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「それじゃ、今日もよろしくね」

「はい!」

「午後からミシェルさんが来るかもしれないから――まあ、来たときに僕に教えてね。僕は上のいつもの作業室にいるから」

「はいっ」


 ミルシェリトは(ゆかり)にそう告げると、紫の手のひらに青い宝石の入った箱を乗せた。

 先日、ミルシェリトが研磨していたものだろう。見れば見るほど見事なサファイアだと紫はため息をつく。夜空のように濃い青は、深い海をも思わせる。澄んだ石はこう見えて堅く、意外に強固なのだ。酸にも侵されにくいし、意図的に叩きつけたりしなければなかなか欠けもしない。

 紫の小指の爪の半分ほどの大きさのサファイアは、工房につけられた明かりを受けて燦然と輝いている。


「いいよねえ、この色、この艶、この輝き……研磨する間どきどきが止まらなくてさ……いやあ、やっぱり石はいいなあ。時間を経ても美しいし。錆びることも朽ちることもしない」

この子(サファイア)が生まれるまでの時間を考えると、自然って雄大ですよね……」


 二人してうっとりと石を見つめ、その美しさにため息をついた。この美しい石をさらに輝かせるような、美しいリングを作らなくては。


「デザインとか、決まった?」


 サファイアに魅入られながらもミルシェリトは紫に尋ねる。紫は彫金用の藍色のエプロンからかさりと二つ折りの紙を取り出し、ミルシェリトに広げて手渡した。

 紙に記されているのは、昨日の夜に紫が頭を悩ませて描き出したデザイン画の清書だ。ミルシェリトからは事前にどんな色味のどれほどの大きさのサファイアかを教えて貰っていたから、紫はサファイアをどう生かそうかとわくわくしながらこのデザインを書いたのだった。


「おお……海のイメージなのかな」

「はいっ。深海みたいな色だなって思ったので、海っぽく」

「うんうん。珊瑚に囲まれるイメージ……かな」

「はい。銀で珊瑚を模して、真ん中にサファイアを入れ込むつもりです」


 完成したらすごく綺麗そうだとミルシェリトは頬を綻ばせて、人魚が喜びそうなデザインだと頷いた。

 

 ――この世界にはエルフ以外にも、様々な種族が存在しているのだと紫はミルシェリトから聞いている。人魚もその中の一つで、おおかたは紫が童話で読んだような性質や生活をしているようだった。


 普段は海や水の中にすみ、時折陸に上がるのだという。人魚は一様に美しい声をもち、踊ることが好きらしい。種としては女が生まれることが圧倒的に多く、男の人魚は滅多にいないとの話だ。紫はまだ人魚自体を見たことがない――というか、この“星のかけら(プティ・エトワール)”から外に出たことが数えるくらいしかないから、実際に見たわけでもなく、すべてミルシェリトに聞いた話だ。


 人魚たちが陸に上がる際には人魚族に伝わる秘薬を飲むことで尾を足へと変換させるのだということだった。その際に声を失ったりすることはないらしく、この世界の彼女、或いは彼たちは恋愛に奔放とのことだ。恋多き種族としても人魚たちは知られているらしい。


「人魚たちはきれいなものが大好きだから。ここにもたまに来るんだよ」

「そうなんですか」


 “星のかけら(プティ・エトワール)”は、宝石を扱うという面から“強盗除け”のために驚くほど人里離れた山奥にあるのだけれども――それでも冒険者()は来る。

 とはいえ、普段は海の中にいる人魚たちがこんな所までこれるのかと感心した。


 (ゆかり)が“星のかけら(プティ・エトワール)”に来たのはもう二月前になるけれど、その時に“こんな山奥に人の住む場所があるの……?”と戸惑ったのは忘れていない。道中に恐ろしい動物もいたのだが、それはその時の同行者であるロウシュという青年がすべて追い払ってくれたから、紫がここまで来るのはあまり難しくなかったが――一人でここに来いと言われたら、紫は道中で命を落とす自信がある。


 山は降りるのも登るのも大変な上、何より危険だからと紫は店の外に出ることはしなかったし、ミルシェリトもあまり外には出ようとしなかった。そうなると問題になってくるのが食料品や生活必需品の調達だが、それを何とかしてくれるのが、“星のかけら(プティ・エトワール)”に三日に一度ほどのペースでやってきてくれる商人の青年だ。


 商人の青年は名をミシェルと言い、食料品などを持ち込むかたわら、“星のかけら(プティ・エトワール)”で制作された宝飾品から数点を見繕って町の方まで売りに行ってくれるという仕事までしてくれていた。ありがたいことだよねえ、とはミルシェリトの言葉だが、紫も全く同じことを思っている。彼がいなくてはここでの生活は成り立たないのは明白だ。


 ミルシェリトが買ってくれた彫金用具一式も、ミシェルがどこからかかき集めてきてくれたものだという。少しわがまま言っちゃったけど、流石彼だねえ、すぐに見つけてきてくれたよ――とミルシェリトは感心していた。


 ミルシェリトが彼専用の作業室――そこで彼は研磨作業をしている――に向かったところで、紫は自分専用の彫金用具をとりだした。布製のホルダーにきちんと納められているのは、大小さまざまな大きさのヤスリだ。彫金用のヤスリとあって、一般的なヤスリより小さいし、何より刃の種類が多い。


