドの上に座して待った。

 ナデューラもナデューラでいそいそと自室に戻り、大層勿体ぶった様子で小瓶を大事そうに抱え、私の部屋へとやってきた。いつもニヒルな態度でいるナデューラもこの時ばかりは興奮からかその整った美貌を紅潮させ、それを変な形に歪め、なよなよとした雰囲気であった。何やら伏し目がちにエルフ特有のそのひゃらかひゃらかした髪を弄くり回してなどいるのだ。

 私はそんな気色悪い様子のナデューラを視界の端に入れつつもあまり気に止めず、それより抱えられている淡い光を放つ小瓶に目を奪われていた。この世に生を受けてから二十と数年、光る酒など見たこともなく、独特な意匠の小瓶から漏れる揺らめく精霊的な灯りはそれはそれは蠱惑的なもので私の神経を大いに昂ぶらせた。

 そんな私の興奮した様を見て気を良くしたのか、ナデューラはこの酒を持ち出すのにどれほど苦労したかを朗々と語っていたが、その鈴のような良く通る澄んだ声は私の右耳を通ってそして左耳から抜けていった。

 私は視線をゆっくりと小瓶本体からリカーラベルに移した。

 小瓶に貼ってある年季の入った色褪せたラベルにはナデューラが常日頃から見せびらかしてくる四葉をあしらった家紋と『クァドリフォグリオ・3135・ユグドラシル樽』と読める古文字が描かれている。

 エルヴンリカーの銘はその家の家名から取られるというのは、酒を嗜む上での基礎知識だから、クァドリフォグリオがナデューラの家名であるということには真っ先に気付いた。クァドリフォグリオ家はセイバ林のエルフ街においてオーク果実の栽培で最も名の通った名家であった。

 また製造年が3135年で、熟成期間がこの時丁度999年。999年物は俗にトリプルナインと呼ばれておりエルフの果実系リカーの瑞々しさが最も際立つ期間であり、そのため市場に出たトリプルナインは元々希少なエルヴンリカーの中でもさらに貴重であることからその価格は極めて大きく膨れ上がる。このエルヴンリカーは今この時丁度飲み頃だったのである。

 何より驚いたのはあの世界樹ユグドラシルを酒樽に使っているというのだ。世界樹に手を出すなんてそれこそ名うての森エルフにしか出来ないことで、市に出回る極小量のユグドラシル材もその殆どが武具などに使われてしまっている。それを惜しげも無く酒樽にするとは当時考えられない事であった。

 私がその事実を知って驚愕しているとそれをナデューラは耳ざとく感じ取ったのだろう、今度は声高々に我が一族がどれほど歴史ある名家であるかを朗々と語りだした。ナデューラの苦労話など全くどうでもよかったがクァドリフォグリオ一族の逸話については聞き逃せなかった。

 酒を語る上でそのレガシーは極めて重要であり貴重である。文化、気候、土地、製法、時代背景、それらはすべからくリカーの味自体に直接影響しうるものであり必要不可欠な情報であることからその一つ足りとも聞き逃すことはできない。また酒を飲む前にはその由来を必ず語るのが当時の礼儀のようなものでもあった。

 ナデューラは私の聞き入っている様子をちらと見てさらに興が乗ったのか、長い永い一族の伝記をなんと初代クァドリフォグリオの立志伝から一部始終語りはじめた。ナデューラ本人の話に至るまでに何とか切り上げたがそれでもその語りは二刻に及んだ。長いだけあって充実したものではあったのだが、ずっと前のめりの体勢で聴いていたせいか私の肩と腰は柱のガーゴイルのそれと同じようになっていた。

 ナデューラの語りの中でも特にクァドリフォグリオ三世の『探樽奇譚』のくだりは実に含蓄に富んだ深みのある話で、私は聞き入ってしまった。

 クァドリフォグリオ三世はオーク果実酒に最適な樽木材を見つけ出した人物であり、探樽奇譚はその彼の半生を面白可笑しく書き綴った冒険譚である。オーク果実を囓るのが癖だった彼は、当時のオーク果実酒では折角の果実の風味が汚れてしまっていると思い立ち、オーク果実酒に最適な樽木材探しにその半生を費した。彼は樽木材を求めて各地を旅して回る訳だが、その道中がなんとも眉唾もので、彼は木材欲しさに世界を一周し、とある小国の建国の立役者となり、伝説の魔獣を討伐していた。しかしそれだけ探しても尚、酒に合う樽木材が見つからなかった彼はとうとうやけになり、鼻から蒸留酒を飲むという暴挙に出て昏倒してしまう。すると酒精が夢枕に立ち、何やら啓示を受けるとユグドラシルを初めて樽木材として利用するという発想に行き着いたという逸話であった。酒と樽との相性をここまで熱心に追求した人物がいたのかと、この時の私は大いに感銘を受けた。


 この『探樽奇譚』は一昔前にキンダー書房から出版されているので、良ければ手に取って読んでみてほしい。キンダー氏の編纂によって胸を張って薦められる名文に仕上がっている。

 

 さて、私は辛抱強くナデューラの話に長々と耳を傾け続けていたが、外は既にゴーレム共の動きも止まり、どこの研究室から抜けだしたのか下級レイスも飛び回っているほどに夜も更けてしまっていた。ここにきて流石の私もとうとう辛抱堪らなくなり、もう封を開けてしまおうとナデューラに勢い良く詰め寄ると、どうやらナデューラも内心同じ気持ちだったようで、あっさりと話を切り上げて少々しおらしげな様子になった。我々二人はここでようやく瓶の開封に打ち掛かったのである。

