命運を分けよ -2-
「フェブライリス。次の戦、お前も出ろ。最初は一小隊しか任せないが、まあ、テストみたいなものだと思え」
レインが言った。レインの軍における会議の席でのことであった。
帝国第四皇子であるレインは『軍』と呼べるほどの隊の長であった。皇子であり将軍。それがレインである。
レインの悪名はその将軍としての行動によって轟いていた。手段を一切選ぶことなく勝利する。策がなくとも圧倒できるだけの戦力を有していながら一切の油断なく相手の最も嫌がることを相手に最もダメージを与えられる戦法を駆使する。
それはレインが将軍として優れていることを示していたが、それを理解できる人間は少ない。戦争において『人道的』なんて言葉が存在すると信じている人間にはレインが悪魔のように見えるだろう。そしてその悪魔だと思われることに耐えられない人間が戦争で手段を選んでしまうのだ。悪魔だと思われても良いと考えているからこそ、レインは悪を実行できる。『戦争』ができる。
そしてレインの軍で重要な役職を任されている者はすべて『戦争』ができる人間だった。
「今日はそいつの顔見せですか? ちょっと手合わせしてみたいところですね」
一人の男が言った。猛々しい黒髪に歪なまでに鍛え上げられた筋肉。地球で言うボディビルダーのそれとはまったく異なる、『美』の欠片もない鋼の肉体。その肉体はまるで外観を気にせず性能だけを考え兵装を追加していった兵器というような歪な肉体であった。
レインの側近であり護衛、他国には『悪鬼羅刹』の名を轟かせる男、アブリリウスである。
「あんたが手合わせしたら壊しちゃうでしょ。あんた、手加減ってものを知らないし」
藍色の髪をした女性が言った。ここに集まっている人間の中で唯一軍服以外の服を着ている人間であった。ローブのようなものを羽織っているがその下に羽織っているものはぴっちりと全身に貼り付いている不思議な服であった。地球で言うラバースーツのようなその服装は地球でも珍しいがこの世界においてはまさしく異常とすら言えた。
レイン軍魔法研究班班長、他国からは人体実験も厭わないという噂から『マッド・サイエンティスト』と呼ばれているミクリスである。
「確かに、アブリリウスは『手加減は礼儀を失する』などと言いそうだ」
白髪赤眼の男が言った。今にも死んでしまいそうな雰囲気を漂わせているにも関わらず手を出したらこちらが死んでしまいそうな雰囲気をまとっている。まるで『死』そのもののようだとフェブライリスは思った。
レイン軍補給部隊隊長リリィ。
彼に関してはレインから聞いた情報以外には何もない。
「おおっ! リリィさんも私らのことわかってきましたねー。なんだか嬉しいッスよー」
十五にも満たないように見える少女が軽薄に言った。
レインの側近、ユクノ。
レイン曰く『天才』だそうだが、あまりよくわからない。
「ユクノ。そんなことより、お前はどうしてこの会議に参加しているんだ。納得しかねる」
気難しそうな男性が言った。
レイン軍『第二』、アークリンド。
レイン軍にしては奇異にすら思えるほど『実直』に戦う男である。『実直』に戦いながらもレイン軍においてレインに次ぐ戦果を残すことからある意味で最も恐れられている男の一人である。
「そう言うな、アークリンド。お前もユクノの才能は認めているだろう? レイン様ほどではないが、これも『外れた』人間の一人だよ。『枠の外に生まれた人間』の一人だ」
騎士の如き女性が言った。
レイン軍『第三』、ティルアナ。
自らが最前線に立ちたいていの戦を開幕攻撃だけで圧倒する『戦術兵器』とすら呼ばれる女性である。
欠員はあるが、それでも異常なメンバーである。この世界において侵略戦争を続ける帝国の中で最も悪名を轟かせ最も戦果を上げているレイン軍の主力級がこれだけ集まっているのだ。一般人であればこの場に居合わせてしまっただけで失禁してしまうかもしれない。
「『外れた』ってひどいッスねー。私、これでもレイン様に比べたら普通のつもりッスよ?」
「それは比較対象が悪いというものだな」
「うむ、リリィの言う通りだ。レイン様は『超越者』だからな」
「『超越者』とは、アブリリウス、的確な表現だな」
「だろう? ティルアナ、お前も見る目がある」
「私としては『女』がこのような部隊に所属していることからして」
「アークリンド、地球ならまだしも魔法のあるこの世界で『女』は何の理由にもならない」
「そう言えば、リリィさん、あなたが居た世界では魔法がないんでしたね。そんな世界ではやっぱり女性の地位は低かったんでしょうねー」
「ああ、低かった。ただ、ユクノ、お前のように『外れた』人間も居た」
「へぇ。いつか会ってみたいものッスね」
「会えるさ、きっと」
