4
「よーっす、誰かいねえのー?」
どんどんと入り口の扉を叩く音が聞こえた。ミシェルさんか、と紫は顔を上げて、叩かれ続ける扉へと向かった。途中、「ミシェルさんが来ましたー!」と上の階にいるミルシェリトに叫ぶのも忘れない。山奥にある家だから、ご近所の騒音を気にしなくてもいいのは楽だ。
扉の鍵を開けて、やってきた商人の青年に「いつもありがとうございます」と紫は頭を下げる。いつもどおりの笑顔を浮かべて、「こちらこそ」とミシェルは笑った。
「やあミシェル、いつもありがと。ちょっと上がっていく?」
「お、サンキュー。じゃ、お言葉に甘えて」
背負ってきたらしい大きな荷物をよっこいしょ、と玄関先において、ミシェルは敷居をまたいだ。貴族が着るような白いコートを脱ぐとばさりと荷物の上に放り投げる。「皺がつくよ」とミルシェリトが笑って、それをハンガーにかけ直した。
「悪いな」
「いつものことだからね。――まったく、顔は上品なのに中身が粗雑なんだから」
「ほっとけほっとけ。荷物は大切に扱ってるから良いだろ」
「一事が万事と言うけどね?」
ミシェルという青年は、ミルシェリトが評するくらいに上品で綺麗な顔をしている。胸のあたりまでのばされた銀髪は貴族の青年のように藤色のリボンで一つに纏められていたし、ミルシェリトとは違った色合いの青い瞳は泉を思わせるほどに透き通っている。金の刺繍の入った白いコートやベスト、ベストに合わせた白いスラックス――服装と外見だけなら王子様のようなのに、中身は全く王子様じゃない。
「三日ぶりだなユカリちゃん。元気にしてたか?」
「あっ……はい」
ごく自然に紫の手を取って、まるで騎士が姫に忠誠を誓うかのようにミシェルは手のひらにくちづける。最初は慣れなかったが、何度もされるうちに紫にも慣れが身につき始めていた。
ミシェル自身は「これはご挨拶」と言い張るくらいだし、ミルシェリトが「あの人、見た目よりずっと軽いからねえ」と言うくらいだから、紫ももう諦めている。
この人は遊び人なのだろう――と。本人も女好きを公言しているし、移動商人という職業すら女性と出会うための口実にしか考えていないだろう。事実、商品を売り込むことより女性と遊ぶことの方が多いらしいのだから恐れ入る。
三人でリビングに移動し、テーブルについた。お茶を入れるねとミルシェリトが立ち上がる。紫も立ち上がろうとすれば、「座ってていいよー」とやんわり返された。
「しっかし、こんな辺鄙なところに住居構えやがって。よくやるわ、お前も」
「扱うのが宝石だからね。強盗除けと、宝石の原石も手に入れやすいところが近くにあるから。一番おおきいのは人があまり来られないところにある、ってところだけど」
「さ、それはどうかな」
山奥のスローライフもなかなかいいよ、とのんびりしながら紅茶を入れているミルシェリトに、ミシェルは意地悪く笑う。
「下にいってユカリちゃんの宝飾品宣伝しまくったからな。そのうち、冒険者どもがぞろぞろ来るんじゃねえの?」
「そうぞろぞろ来るもんかなあ」
「すごい人気だったぜ」
良い腕持ってるよなあ、お嬢さんは――とミシェルは紫を見てにっこりと笑う。そんなに人気なんですか、と首を傾げた紫に、あれだけのもの作っといてそれはないぜ、とミシェルがからからと笑った。
「何てったって特別付与つきの宝飾品だぜ? 今時そんなもん作れる職人がいたことに驚いてるよ、俺は」
「……ぎふと?」
何ですかそれ、と首を傾げた紫に、マジで言ってんのかよとミシェルが面食らう。
ミルシェリトがあー、と少し困った顔をして、「ミシェルになら話しても平気かな」と口を開いた。三人分のカップがテーブルにおかれる。
「この子、ちょっと訳ありで」
「はーん? 別の世界から飛んできたとかバカなこと言わねえだろうな」
「まさにそれ」
「……ほお」
冗談のつもりだったんだが――と口にして、カップに口を付けしばらく黙り込んでいたミシェルは、紫の顔をじっと見つめてから「若いのに苦労してんなあ」としみじみと口にした。ミシェルも紫より少し年上に見える位なのに、どう考えても年寄りのようなその口調に紫は淡く笑う。
「お前が言うなら別の世界から飛んできたってのも本当なんだろうさ。――ああ、それとも別世界から来た職人だから特別付与つきの宝飾品なんてものを作れたのか」
見た目だけなら端正な顔を少しゆがめて、うむむ、とミシェルは悩んでいる。ギフトってなんですかと再度聞いた紫に、それはね――とミルシェリトが話し始めた。
「簡単に言うとオマケだよ。本来の使い方、効能のほかにもう一つ意味がついてくるってこと」
たとえば、とミルシェリトはティーカップに身を半分ほど沈めていたティースプーンを手に取った。
