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「元気だったかい? 悪夢にうなされてたり、寂しすぎて泣いてたりは?」
「大丈夫ですよ!」
ドアを開ければ、ミシェルがからかいの言葉と共に「お邪魔します」と入ってくる。いつも通り、食料品や生活必需品の入った袋を差し出してくれた。
「お金の方はミルシェリトが帰ってきたらあっちに請求するから、今日は気にしなくて良いよ」
そういう話で通してあるし、と言葉を切ってから、「なんかいい匂いがするなあ」とミシェルが呟いた。
「ちょうどキッシュができたところなんです。パンを使ったものなので、普通のキッシュと違うんですけど。お腹空いてますよね?」
「おっ。俺のために? いやあ、ありがたいな!」
「私の様子を見に来てくれるって、ミルシェリトさんから聞いてましたから」
焼けたチーズやパンの香りが漂っているのだ。紫もお腹がすいてくる。温かいうちに食べませんか、と声をかけて、ミシェルを食卓へと案内した。ミシェルとは何度か食卓を囲んでいることもあって、ミシェルはごく普通に席につく。出来上がったばかりのパンのキッシュをみて、「すごいなあ」と口笛を吹いた。
「俺は料理が出来ないからさ……ミルシェリトもユカリちゃんもよく作れるなって思う」
「そうなんですか?」
「そ。もっぱら食堂で食べたり、あとは取引先の接待とかで食い繋いでる」
「食い繋いでるって」
ふふっと笑ってしまった紫に、ミシェルもははは、と笑う。
「いやほんと、料理とか出来たら良いだろうなって思うんだけどさ。なんかうまくできないんだよ」
なんでも器用にこなせてしまいそうなのに、と紫が返せば、「生活能力が皆無なんだよ」とため息が返ってくる。「兄の方は得意なんだけど」と、深刻そうな顔をつくって見せたミシェルに「お兄さんがいらっしゃるんですか」と紫が返せば「面白味はないけど良くできた兄貴なんだ」とミシェルがパンにかぶりつく。
「ん……! 美味しいな、これ! ベーコンと人参とキノコと玉ねぎ、ピーマン……ジャガイモもか。具だくさんって感じでいいなあ。ピーマンの緑色も綺麗だし」
「口にあったならよかったです」
わたしも、と紫もキッシュ風のパンを口に運ぶ。思っていたよりうまくできていたのが嬉しかった。カリカリしたパンの部分と、キッシュのふんわりした卵の食感が口のなかを幸せにしてくれる。少し具材を入れすぎたかもしれないと心配していたものの、食べてみるとミシェルの言うとおり、「具だくさん」でちょうどいい。ベーコンの脂が香ばしく、よく炒めた玉ねぎが甘くて美味しい。気取りすぎず、かといって手抜きすぎることもない。ちょうどいい、という言葉がぴったりの食事になった。
「お前は食べないのか?」
二人が食べているのを見ていたウンディーネに、ミシェルがパンをひとかけつまんで差し出す。いらない、とでもいうように首をふったウンディーネに、「精霊だもんな」とミシェルは手を引っ込めた。食べたら食べたでびっくりしてるところだし、と。
「さっき、ワインは飲んでたんですけど」
「えっ。ワイン飲むのかよ」
食事と一緒に出されたコーヒーを飲み干し、精霊が酒を飲むのか、とミシェルが驚く。贅沢なやつだなー、とウンディーネに向かってにやっと笑う。
「白ワインなんですけど。酔っぱらったりしないんでしょうか」
「ミルシェリトに聞いてみたら分かるかも。……とはいえ、プリムのところのサラマンダーは胡椒を食べるし。そう考えると酒を飲んでもおかしくはないか」
「そうなんですよね──って、ミシェルさん、プリムちゃんを知ってるんですか」
うん? とミシェルは首をかしげる。ああ、聞いてなかったのか、と一人で頷いて、それから「俺の生徒なんだ」と何ということもなさそうに笑った。
「えっ」
「あいつ鍛冶屋だろ。俺は職人じゃないから、鍛冶についてはなにも教えてやれなかったけど、商いに関しては少しだけ面倒見てたんだよ。それから、魔法の初歩の初歩だけな。プリムが魔術師だって知ってたか?」
「魔法を使えるっていう話は何となくロウシュさんから聞いたような……?」
「うんうん。対象者に加護を与える魔法……衝撃に耐えられるようになる防御の魔法とか、傷を治す魔法は俺が教えたんだ。何かと入り用だからさ。その他の──なんだ、いわゆる……凍らせたり、火を出したり、風を起こしたり……っていう、【精霊の真似事】は自力で身に付けてるか、もしくは俺の他に師がいるはずだ。俺はそういうのが一切使えないから」
「じゃ、じゃあ……プリムちゃんのいってた『先生』ってミシェルさんのことですか? あの、鍵の形のペンダントをくれたっていう」
「おう。そういえばユカリちゃんがあれ直してくれたんだってな! プリムが喜んでたよ。俺からも礼を言わせてくれ」