皆が口々に言う中、フェブライリスは何も話すことができなかった。まだ冷静とは程遠い精神状態なのである。そんなフェブライリスに一つの影が近付いていた。ミクリスだった。
「ねぇねぇフェブライリス、あんた、私の実験体になる気はない?」
その突然にフェブライリスは目を瞠った。「いきなり、何を」
「いやさ、だってレイン様に連れられて来たってことはリリィみたいに異世界人だったりするのかな、って」
「異世界人……?」
その言葉でフェブライリスはある青年のことを思い出した。飄々としていながら身体からも立ち振舞からも鍛え抜かれた軍人のような印象を受けた青年のことを。先ほど『あなたが居た世界』という言葉が出た時に違和感はあったのだが、それは単なる比喩表現だと思っていた。しかし、これで確信した。ひょっとすると……思い、フェブライリスは言う。
「リリィとやら。一つ、訊ねたいことがある」
フェブライリスの言葉にリリィがこちらを向く。「何だ」
「『ナガノアキラ』という名前に心当たりはないか?」
その言葉にリリィは固まった。固まり、言った。「その名前、どこで聞いた」
「それには私が答えてやろう」
悪魔的な美声が部屋に響いた。男の色香そのものの如き妖艶な声。同じ男であっても例外なくうっとりしてしまうような声。レインの声であった。
「こいつを連れて来る時、その『ナガノアキラ』とやらと出会ったんだよ。『ナガノアキラ』に手伝わせて、フェブライリスを帝国に引き入れる口実をつくった、というだけだ」
その言葉をきっかけにして、フェブライリスは思い出す。自分の国の王とレインが話していた時のことを思い出す。
夜遅くに真正面から入城し王と交渉。
「こいつの邸宅に宿泊していたスノウが見も知らぬ人間に攫われた。スノウだ。わかるか? 俺や愚兄どもではなく『スノウ』だ。帝国の中で唯一と言ってもいい『象徴』。国内外から愛される『寵姫』が、だ。この俺が直々に捜索し、救出したが、もしこの俺ですら救出できなかったならば大変な危機だっただろう。自国の領主の一人も管理できないお前の無能について今更何を言うつもりもないが、お前はこれをどう考える?」
その瞬間の王の顔は思い出したくもない。しかし彼は『政治家』だった。彼は言った。
「可能な範囲で帝国の要求を飲みましょう」
レインは笑った。
「なら、こいつをもらうよ」
そこで王は今回の一件がすべて仕組まれたことだと理解した。だがそれに気付いたところで何も変わりはしない。王はレインの要求を受け入れた。
帝国が侵略国家であり(魔族を除いて)世界最大の国家であることは間違いないが、だからと言ってどんな横暴も許されるというわけではない。いくら世界最大の国家だと言っても、さすがに他のすべての国を敵に回して勝てるほどではない。侵略国家とは言っても、何の理由もなく侵略などしない。帝国は世界征服を目的としているなんて噂は世界中でまことしやかに囁かれているが、何の目的もなしに世界征服をするはずもないのである。世界征服をするからにはその目的があって当然であり、世界征服とはその目的を達成するための手段に過ぎない。
そもそも、国家とは『人の群れ』だ。それ以上でもそれ以下でもない。故に、『人』には逆らえない。『民』には逆らえないのである。その『人』が何の理由も大義もない戦争に命をかけられるはずがない。
無論、『そうする方法』がないとは言わないが、少なくとも帝国ではそのような方法は選んでいない。他国に対する『口実』も必要だが、それより何より、『自国民』が納得できる理由がなければ国家は何もしてはならない。
だからこそ、フェブライリスを手に入れるためには『口実』が必要だったのだ。
ここでレインの策の恐ろしい点は『フェブライリスが手に入れられなかった時のこと』も考えている点である。万が一フェブライリスを手に入れられなかった場合、帝国は迷わずフェブライリスの国に攻撃しただろう。『スノウ』とはそれだけの存在なのだ。国内外から愛される『寵姫』。そんな彼女をどうにかしたとあれば、どんな非難も覚悟しなければならない。
世界中から恐れられる帝国。そんな帝国の姫である彼女は、しかし、世界で最も愛される少女であった。
すべてに慈愛を降り注ぐ優しく美しい天使のような少女。
ある種の信仰さえ生まれているのではないかと思われるほどの『象徴』。
世界中から嫌われる帝国が他国から攻め込まれない『理由』の一つでさえある少女。
それが『スノウ』だ。
ある意味で彼女は帝国最大の戦果を上げるレインに匹敵するほどの重要性を有しているのだ。
レインが軍事においての最大権力を有していると考えたならば、スノウは宗教的な意味においての最大権力を有している。
帝国の軍事的象徴と宗教的象徴。
物理的な頂点と精神的な頂点。
国家に最大級の物質的利益をもたらす者と国家に最大級の精神的利益をもたらす者。
