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 ミシェルが去ってから紫はまたもとの作業場へと戻り、ミルシェリトも自分の作業部屋へと引きこもった。職業柄か、二人とも作業に熱中すると仕事が終わるまで部屋から出てこない。

 こうなると“星のかけら(プティ・エトワール)”には人の話し声などは一切なくなり、黙々と作業を続ける音のみが木霊する。


 紫は慎重に青いロウを彫り進めていた。ロウだから、たまに砕けたり折れたりもするが、そういうときはスパチュラ――小型のメスのようなもの――を熱して、それでロウを溶かして接着すればいい。ロウが溶けたときの特有の甘いような、懐かしいような香りが鼻先をかすめるのを感じて、紫は人知れず微笑んだ。


 じわりと溶けるロウは、紫にとってなじみ深いものだ。異世界(こちら)にきてもう二月は経つけれど、それでもまだ慣れないことなんて沢山ある。元の世界に帰りたいと思ったことも一度や二度ではないけれど、職を与えて身の回りの世話までしてくれるミルシェリトの前では申し訳なくて言い出せなかった。


 帰りたいと思う気持ちをロウのようにじわじわと溶かしながら、紫は黙々と作業に熱中していく。帰る方法も見つけられないのに、帰りたいと思うことは不毛だと紫は理解しているし、何より時間の無駄だ――そう思っている。


 出来上がった原型を傷が付かないように柔らかい布でくるみ、作業スペースの端におく。それから紫はんん、と背を伸ばした。ぽきぽきと軽い音がして、しばらくの間脱力感におそわれる。


 ぼんやりと考えるのは自分の作った宝飾品のことだ。作ったものにあんな効果がつくとは思いもしなかった。改めてこの世界は紫の知っている世界とは別物なのだと感じてしまう。


 ――役に立ててるのかなあ。


 今現在、紫を助けてくれているのはミルシェリトだ。彼のためになるならばと紫は宝飾品を作り続けていたけれど、これは彼のためになっているのだろうか。紫の作ったものが素晴らしいとミシェルは絶賛し、“ここにもたくさんの人が来ることになる”と告げて帰って行ったけれど、それがミルシェリトの望んでいることとは思えない。


 まだ二月しかともに過ごしてはいないが、ミルシェリトが何となく人と距離を作るタイプだというのは察している。

 かといって、紫の思い描くような典型的な“人嫌い”ではない。紫が“星のかけら(プティ・エトワール)”に連れてこられたときも彼は親切に応対してくれたし、紫と宝石の話で盛り上がりもしたのだ。

 

 紫が思い描くような“人嫌い”は、一昔前の偏屈親父だったりそのあたりだが、ミルシェリトはその反対にいると言っていい。柔和に笑うし穏やかだし。


 職まで与えてくれているのだから紫のことを嫌っているわけではないだろうけれど、どこまで踏み込んでいいのか紫には分からないのだ。紫も人付き合いに器用なタイプではないから、知らず知らずのうちに彼を不快にさせてしまうかも知れないし、本当に薄情で打算的な話だけれど、ミルシェリトに嫌われて“星のかけら(プティ・エトワール)”を追い出されてしまったら、紫にはすむ場所も何もない。


 ううん、と唸ってしまう。

 宝飾品を作り続ければミシェルの言葉どおりに人は沢山やってくるだろう。“星のかけら(プティ・エトワール)”も賑わう。けれど、あの穏やかな男性がそれを心から望むとも思えなかったのだ。


 ぐるぐると紫の頭の中では同じ事柄が形を変えて巡っていて、それは結局の所「自分はどう振る舞うべきなのか」ということに帰結するけれど、それはあんまりにも自分勝手すぎる気もして、紫は認めたくなかった。


 ミルシェリトはこの、時が曖昧に、ゆっくり流れていく環境が好きなんだろうと思う。紫がここにきてから何人か「お客さん」の冒険者が来店することもあったけれど、そのときのミルシェリトはいつもと違って少しだけ仮面をかぶっているような、いつもの日溜まりのような暖かさを伴う笑顔ではなくて。

 白熱灯のような――作られた温度を持ったような微笑みを浮かべていたから、ミルシェリトが人と距離を作っていることに紫は気付いたのだ。


 紫は、いつか自分がミルシェリトの生活を壊してしまうんじゃないか――と、心配でたまらない。


 布にくるんだ原型をそっと手にとって、紫は部屋を出る。ミルシェリトの作業場へとむかって、扉をノックした。


「いいよー」


 のんびりとした声はいつも通りだ。

 何だか少しほっとして紫は扉を開けて――叫んだ。


 転がっているのは全身に金粉をくっつけたような、トカゲともカナヘビともつかないような奇妙な生き物の亡骸だ。体中に金のペンキを塗りたくられたような見た目と言っても良いだろう。観光名所にもなっているとある城の金のしゃちほこを思いだし、紫は少し懐かしくなった。


