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 この指輪ってこれですか、と紫はピンキーリングをするりと抜き取り、ミルシェリトの手のひらにおく。うん、と言葉少なに返されて、紫はしげしげとピンキーリングをルーペで眺めているミルシェリトに「私が作りました」と小さく応えた。

 まだ彫金に慣れていない頃につくったものだし、見せるのは少々恥ずかしい。それでも気に入っているからいつも身につけていた。


「えっ、これお嬢さんの手作り?」

「はい。――ええと、彫金をならっていたので」


 紫はつい先日、彫金技術を学ばせてくれた専門学校を出たばかりだ。まさかこんなことになるとは、卒業当初は思ってもみなかった。


 へええ、と青い目を楽しげに輝かせて、ミルシェリトはさらに指輪を見ていく。あんまりみないで欲しいなと紫は思ったのだが、そんなことをいえるはずもなくただ黙ってミルシェリトの好きなようにさせた。


「ここが裸石(ルース)を主に取り扱ってるお店って言うのはわかると思うんだけど」

「はい」


 裸石(ルース)とは、まだ石座にセットされていない宝石のことだ。研磨され、美しい形にカットされたまま、石座に留められるのを待っている石たちのことだ。


 ロウシュという青年に連れてこられたときに、紫はとんでもないところに連れてこられたものだと思ったものだ。ガラスケースに箱に入れられたまま輝く石たちは、紫がこの世でもっとも親しみを持つ無機物の一種たち。そんな場合ではないと知っていても、ガラスケースに張り付いて石たちを見ていたいと思ったくらいの。宝石を輝かせるために宝飾品を作ろうと決心していた紫にとっては、夢のような場所。


「この石、僕は見たことないんだよね……お嬢さんが作ったなら、この石は何か知ってるよね? 地金は銀でまちがいないんだろうけど」


 ミルシェリトが指さしたのはピンキーリングに小さく収まっている紫のキュービックジルコニアだ。キュービックジルコニアはいわゆる人造石で、あの宝石の王のダイヤモンド(金剛石)に似せて人工的に作ったもの。いわゆる模造ダイヤ。

 人工的に作れるからこそ、本来のダイヤモンドにはないような色も作り出すことが出来る。紫がつけているのは、自分の名にちなんだ紫色だ。


「妙な石だね。有機質の宝石ではないのは明らかなんだけど――自然に出来たものとは思いにくいな。インクルージョン(包有物)石の内側の傷(クラック)もない。自然に出来た石なら傷があるのが当たり前。でもこれにはそれがない。まるで完璧な石を作り出したみたいだ」


 こんなの、初めて見るなあ……と戸惑った声を出したのは鑑定士でもある彼だからこそだろう。鑑定士としては今まで見たこともないような妙な石を見たら、それがなんなのか知りたくもなるはずだ。だが、紫の世界ではキュービックジルコニアは極めて一般的な石だし、鑑定士の資格を持っていればそれがキュービックジルコニアなのかどうかはすぐにわかるはず。


 おそらく、この世界にキュービックジルコニアなどは存在しないのだろう――と紫は確信を持った。


「人造石です。キュービックジルコニアって言って――私のいたところだと、一般的なのですが」

「キュービックジルコニア? 初めて聞くな……それに、へえ……人造石、か……お嬢さんのいた世界では石を作れてしまうのかい」

「はい。……えっと、その石以外にも色々あったり、ルビーやスピネルも作り出せたりするんですけど……」

「ルビーもスピネルも!?」


 ミルシェリトの反応を見て、ふつうの宝石――人造石でないもの――は存在しているらしいと紫はなんとなくほっとした。宝石の存在を確かめたところで事態は何の進展もしないが、宝石好きな紫にとっては少し気になることだったから。


「はああ……人造石か……いやあ、そっちの世界は何だかすごいねえ」


 感心しきりのミルシェリトは指輪を眺め終わったのか、紫の白く小さなてのひらをそっと取る。ぴくっと身をすくませた紫には気づかなかったのか、それとも気にしなかったのか、ミルシェリトはごく当たり前の顔をして、紫の左手の小指にピンキーリングをつけなおした。


「あっ、本当だ、職人さんの手だ」

「あっ、あのっ」


 彫金を学び続けていた紫の手のひらは、他の女の子たちと違って少々傷が目立つ。ヤスリで手を切ることもあるし、肉刺(まめ)も出来るし、彫金の際に使うバーナーで火傷をすることだってある。紫はあまりそれを見られたくはなかったのだけれども――何しろ女の子らしくない手のひらだ――、ミルシェリトは何だか嬉しそうだった。