「ティースプーンって、いわば《かき混ぜる》ためにあるよね? その《かき混ぜる》っていう使い方のほかに、《かき混ぜたものを冷やす》っていう効果がついてくるとする。その《冷やす》っていうのが特別付与、かな」
「そんな効果がつくんですか」
「つくんです。君がつけちゃうんです」
つけちゃうんですか、私が――とすこしズレた言葉を返した紫に、ミシェル、とミルシェリトが小さな箱を渡した。昨日紫が完成させた、黄金の鳩のブローチが入ったやつだろう。新作か、とミシェルは楽しそうな顔をして、箱から丁寧にブローチを取り出した。
「このブローチに魔力を流すとそのギフトの効果が出てくるわけだが」
魔力を流しているらしいミシェルの手のひらの中で、ブローチにつけたルビーが赤く、爛々と輝き始めた。何事かと身を引いた紫に、大丈夫だよとミルシェリトが優しく声をかける。
赤く輝いた光は何枚かの羽のように散ると、ミシェルの体に張り付いた。ほんのり赤く光るミシェルに紫はミルシェリトを見つめ、「どういう効果なんですか」と聞いてみる。
「ユカリ、君はルビーの宝石言葉を知っているだろう?」
「ええと、《生命力》、《エネルギー》、《活力》……あとは《愛の炎》や《個性的》とか」
「ずいぶん出てきたね。――ああ、そうだ、君には言ってなかったな……こちらの世界の宝石には宝石言葉になぞらえた魔力が宝石に宿っていることがあるんだよ。魔力の宿る宝石を魔宝石と言ってね。魔宝石は宝石にあったデザインや彫金の仕方で出せる力に幅が出来る。――このブローチの場合だと《生命力の増加》かな。モンスターにおそわれても簡単には死なない効果がつく。たぶん、身体能力も一時的に上がると思うけど」
はい、とミルシェリトがミシェルにティースプーンを渡す。ミシェルはそれを紙切れかのように親指と人差し指でこね回し、くしゃくしゃと丸めてしまった。力なんて込めていないような素振りだったのに。銀のティースプーンは今や、「何だかごちゃごちゃした銀の塊」になってしまっている。
「すっ……すごいですね」
塊となったティースプーンに手を伸ばす。銀は堅く、とても簡単に曲げられそうにない。
「っていう不思議現象を起こしたのがユカリちゃんのブローチってことだ。知らずに作ってたことに驚くけどな」
「私のいた世界では、こんなこと――起こらなかったものですから」
「こっちの世界独特のアレなのかな。まあいいや」
ミシェルは物事を深く気にしないタイプのようだ。それで良いのかと紫は思うけれど、ミシェルにとっては紫が異世界出身だとか何だとかはどうでもいいのだろう。彼はそういうことにこだわるようには見えないし。
「ユカリちゃんがあんまり自分のことを理解していないから話しておくけどな、結構これって凄いことなんだぜ。特別付与つきの宝飾品を作れる職人なんざ、この時代には一人もいねえ。世界を旅してる俺が自信もって言うから信じて良い」
「そ、そうなんですか……?」
「そ。かーなーり昔の職人には出来てたけどな。今出回ってる特別付与つきの宝飾品なんて、ユカリちゃんが作ったもの以外はみんなアンティークだ。古代の品なんだよ」
どうだすごいだろ――と、ミシェルは胸を張っている。君が凄い訳じゃないけどね、とミルシェリトが突っ込みを入れたが、「小さいことは気にすんな!」と彼は楽しげに笑った。
「……ってわけで、ここにはその内冒険者どもがぞろぞろ来るぜ。宝飾品に特殊効果をつけられる職人がいる店だってな」
「困ったねえ。僕はゆったり暮らしたいんだけども」
「まあ、ぞろぞろって言ったってここに来れるくらいの奴なんて限られてくるだろうよ……何てったってここは厄介なモンスターもごろごろいるし、そもそも山奥だし。こんな変なところに来る奴なんて余程の変人か物好きだね。世捨て人でも良いかもな」
「失礼だなあ、結構賑わってるのに」
そりゃ失礼、とミシェルはおどけたが、ミシェルのその言葉もあながち間違ってはいないだろう。確かに賑わっているが――他の店と比べたら段違いに人はいない。売っているものが宝飾品という特殊なものだからこそ、購入の際の単価がわりとバカ高い。そのおかげで二人がのんびりと暮らしていてもやっていけるのだ、この店は。
「まあ、ミシェルの“理論”からするとこんな所に来てくれてる君自身も“余程の変人か物好き、世捨て人”になるわけだけど」
「俺はそれを否定しないね」
でなきゃこんな所に来るかっての。ミシェルの口調は粗雑だが、それは彼なりの親密さの証だ。
「んじゃ、また三日後に。そろそろお暇させて貰おうかな」
「うん、ありがとう。――じゃあ、今回持ってきてくれたものの代金と――ああそうだ、卸して貰いたいものがあって」
「オッケー。とりあえず玄関先に出ようぜ、あそこに荷物おいて来ちまったから」
ミシェルと連れだって席を立ったミルシェリトに「カップ片づけておきますね」と紫も席を立つ。「頼むよ」といつもの通りに返されて、紫はほんのりと笑った。