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「今日もいい天気!」


 ベットの上で伸びをして、カーテンを開ける。それから窓を少しだけ開けた。冷たくて爽やかな空気が、静かに部屋に満ちていく。こんな日はすべてが上手くいきそうな気持ちになる。晴れ晴れとした紫の気持ちを映し出すように、空も青く高く澄みわたっていた。


 その青さに一日の始まりを感じながら、ほんのひととき空を眺めていれば──なにやら白い鳥がすごい勢いで窓辺に近づいてくる。何かと紫が驚いたとき、白い鳥は真っ直ぐに部屋のなかに入ってきた。


「え、えっ、ちょっとまって!」


 部屋のなかを鳥が飛び回る。バサバサと羽ばたく音が響く。抜けた羽が何枚かひらひらと落ちた。どうしようどうしようと慌てた紫を尻目に、鳥はちょうど良い場所を見つけたとばかり、紫のベッドの木枠にのんびりと落ち着いた。

 よかった、と胸を撫で下ろしてしまう。鳥が羽ばたくのをやめたことで、紫はやっと鳥の足に何かがついているのに気がついた。小さな筒だろうか。蓋らしきものをあけてみれば、中に入っているのは薄い紙だ。筒のなかから引き出して、そっと広げてみる。


「これ……手紙?」


 細く小さく巻いた紙に、何かが書かれている。なんだろう、と紫が中を見てみれば、自分宛に送られた手紙だとわかった。差出人はミルシェリトだ。流れるように綺麗な文字で、何事かが書いてある。


【 ユカリへ。


 伝え忘れていたことがあったので、こうしてお手紙を書きました。驚かせてしまったらごめんね。きっとユカリのことだし、朝起きたら換気くらいはしてもいいかな……なんて思っているだろう──と僕は予想しています。あ、換気については僕も大賛成だからね。怒ったりとかはしないから! 夕方ごろに窓を閉めてくれればそれでいいんだ。朝の空気は体に良いというし。


 さて、本題です。僕は君のお留守番のために目一杯の魔法を家にかけてきたわけだけど、それをロウシュに伝え忘れちゃっててね。ロウシュが帰ってきたときに、お家のまわりが結界だらけだなんてきっと驚くし、もしかすると入ってこられないかもしれないから──『綻び』を作る方法を教えておきます。


 玄関からはでなくて良いから、まずドアのそばまで歩いてみて。それから足元を見てくれるかな? ドアのすぐそばのところに……ちょっと見にくいかもしれないけど、よーく足元を見てみて。針が五本ほど刺さっていると思うんだ、床にね。そのうちの一本……一番小さくて短い針。それを抜いてくれれば、玄関を出たところの目の前の結界が綻びます。人が一人は通れるかな? というくらいの大きさの綻びなんだけど。もしロウシュが帰ってきたら、そうしてお家に入れてあげてね。

 強盗避けだの泥棒避けだのをいっぱいかけてきちゃったわけだけど、あれらは個人を識別して【避けて(・・・)】くれる訳じゃないから。ええと、つまり魔法に親しくないロウシュにはちょっと厳しいというか、自力で抜けてくるのは難しくて──とりあえず、彼が帰ってきたら短い針を抜いて、彼がお家に入った後にまた針を元の場所に刺し直してくれれば大丈夫です。何もないときに興味本意で抜いちゃダメだよ! 例え抜いちゃったとしてもまた元に戻してね!


 追伸


 こちらの用事は八割くらい達成できたので、もうそろそろ帰る準備に取りかかれそうです。それから、お手紙を運んでくれた鳥さんに、お水とパンをひとかけらお願いします 】


 最後まで読み終えて、紫は小さく喜んだ。八割くらい用事が済んだということは、きっともう少しすればミルシェリトが帰ってくるのにちがいない。王様に呼ばれた……と言うようなことをいっていたから、もっとかかると思っていたのに。


「お手紙ありがとう」


 ミルシェリトの追伸通りにパンをひとかけら、水を小皿にいれて差し出せば、白い鳥は嬉しそうにそれをつつく。パンがなくなって、水が減った頃に鳥は窓から外へ飛び立っていった。



 朝食も終え、選択や掃除などの家事も終わらせて、紫は彫金台の前にいた。こちらに来てから少し伸びた髪を縛り、作業する準備はばっちりだ。スツールに腰かけてからウンディーネを呼び出す。彼は今日も機嫌よく、やすりをかけていく紫を見守っていた。


 やすりもすべてかけ終わり、やっと石留めの準備に入る。石留めと一口にいっても、留め方は様々だ。前にプリムのペンダントを修理したことがあったが、あのペンダントのように【爪】を作って石を止めるもの、覆輪といって石の回りを金属でおおってしまうものなどがあるのだ。紫が今回選んだのは魚々子(ななこ)留めだ。これは石を入れる穴を作ってから、魚々子(ななこ)たがねと呼ばれるたがねで石の回りの地金を押さえつけ、爪を作る留め方だ。丸く爪の跡がつくのが魚の卵のようだからと、魚々子(ななこ)と呼ばれている。