「君は宝石が好きかい?」

「はい」


 紫の目をまっすぐに見ているミルシェリトの表情は優しい。研磨職人と鑑定士を掛け持ちするくらいだから、きっと宝石好きなのだろうと紫は思った。


 紫だって宝石は大好きだ。


 でも、それは一般的な“好き”――ジュエリーとして持ちたいだの、価値があるから好き――という“好き”ではなくて、石そのものが好きだったり、石に愛着を持つような……宝石の価値に関わらない、職業的、職人的な意味の“好き”だ。


 傷が付いていようといなかろうと、長い時間をかけて大地がはぐくんだ宝石たちは、かけられた時間に見合うだけの美しさがあるし、人を引きつけてやまない輝きがある。自然の神秘の結晶とでも言うべき宝石に、紫は優劣を付けられやしない。


 それだけの石好きの紫だったからこそ、紫と同じようにミルシェリトが石を愛しているのが彼女にはわかったし、ミルシェリトにも紫がそういう方面で石を“好き”なのが伝わったのだろう。彼は、ミルシェリトは本当にうれしそうな顔をしていた。


 ミルシェリトは「それはよかった」と微笑んで、紫の手をぎゅっと両手で包み込んだ。綺麗な顔立ちのお兄さんにいきなりそんなことをされたものだから、紫の顔は知らずと赤くなる。ミルシェリトにそんな意図がないのなんて明らかだけれど、仕方ないから許して欲しい――と紫は思った。あまり男慣れしていないのだ、紫は。


「えっ、あああ、あの!」

「お嬢さんさえよければ、の話になるけど」


 ミルシェリトは満面の笑みを浮かべている。一方で紫はひどく慌てていた。

 紫の傷だらけの手のひらとは違って、ミルシェリトの手のひらは女性みたいに美しくてすべすべとしているし、きめ細やかな肌は石膏像みたいに白くて滑らかで、何だかいたたまれなくなってしまう。


 ど、どうしよう――と焦る紫を気にすることなく、ミルシェリトは言葉を続けた。


「ここ、“星のかけら(プティ・エトワール)”で働いてくれないかな? ――彫金師として! 君みたいに宝石の好きな子が作る宝飾品を、僕は見てみたい」

「えっ――えええ!?」


 紫は思わず目をむいた。そんな提案がされるなんて思っても見なかったし、彫金師になるのは紫の夢でもあったのだから。


 ――その提案に驚きながらも、石に囲まれて生活できるなんて、と紫は照れを忘れて大きく頷き、それからもう二月経つのだ。時間の流れが速く感じるのは、毎日が充実しているからなのだろうか――と紫は物思いに耽る。


 紫が頷いたときのミルシェリトの喜びようと言ったらなかったし、紫も照れくさいながら嬉しかった。石に囲まれて生活できる上に、研磨職人の宝石研磨も見られる。宝石の鑑定の仕方は教えて貰えるのかしらとわくわくしながら、あの日の紫とミルシェリトは宝石について夜が明けるまで語り明かした。紫もミルシェリトも宝石が大好きだったから、いくら話しても話し足りないくらいで、会話が途切れるということはなかったのだ。


 その後、数日経ってから紫はミルシェリトから彫金道具を一式与えられ、星のかけら(プティ・エトワール)”の専属彫金師として働き始めることとなった。


 紫が宝飾品を作り上げる度にミルシェリトが感心する――そんな日々が続いている。そして、それがとても大切な日々になっている。


「――明日はサファイアのリングを作ればいいのかな」


 毎日の終わりにミルシェリトが持ってくる“納品リスト”に紫は目を通す。どうやら、明日はサファイアの指輪を作ることになっているらしい。手早く片づけたヤスリを綺麗に工具箱の中にしまってから、紫はリストを手に工房を出た。


「――どんなデザインがいいかなあ……」


 寝るまでには時間があるし、リングのデザインを練ってから寝よう、と紫は小さくのびをする。細かい作業をし続けていたからだろう、ぱきぱきと小気味よい音が廊下に響く。


「ああ、おなかすいた……」


 まずは晩ご飯を作ろうと、紫は台所へと向かう。何となく懐かしいこと――とはいえまだ二ヶ月ほど前のことだが――を思い出したことだし、と紫は小さく笑みを作った。


「今日の晩ご飯はミルシェさんの好きなグラタンにしよう」


 好きなことを仕事に出来るのは幸せだし、それを与えてくれたのはあのエルフの男性だ。グラタンを出したときに彼が浮かべるであろう笑顔を思い浮かべながら、紫はジャガイモを手に取った。


 


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