その容姿以外ではあまりにも対照的なレインとスノウは、しかし、帝国の皇室において最も仲の良い二人と言っていい存在だった。
異母兄妹だが瓜二つ。
そんなレインとスノウはしばしば『協力』をしていた。
今回のこともその一つだ。レインはスノウの望みを叶えられる限りで叶えるがその上で利益を掴み取る。
今回、スノウがフェブライリスのところに来ることができたのもレインの力あってのことだ。フェブライリスのところにはほとんど『寄っただけ』と言ってもいいのだが、そこまで計算した上でレインは行動しているのだ。
『世界を見る』こと、それがスノウの願い、『世界を見て救われぬ者に救いを』、それがスノウの願いだった。レインはそれを難なく叶えた。『スノウが望んでいる』と言えばそれだけで『行く先』の方はよろこんで受け入れるが『帝国』は違う。帝国としては出来る限りスノウを外には出したくないのだ。スノウを危険にさらすわけにはいかないのだ。
無論、外交上必要であれば構わないが、単なる『享楽』で、(スノウは享楽でしているつもりはなかったが)、他国へ行くなんて許されることではなかった。しかし、レインの望みなら別だ。
心優しき愛姫であればその望みをやんわりと否定することも可能だが、レインの望みを否定できる者など帝国の中でも極少数しか居ない。レインの悪名は帝国内にも轟いている。レインが『勝つ』ためには『手段を選ばない』ということもよく知られているのだ。帝国の中でも『政治家』と呼べるような人間、その中でもレインの足元には及ぶ程度の政治的能力を持っている者でない限り、レインの障害となることすらできないのである。
しかし、スノウが世界を見て回るルートにフェブライリスの領地を含めてフェブライリスの邸宅に泊まるよう手配し、さらにその影に自らの存在を匂わせもしなかったレインは、まさしく異常だ。
『ナガノアキラ』を巻き込んだ点もまた普通ではない。
『ナガノアキラ』がフェブライリスに勝つことができるとはレインも思っていなかっただろう。だが、その時はその時でレインは何らかの策を用いたはずだ。
フェブライリスは『ナガノアキラ』にスノウが奪われることが最悪と判断したから、彼をあわよくば捕獲、できなかったなら殺害するつもりだった。
しかし、それが『最悪』というだけで、『ナガノアキラ』をどうにかしてもフェブライリスが危機に瀕することは変わりなかったのである。
と言うより、それでもレインが目的を達成するには十分だったのだ。フェブライリスはスノウが『ナガノアキラ』に奪われた場合、最悪の事態が――つまり、『開戦』することすら予測していた。
だが、そうはならなかった。
フェブライリスはレインの、帝国の目的を『開戦』と『自分の殺害』だと考えていた。
開戦の大義と自分の殺害の大義、その二つ、あるいはどちらかを得るために戦っていると。だからフェブライリスはレインが邸宅に現れた時、自分を殺すために来たと思ったのである。わざわざフェブライリスの私兵が居ない時に来たのだ。そう思っても無理はないだろう。スノウが奪われた時点で帝国はフェブライリスを殺す大義を得た。いや、大義と言うよりは『理由』を、か。スノウを奪われた時点で、ことの責任はフェブライリスが持っている。その責任を問うことが『理由』。そしてフェブライリスが死ねばもう『口』はない。あとは開戦するだけだ。『スノウ』の危険。それだけで帝国民は開戦に賛成するだろう。また、国際的な批判からも逃れることができる。『我らが寵姫を危険にさらしたあの国を許しておく訳にはいかない』なんて言えばそれで終わりだ。
そう、思っていた。
それが目的だと思っていたのだ。
しかし、レインの目的は『フェブライリス』だった。開戦だの何だのと思わせることすらレインの予想の範囲内。どう転んだとしても、レインがこの計画を思いついた時点ですべては終わっていた。フェブライリスに打つ手はなかった。あとはただのレインの遊びだ。『ナガノアキラ』という異常に目をつけたレインはこれが何者か分析しようと考えた。それにフェブライリスを利用した。それだけだ。
本来、レインがフェブライリスの邸宅に向かわせる人間は誰でもよかった。
いや、そもそも『その必要すらなかった』。
たまたま『ナガノアキラ』と出会ったからそれを向かわせてみたというだけの話だ。たまたまフェブライリスの私兵が居なかったから実験場にはちょうどいいと思っただけだ。
スノウがフェブライリスの邸宅に居る。それだけでレインは『行方不明となっていたスノウがフェブライリスの元で見付かった』などと言って国王に交渉していただろう。『スノウ』の名が絡んだ時の民衆の反応は異常とも言えるものであり、それとフェブライリスを天秤にかけた時、どちらに傾くかは明らかなのである。国家とは人だ。民衆があってこその国家だ。フェブライリスがいくら優秀な人間だったとしても、民衆以上の価値はない。もしも国王がそんなこともわからない程度の愚王だったならば別だが、レインも国王のことくらい調べているだろう。