「どの石から留めようかな……」


 小瓶に入れた石とにらめっこしながら、紫は瓶をそっとふってみる。ルビーやサファイアは入れたことがあるし、と呟いて瓶をゆっくり傾け、中から一粒の緑色の石を取り出した。五月の新緑を思い出させる美しいグリーンは、エメラルドの特徴のひとつだ。人工的な鮮やかさとは違った、目を引く色合いの美しさ。澄みきった緑色は鉱物ながら生き物のような力強さがある。


「割れやすいから気を付けないと」


 エメラルドは非常に繊細な宝石だ。他の宝石と比べても内包物(インクルージョン)も、ひび割れ(クラック)も格段に多い。それはエメラルドの成長過程においてどうしても出来てしまうものなのだが、そのせいで他の宝石に比べて取り扱いが難しい。そのひび割れや内包物によって、石留めの際に割れてしまうこともあるし、使っている際に少しぶつけただけでもダメになってしまうこともある。引っ掻いたり摩擦には多少強いが、落としたりするなどの衝撃には弱いのだ。堅さがあっても脆い。


 傷があったり内包物があるということ自体が【このエメラルドは天然である】という証明にもなるのだが、基本的には傷や内包物などは無い方が価値が高くなる。紫のいた世界ではオイルや樹脂を含ませたりして傷を目立たなくさせるのが一般的だった。


 これは改良処理(エンハンスメント)といって、エメラルドに関して一般的な処理だ。研磨するうちに内包していた液体などが漏れ、傷が現れてくるエメラルドに樹脂などを含浸させるのは、【宝石の美しさを引き出す】というような意味合いが強い。含浸処理を化粧に例えるならば、化粧下地を塗って肌の表面を整えるようなものだ。その他の改良処理(エンハンスメント)には、サファイアやルビー、タンザナイトを加熱して色を鮮やかにする加熱処理などがあげられる。これは一般的な処理ゆえに、鑑別所などにも記載されないことが多い。紫が専門学校で学んだときには、改良処理(エンハンスメント)は基本的には化粧のようなものだと教えられた。化粧をして美しく装うひとは大勢いるが、「化粧をしている」と伝えてくるひとはまずいないのと同じことだと。


 一方で、改良処理(エンハンスメント)と少し似た処理にトリートメント(改変処理)というものがある。


 エンハンスメントは基本的に【元の美しさを引き出す】処理であるのに対し、トリートメント(改変処理)は宝石に科学的な処理を施して美しく見せる処理だ。そういったことから、あまり好ましくない処理とされている。エンハンスメントを化粧とするなら、トリートメントは整形だろうか。エンハンスメントに比べて人工的すぎる処理なんだろう、と紫は理解していた。


 エンハンスメントもトリートメントも、人の手を加えて宝石を美しくすることには変わりがない。が、トリートメントに関しては宝石を売る際にもきちんと説明をするべきだと考えられている。

 メノウやエメラルド、翡翠は【着色処理】されることもあるし、【放射線照射処理】といってピンクトルマリン、トパーズ、ダイヤモンドの色を変える処理の方法もある。もちろん、照射処理された宝石を身に付けていても人体に問題はない。市場に流通しているブルーダイヤモンドは、ほとんどがこの放射線照射処理を施されたものだ。

 その他にも【コーティング】【高温高圧処理】【拡散加熱処理】【ワックス処理】などなど、たくさんのトリートメント(改変処理)の方法がある。小売店で施される処理ではないし、鑑別機関でないと確実に見抜けないものばかりだ。だからこそ買うときには注意しなくてはならないし、売る際にはきちんとした説明を消費者にするのがプロだ──と教えられた。


 この世界ではエンハンスメントはどうやら存在していないらしい。宝石の研磨をしているミルシェリトに、一度聞いたことがあるのだ。彼は、興味深そうに紫の話を聞いた後「あまり現実的じゃないかも」と口にした。


 この世界の宝石は、観賞用としてはもちろん、サファイアにウンディーネが宿ったように、魔術的な道具としての価値も持つ。


 そんな【この世界の宝石】に、エンハンスメント(改良処理)を施してどうなるのかわからない、とミルシェリトは言った。もし【魔宝石(まほうせき)】のように宝石に精霊が宿っている宝石なら、いつかミルシェリトがいったように【精霊を怒らせる】ようなことにもなりかねないし、紫の作る装飾品のように【特別付与(ギフト)】が使える宝石だった場合、それぞれが持つ効果──精霊を呼び出せたり特別付与(ギフト)が使えたり──がどうなるのかわからないと。どちらの場合の宝石であってもかなり貴重なものゆえ、効果がなくなっただけの場合であっても大きな損失となる。それだけに「現実的じゃない」のだそうだ。リスクが大きいのなら手を出すひとはいない、と。つまりはそういうことらしかった。


「含浸処理なんて専門的すぎますもんね……」


 紫は手のひらで小さな小さなエメラルドを転がす。傷や内包物などがあるエメラルドは白っぽく見えてしまう。処理を施されていないこのエメラルドもまた、白っぽくみえていた。


 手のひらでエメラルドを転がす紫を、ウンディーネがつつく。まるで「早く石を留めて見せてくれ」とでもいうようだ。ふふふ、と紫は小さく笑って、指輪に開けた穴にエメラルドを嵌める。ルーペを片手にエメラルドを見つめながら、魚々子たがねを近づけていった。





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