 ぴくりともしないから亡骸だろうと紫は判じたが、何でそんなものがミルシェリトの元にあるのか。

 十分に巨大化したらしいトカゲにもカナヘビにも見えるそれは、紫の顔くらいの体長がある。それが四、五匹床に転がっているものだから身震いした。


「――あ、ごめんね。はじめてみるよね、これ」

「ええと、その……これは」


 金塊の元だとミルシェリトは答えた。これから“金”を採取し、精製して黄金の塊(インゴット)にするのだと。

 岩盤から採ってくるものじゃないのかと紫が口にすれば、「こっちでは魔物からとるのがメジャーかな」とにっこり笑って返される。


「どこの山にもいるんだけど。この子は“金蛇(カナヘビ)”って言ってね。上質な金がとれるカナヘビさんなんだよね」


 山にすむ金蛇(カナヘビ)は地中にある岩盤を餌としていて、餌の岩盤から金を接種するとそれを表皮から分泌し、徐々に体に金を纏っていくのだという。

 金鉱脈の近くにすむ金蛇はまるまると太っていて美味しそうだよ、とミルシェリトは笑ってから「食べるには向いてない種族なんだけどねえ」と結んだ。


「昔は金鉱から金を採ってきたりもしたんだけど、いつの頃からかこうやって魔物が――金蛇やら何やらが出てきちゃってね。鉱山とか、今ではだいたい立ち入り禁止なんだよ。実力のある“冒険者”がこうやって狩ってきたものを加工することの方が多いんだ」

「そうなんですか……」

「僕も昔は自分で出向いて材料集めをしたものだけれど。最近はロウシュが行ってくれるから彼に任せきりかな」


 紫に話しながらもミルシェリトの手は動きを止めない。

 水の入った大鍋にぽこぽこと金蛇をつまみ入れて、部屋の隅にあったコンロへとかける。


「不思議なことに、高熱を与えると金蛇が溶けるんだよねえ。後に残るのは金だけ。それを採取して魔法で生成すればユカリが知ってるインゴットになるんだ」

「カナヘビから採られているとは思わなかったです……」

「安心して、成分自体は普通の金だから」


 女の子にはちょっと見せられないものだったかもね、とミルシェリトはやんわりと笑ってから「元気ないね」と紫の顔をのぞき込んだ。

 この人は感情の機微に敏感だな、と紫は思う。だからこそ人が苦手なのかもしれない。

 敏感であればあるほど、知らなくても良いことを感じ取ってしまうこともある。


 言ってしまって良いのかどうか悩んでから、嘘はつきたくないと紫は決心し――穏やかに笑う彼に「私はここでつくり続けていて良いんでしょうか」と口にした。

 心臓が速く動いているのはミルシェリトに否定の言葉を突きつけられるのが怖いからだ。

 ミルシェリトは困ったように笑った。


「気を使わせちゃってたね。――ふふ、僕はユカリに作ってもらうためにここにいてって頼んだのに」

「でも、ミルシェさんはあんまり――その、人が好きではない……でしょう?」

「そうだねえ」


 ミルシェリトは否定しなかった。ただ笑って、紫の頭をぽんぽんと叩いた。


「確かに、人はあまり好きじゃないな。僕は人付き合いが苦手だからね。でも、店を持つ以上はお客さんが来なきゃ困る」


 ぐらぐらと大鍋が煮立っている。

 ミルシェリトは鍋をかき回した。ちょっととろけたカナヘビが紫には見える。水を吸って少し膨らんでいた。


「それにね、僕は正当な評価が好きなんだよ、ユカリ。ミシェルが言ってたろう? ここには君の宝飾品を求めて来る人が増えるって。君の作品を見る人が僕以外に増えるのは少し悔しいけれど、それ以上に君の作品が評価されるのが僕は嬉しいよ」


 膨らんでいたカナヘビがゆっくりと熱湯に溶けていく。湯は鮮やかな緑色に変化して、鍋のそこにはトカゲみたいな形の金の塊が残っていた。


「君は優しいんだなあ」


 何が楽しいのかミルシェリトは笑っている。ぐつぐつと沸き立っている鍋の中からおたまで金の塊を取り出し、火を止めた。


「いきなり変な世界にとばされて、僕になし崩し的に働くことを強要されて、それなのに僕の心配なんて普通はしないさ。大丈夫、そんな君にだからこそ“作って”と頼んだんだから」

「……はあ」

「君は慎み深いから、たまに心配になってしまうよ」


 君の宝飾品が見たくてここにおいているんだから、遠慮はどこにもいらないよとエルフの研磨職人は続ける。


「君は僕と似ているなあ。僕も、他人との距離が未だに分からないよ。そうだ、少し昔話をしようか」


 少し込み入った話をしてみれば、君の僕に対する遠慮が少しはなくなるかな。

 そんな風に優しく笑って、ミルシェリトは話し始める。

 


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