 だがしかし、封を開けようと意気込んだ矢先、栓抜きを思い切り握りしめたのはいいが私の身体は思うように動かなかった。一瞬外のレイスの吐息のせいかと勘違いしたが違っていた。私は極度の緊張に襲われていたのである。ふと、目の前にある小瓶と私自身の価値が釣り合わないのではないかと感じ、手が止まってしまった。私がこれを、これほど価値ある代物を開封してしまって、あまつさえ飲んでしまっても良いのか。私よりもこの酒を飲むべき人がいるのではないか。そんな情けない卑屈な想いが頭の中でぐるぐると回り、それが一向に離れないのである。

 するとそんな様子を見るに見かねたナデューラがぼそりと「臆したのか」と呟いた。この一言は今までの他の何よりも私の意識にこびりついている。こちらを睨むナデューラは先ほどのヘラヘラした態度とは打って変わって、もう目が座りに座っており、今にも小刀で喉を掻っ切ってきそうな雰囲気であった。

 私はナデューラなんぞに図星を突かれ、おまけに気圧された事に腹が立ち、そんな自分が酷く恥ずかしくなった。そしてその恥ずかしさから頭に血が登り、タガが外れてむきになって自分の弱みやら日頃から抱えていた鬱憤や不安まで、弱音を洗いざらい吐き散らしてしまった。

 そしてしばらくどうしようもない事をぶつぶつめそめそと嘆いていると私の顔に衝撃が走った。見るとナデューラが腕を思い切りよく振り切った格好だったから、どうやら私は頬を叩かれた様であった。

 私が「何をするのだ」と喚くとナデューラは真っ赤な顔をして、「これは私が他ならぬ貴様と飲みたいからこそ持ってきてやったのだ。そして長々と我が家の故事も語ってやって、おまけに二人きりでこれを飲むのだ。何を意味してるか貴様に分かるか」などと言う。「さっぱり分からん」と私が返すと、ナデューラは小声で鈍い奴めと呟き、次に間髪入れずに大声で「私は貴様と友達になりたいのだ」と少し吃りながらも実に照れくさそうな顔でのたまわったのだ。

 私はもう先程の弱気なんぞ忘れくさってしばらく魂消ていた。

 得心がいったのは魂消た後、ナデューラにもう一度頬を叩かれてからであった。そういえば当時のナデューラは私の誘いにだけ明確に反応を示していたし、また同じくらい私に対してだけ刺々しい態度だった。

 そう思うと私は途端にナデューラがまるで懐き始めの牙犬のように見えて、だんだんと可愛らしく思えてきた。長い語りからナデューラの先祖の伝記を追体験出来たおかげでナデューラへの親近感も相当であり、この時私はナデューラを最早自分の家族であるかのように錯覚した。

 ならばこの酒、開けてやろうではないかと私は奮い立った。ナデューラもこくりと頷いていた。


 そしてとうとう待ちに待った開封に至る事ができたのだが、私とナデューラはこの酒を味わうことは出来たものの、肝心のグラスに注いで飲むということは結局叶わなかった。実は開けた途端に猛烈な閃光と形容しがたい芳醇な香りと酒精が奔流となって我ら二人に襲いかかり、我々の意識は彼方へと消し飛ばされ、次に目覚めたのはなんとその一週間後だったのだ。

 私が目覚めた時、隣のベッドにはナデューラがいて二人の手でしっかりと栓抜きと互いの手を握りしめたままであった。ナデューラと目が合うと得も言われぬ恥ずかしさが込み上げてきたが、そんなことよりも今はクァドリフォグリオ999年の貴重な味を一体なんと表現するべきかが重要で、我ら二人はこの後夢中で三日三晩語り明かした。この時私とナデューラは名実ともに無二の友となったのである。


 また、この一週間のあいだに私とナデューラ以外にもこの酒を味わった者たちがいる。それは学院内の他の寮生や教授たちだ。

 我ら二人が解き放ってしまったエルヴンリカーの奔流は学院外の大結界を抜け出せないと知るやいなや、学院内の四方八方其処彼処を縦横無尽に暴れ回り、学院にいた奴らを片っ端から泥酔させ、学院を一週間機能停止に追いやった。遂には大結界を破り空高く駆け上っていったのだと、後日運良く難を逃れてこの騒動を目撃した学院生に聞くことが出来た。

 泥酔して一週間昏倒していた学院の連中はこのことをあまり覚えておらず、誰に聞いても「一瞬閃光に目が眩んだと思ったら何やら良い香りがして気づいたら病院だった」といったような反応が返って来るだけであり、明確に覚えていたのは私とナデューラの二人のみだった。

 今でもたまに酒の席で二人で思い出しながら笑っている。これは我々二人だけのかけがえのない思い出だ。



 クァドリフォグリオ999年の味については、ここに書くつもりも、今後喋るつもりもない。諸君らには是非とも『フォア・リーヴス』を飲んで感じ取ってもらいたい。そして、その時隣にいる者と酒の勢いに任せて大いに語り合ってもらいたい。語ることなどなんでも良い、語り終えればきっとそれは良い思い出になる筈だ。

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