魔王
「初めまして、だな。長野晶」
突然、そんな声が聞こえた。晶は身を起こして声の方を向く。
そこには一人の美しい少女がいた。
年齢は十かそこらだろう。月光のごとき金の髪は神聖と静謐を纏い、宝石のごとく紅き双眸は見る者すべてを魅入らせる魔力を放っている。無垢の白肌は一片の淀みすら許さず、一糸まとわぬ肢体の流麗は黄金の均整と呼ぶ他にない。
そのあまりの美貌に晶は見惚れ見蕩れた。よって言った。
「俺と結婚してくれないか?」
その言葉に目前の少女は悠然と笑った。
「最初の言葉がそれか。やはり貴様は変わっているな」
それはまるで数々の経験を積んだ老人のような調子だった。外見と態度がちぐはぐだった。そこに晶は不自然を感じたが彼にとってそんなことはどうでもいいことであった。
「君ほど美しい少女を前にして求婚の言葉以外を発する男なんていないさ」
「気障な言葉だ。それよりも何かおかしいとは思わないのか?」
その言葉には思うところがあった。だが、
「たいしたことではないさ。君の存在に比べればおかしいことなんて何もない」
晶にとってそんなことは本当にどうでもいいことだ。
「たいしたことではない、か」彼女は含むように笑い言う。「その内容は?」
「俺は死んだはずだという程度のことだよ」平然と晶は言う。「君のような女神がいるんだ、ここは天国なのかな?」
「残念だが、我は女神ではないし、ここは天国ではない」
「なら君は誰でここはどこだ?」
「我は魔王でここはお前から見て異世界……正確に言えば、他の惑星だ」
「魔王で異世界、か」晶は笑う。「納得したよ。そういうことか」
「驚かないのか?」
「驚かないさ。あの状況から俺が生き残るなんてことはありえない。なら天国か地獄ってところが本命だったが、異世界ならまだ納得できる」
「そうか」
「だが、俺がここにいる理由はわからない」
「我が呼び寄せた」
「男妾としてならよろこんで」
「違う」
「ならどうして?」
「今、この惑星は転換の時を迎えている。貴様には我の代行者となってもらいたい」
「代行者?」
「ああ。我は基本的に人間には関わらないようにしているのだが、今回は放っておくとこの世界そのものがどうなったものかわからないからな。しかし人間とは一応の不可侵条約を結んでいる。これを破るわけにはいかない。故に、他の人間に任せることにしたのだ」
「俺は何をすればいい?」
「好きなようにすればいい」
「それだとずいぶんと偏ったことになるかもしれないが? 少なくとも、俺の思想と君の思想が同じとは思えない」
「それで良い。心配せずとも、我が代行者に選んだのは貴様だけではない」
「そうか。なら、好きにすればいいのかな」
「ああ。……何か聞きたいことは?」
「そうだな」
晶は考え込む。そして言う。
「君は俺と結婚する気はないのか?」
「ない」
「そうか。なら、この世界のことを聞こうかな。まず、俺をこの世界に呼び寄せた方法は?」
「魔法だ」
「魔法?」
晶は顔をしかめる。魔法。そんなものが存在するのか?
「ああ、そう言えば地球には魔法は存在しないのだったな」魔王は今思い出したという調子で言う。「しかし概念自体は地球にもあっただろう? 創作物にはよく出てきた。あれのようなものだと考えてもらって間違いはない」
創作物に出てくる魔法……。晶は考える。彼女は魔王を名乗っていたし、この世界はそういった世界なのだろうか。剣と魔法のファンタジー。そんな世界。
「……詳しい理論は?」
「完全に解明されているわけではないが」魔王は口元に手を当てて考える。「まず、この世界には魔力というものが存在する」
「魔力」晶は言う。「それは?」
「わからない。しかし、地球にも存在はするのだぞ? まだ観測されていないが、確かに存在する。地球の魔力濃度は非常に低い。それだから魔法も存在しないが、ごくわずかになら存在している。そもそも魔力が存在しなければどのような生命体も生命活動を続けることはできないが」
「魔力は生命活動に必要なものなのか」
「ああ」
「この世界と地球では魔力濃度が違うんだろう? なら、どうして」
「単純なことだ。地球上の生命体は魔力変換効率が非常に優れているということだ」
「魔力変換効率とは?」
「生命体は魔力を自らのものへと変換する能力を持っている。その効率のことだ」
「自らのものへと変換する、とは」
「単純な生命活動を続けるための変換。それが地球では主な使い方だが、この惑星では魔法に使うことがほとんどだな」
「ほとんど、ということはそれ以外にも使用法はあるのか?」
「存在するが説明は難しいな」
「そもそも魔法とは?」
「魔力の起こす現象だ」
「それはどういう?」
「この惑星の人間は自らのものと変換した魔力を操作して大気中の魔力に干渉しその構成を変える。特定の構成になると魔力は特定の現象を起こす」
「自分の魔力だけで魔法を使うことはできないのか?」
「できないことはないが非効率的だ」
「そうか。俺にも魔法は使えるのか?」
「ああ」
「魔法を使う方法は?」
「我は人間ではないからな。人間の方法はよくわからない」
「人間じゃない。人間じゃないなら君は何だ?」
「魔王だと言ったはずだが」
「魔王とは何だ?」
「魔族の王だ」
「魔族とは?」
「肉体が魔力で構成された生命体の総称だ」
「魔法を極めた王だとかそういう意味だと思っていたよ」
「『人間』という言い方からわからなかったか?」
「魔法を極めた者なら自分は既に『人間』とは異なる存在だと人間を見下すかもしれない、と思ったんだよ。君の外見から推測される年齢からして、そういう発想に至ってもおかしくないと思ったんだよ。まあ、君の外見と実際の年齢は一致していないようだけれど」
「我が『そういうお年頃』だと?」
「まあ、そういうことだな」
その言葉に魔王を名乗る少女は愉しそうに笑い声を上げる。
「面白い。この我にそのようなことを言える人間はそういないぞ」
「俺と結ばれる決心はついたか?」
「我は魔王だ。魔族だぞ? それを聞いても我と結ばれることを望むか」
「種族なんてどうでもいい。問題は容姿だけだ」
「やはり変わっているな、貴様は」
「で、魔法はどうやって使うんだ?」
「言っただろう。我は魔族だから」
「人間の方法がよくわからないとは言ったが、君は知っているだろう?」
「ああ」
「ならどうして最初から言わなかったんだ?」
「教え過ぎてはいけないと思ったのだ。固定観念が生まれてはいけないからな」
「固定観念が生まれると不都合があるのか?」
「魔法はそういうものだからな」
「で、俺はどうやったら魔法を使える? と言うより、どうやったら魔力を扱える?」
「強く思え。それだけで魔力は扱える。正確にはそのきっかけを掴むことができる」
言われた通り晶は魔力の存在を強く思った。強く想像した。
「それが魔力だ」
その瞬間、晶は魔力を知覚した。
言葉に表すことは非常に難しい。ただ『存在しているという事実』だけがわかる。
これが、魔力。
「では、そろそろお別れだ」
魔王が言った。その言葉に晶は驚き言う。
「まだ聞きたいことは山ほど」
「この世界の情勢などか? それは自分で調べろ。この世界を歩き、この世界を知れ」
晶は知覚する。これは魔力? 俺の身体に、魔力が――
「また会おう、長野晶」