そしてレインは絶対にフェブライリスを手に入れることができると確信したからこそ、今回の計画を実行した。
緻密な計画とは言えないが、密にする必要もない計画だったのだ。
ただ、『絶対に成功する』計画。
計画において最も重要な『成功』、それがある時点で『緻密』である必要はないのである。
フェブライリスはぞっとした。
これが二十にも満たない人間のすることか、と。
ある程度まで優秀な人間であれば『完璧と思われる計画』くらいなら立てることができる。
しかし、そこに『ゆとり』を入れられる人間は、意図して『ゆとり』を入れることのできる人間がどれほど居ると言うだろうか。
緻密な計画、本当に些細な一手までが考えられた計画ではなく、ある程度のイレギュラーを組み込んでも得られる結果には何の変わりもない計画だ。
つまり、レインはこの歳で『見えている』のだ。『結果』と『それを得るための手段』。
それだけが必要なものでありそれ以外はただの『遊び』だということがわかっているのだ。
緻密な計画を立てる必要はない。最も効率の良い計画を立てる必要はない。一切の無駄を省いた計画を立てる必要はない。
それをレインは理解している。
必要なものは『結果』だけ。『過程』は問題ではないのだ。
『結果』を見ることができる。
結果『だけ』を見ることができる。
これができない者の何と多いことか。
そんな中、レインはそこまでの境地に至っているのだ。
だからこそ、レインは悪名高い。『結果』だけが見えているから、手段を選ばないことができる。『悪名高い』から導かれる『結果』をレインは見ている。デメリットとメリットを冷静に分析し完全な論理で完全な計算で絶対の理性の目をもって判断する。
だから、レインは『悪名高い』者となることを選んだ。帝国にはスノウが居る。それを考えればレインがいくら悪名を轟かせようとも国家単位ではそれほどのデメリットはないということがわかる。そしてレインは『結果』が見えている人間だからその過程を気にしない。つまり、手段を選ぶ必要はない。
そのすべてをわかった上で、わかっているから、レインはここに立っている。
帝国の最高戦力として君臨している。そしてそれに飽き足らず、新たな力さえ望む。果て無き強欲。果て無き向上心。『頂点』にふさわしい人間。
それが、レインだ。
そして、今。
レインは次の目標を見付けたとよろこんでいた。
楽しかった。『ナガノアキラ』。あれは予想外の発見だった。今、レインの興味は彼に向いていた。リリィもそうだが、異世界の人間とは心ときめく。未だ経験もないが初恋の乙女の抱く思いとはこのようなものだろうか。そんなことさえ考えてしまう。
レインは『ナガノアキラ』のことを思い出す。
見るからにこの世界に来たばかりの人間が、『魔法』のことすらよくわかっていないような人間が、魔法を扱えるかどうかわからない実力すらもわからない人間に向かって攻撃した。
それだけでなく躊躇なく殺した。
あのような判断は兵士であっても多少の経験を要するのにも関わらず、だ。
それから彼は多少の経験を有していることも明らかだが、それならば戦力もわからない人間に攻撃するなんてことはありえない。
だが、彼は攻撃した。
見も知らぬ少女を助けるためだけに躊躇なく自らの命を危険にさらした。
勝利の確信があったわけではないだろうが蛮勇でもない。『そう決めている』からそうしたのだ。『そう決めている』から躊躇がない。迷いがない。揺れることがない。
リリィも異常だが、異世界人とは皆このように異常なのかと思ったほどである。そしてリリィのことに関してはある程度知ることができた。なら、次は彼だ。
レインはしばしば政治家や将軍のように思われ、実際そのような一面も持ってはいるが、その本質は『学者』である。
そんなレインにとって『異世界人』が興味の対象にならないはずもない。未知の塊であるそれを放っておくことなどできるはずもないのだ。
だから、レインはリリィの反応を探っていた。異世界人と言っても『同じ異世界』から来たという保証はなく、それに『同じ異世界』だったとしても互いを知っているという可能性は少ない。ただ、どちらも軍人かそれに近い経歴を持っていると予測され、そういった『血生臭い世界』というのは非常に狭いことを考えると、『同じ異世界』から来たのであれば知り合いである可能性もある。
「で、どうだ、リリィ。『ナガノアキラ』という名前に心当たりはあるか」
その言葉にリリィはゆっくりと口を開いた。
「長野晶。同姓同名の別人でなければ、そいつは俺の弟子だ」
レインは笑みを抑えることができなかった。