 笹の形をしている笹葉ヤスリ、細い円錐形になった丸ヤスリ。平たく、かまぼこの板みたいなかたちのものは平ヤスリと呼ばれている。もっとも、彫金に必要なのはヤスリの名前ではなくて、どのタイミングでどのヤスリを使うか――という判断力だから、実のところ、紫も詳しくヤスリの名前を覚えているわけではなかった。


 ――まずは原型から作っちゃおう。


 紫は、机の引き出しに仕舞ってある青いブロックを取り出す。この青いブロックは簡単に言ってしまえばろうそくに使われている(ロウ)であり、これをヤスリで削ったり、糸鋸で切って加工するなどして《原型》をつくりだす。


 これは紫の世界では《ロストワックス製法》と呼ばれるジュエリー製作法の一つだ。装身具を地金からは作る場合は、直線的なものや平たいものを作るのに向いている。一方で、地金から装身具を作る方法とは違って、ロストワックス製法は柔らかな曲線、立体的な表現をするのに向いている。


 ロストワックス製法とは、熱で溶ける(ロウ)――つまりはワックス――の性質を利用し、 ワックスで造形された《原型》を金属に置き換える製法のことだ。


 ワックスで造形された《原型》は、やはり同じようなワックス製の支柱に固定される。作業の途中で動いたりしないようにだ。固定したものを金属製の筒の中に入れた後、筒の中に鋳造用の石膏を流し込む。それを炉の中で金属製の筒ごと加熱することで、石膏を固める……というわけだ。ちなみに、固定したワックスの支柱も金属として置換されてしまうが、こちらはあとで切り離す。鋳造物に切り離した支柱が残ってしまった場合、残った支柱を湯口という。湯口はロストワックス製法には付き物といってもいいものだ。


 石膏を固めるために熱を加えれば、その熱でワックスが溶けだし、石膏からワックスが流れ出す。ワックスが溶け出してできあがった空間に溶かした金属を流し入れ、溶かした金属が冷めて固まったあと、 石膏を割る。割れた石膏を取り除き、中の鋳造物を取り出せば、原型どおりのものが出来る――というわけだ。


 が、本来ならこの《ロストワックス製法》は専用の機械を使ってすることであり、山奥の小さな研磨工房などでは気軽に出来ることではない。そもそも、山奥である上に機械どころか電気もあるかどうかわからないこの異世界で、どうやって《ロストワックス製法》をしようかと紫は悩んだこともあったのだが、案外あっさりとこの問題は片づいた。


 紫が飛ばされたこの異世界には、魔法という便利なものが存在していたのだ。だから、石膏、金属製の筒、この二つがあればあとは炎の魔法を使うことで加熱も容易に出来る――というわけだ。紫には魔法が使えないが、ミルシェリトは魔法が使える。


 専門学校時代には原型を作ることはあったが、それ以外の行程は業者に任せていたために、こちらに来て初めて原型を作ったときに「これをどうすればいいの……」と途方に暮れたのを覚えている。何しろ紫にはロストワックス製法につかう機械なんて知らないし、この世界にあるとも思えなかったから――いくら精巧な原型を作ったところで、貴金属に置き換えられなくては意味がない。


 そのことをミルシェリトに相談すれば、彼はしばらく考えた後に「その製法について詳しく話して貰えるかい」と口にし、紫の説明を受けた後に「それなら魔法で出来るかも」と実践して見せた。


 ミルシェリトの作業場に初めて入ったのはその時で、研磨職人をしているという割には研磨に必要そうなものがないなと紫は不思議に思ったものだったが、ミルシェリトが魔法を使い始めたところですべて理解した。ミルシェリトは魔法で宝石の研磨、カットをしていたのだ。


 ミルシェリトいわく、「どこを切ろうかしっかりイメージできていれば割と簡単」らしく、彼は紫の目の前で宝石の原石を《風の魔法》とやらで切り裂いた。「直線的にしか切れないから、カットくらいにしか使えないんだけどね」とミルシェリトが笑っていたのを覚えているが、あれを彫金にも使えたら作業効率は良くなりそうだ。


 ミルシェリトはそうして魔法の存在を紫に教えた後、「じゃあその製法を試してみよう」と金属製の筒とどろどろの石膏とを持ってきて、紫が説明したとおりに筒に石膏と原型を入れた。


 これからどうするのだろう――と紫が見守っていれば、ミルシェリトはその金属製の筒を宙に浮かし、それから遠慮なく燃やした(・・・・)。石膏は程なくして固まり、温度の高さに中に入っていたワックスは蒸発。紫は初めて見た魔法に目を丸くした。


 そんな紫にくすくすと笑いながらミルシェリトは次の段階へと入る。石膏も固まれば、あとは溶けた金属を石膏の型に流し入れるだけだ。浮いたままの金属の筒の上にミルシェリトは銀の塊を浮かせ、その銀の塊も《炎の魔法》で加熱し、溶かして石膏が固まった筒の中に流し入れた。


 これまでのすべてを魔法で解決したミルシェリトは「案外簡単だったねえ」と事も無げにのんびりと呟いたのだが――紫からすればびっくりだ。


 そうしてミルシェリトの魔法のおかげで《ロストワックス製法》はこちらの世界でも再現可能だということがわかり、紫はほっと胸をなで下ろした。


「魔法って便利……」


 ほう、と溜息をつきながら、紫は青い鑞を削っていく。デザイン画通りに仕上げるのは紫の得意とするところだし、今回も問題なく制作できるだろう。


「よーっす、誰かいねえのー?」


 どんどん、と玄関の扉を叩く音が聞こえる。彼だろう、と紫は作業を進めていた手を休めた。


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