「あ……いえ、お気になさらずに」
「いやいや。あいつにしてはかなり落ち込んでたから。直してもらえて良かったよ」
プリムちゃんの先生ってミシェルさんだったのか、と紫は妙な気持ちになってしまう。つまり、ミシェルがプリムの初恋の人だったというわけだ。確かにミシェルさんは優しいし、と紫はうなずく。その上気さくで、王子様みたいな容姿だ。憧れるのもわかってしまう。
「……ま、壊れたら捨てちまえって言ったんだけど。捨てたくないって駄々こねたもんだから。次の恋が見つかるまでのお守りにする! って。先生がどうでもよくなるくらいかっこいい人見つける! 願掛けなんだ! って言われちゃうとなあ。新しいの買って渡すわけにもいかないし」
「あっ……な、なるほど」
「先生としてはどうでもよくなられると、それはそれで寂しいもんだが……弟子の門出と思えば悪いもんでもない」
本人同士でちゃんとけりがついているらしい話だとしって、紫は密かに息をついた。この手の話にはあまり慣れていないぶん、どう返すのが正解なのか迷うときがある。
「俺からしたら、どうなっても可愛い生徒なんだけどさ。危なっかしいし、まだまだ手がかかる気がするし」
魔法の腕もまだまだ心配だし……と続いた言葉に、先生らしさを感じてしまう。ミシェルさんも魔法が使えるんですねえ、と聞いてみれば、「ごくごく限られた範囲のものだけど」と返ってくる。
「俺が使えるのは『加護』と『治療』の魔法だけだから、ミルシェリトみたいに竜巻を起こしたり、局地的な天変地異を起こしたりはできないんだ」
「局地的な天変地異」
「いきなり頭上に雷落としたりだとか、火柱たてたりだとか。……ああほら、さっき言った【精霊の真似事】ってやつさ。俺はそういうのが一切出来ない。仕組みと発生させる方法はわかってるけど、単純に向いてない。多分、小指の先程の炎を作り出すのに五分はかかるな。それなら普通に魔法道具を使うよ。あれなら五秒もあれば火がつくし」
「向いてるとか向いてないとかあるんですね……」
「あるある。魔法を使うためには【魔力】が必要とされる。でも、【魔力】があれば魔法が使えるか──というとそうでもない。世の中には魔法使いより魔力を持っていても、魔法が一切使えないやつもいる」
何で使えないんですか、と紫がきけば、「センスと本人の理解度」とミシェルが肩をすくめた。
「『道具』があっても『道具の使い方』が分からなかったら、ちゃんとした結果が出ないのと同じさ。スプーンがあっても使い方が分からなかったら、スープはすくえない。魔力があっても魔力の使い方がわからなかったら、魔法は使えないんだ」
魔力を適切に使うのに必要なのが『理解度』なのだとミシェルはいう。
「簡単に言えば、起こしたい現象がどうやって引き起こされるのかイメージできるか……ってことかな。雷が起こる仕組みを知らなければ雷は起こせないし、皮膚が修復する仕組みを知らなければ怪我は治せない」
「なるほど……。指輪の作り方を知らなければ、指輪は作れませんもんね」
「そういうこと。高位の魔術を使おうと思えば思うほど、『仕組み』をたくさん知らなきゃいけないから、必然的に魔術師は賢いやつばっかりになるんだな。……まあ、賢くなるにつれてちょっとズレてくるやつも増えるんだけど。複数の魔術を組み合わせて使う魔法なんて威力もすごいし、使えるやつも滅多にいない。何故か? ──っていうと、『組み合わせる』って発想が出来るやつがあんまりいないから、なんだってさ。常識にとらわれたら魔法ってそこで終わりなんだと。だから、凄腕の魔術師にあったら気を付けろよ。滅茶苦茶賢い非常識人……ってことだ」
「き、気を付けます……」
「もっとも、滅多に会えるもんじゃな──あ、すでにミルシェリトがいたか……。あいつは常識あるように見えてたまに変だからなあ……」
生魚と茸を蜂蜜であえたりするし、と苦々しく呟くミシェルに紫は苦く笑ってしまう。相当な衝撃だったのだろう。
「とはいえ、理解度の方はどうにかなるんだよ。覚えりゃいい話だから。問題はセンス。センスがないと理解度があってもどうにもならない。鳥がどうやって空を飛ぶのかを俺たちは知っているけど、人間は空を飛べないだろ……」
「飛べませんね……」
「才能っていうのは残酷だよなあ」
俺も氷を作ったり雷とか落としてみたかったんだけどなあ、と心底残念そうなミシェルの前で、ウンディーネがこれ見よがしに氷を作り始める。こらこら、と宥めようとした紫の目の前で、小さな氷の小鳥が部屋をはばたきはじめた。くるりと部屋を一周した小鳥が、ミシェルの頭にとまる。ふふん、と得意気なウンディーネに、喧嘩は買わないぞ? とミシェルはにやりと笑った。
「精霊を羨むほど身の程知らずじゃないからな。……氷が作れたら、食料品を運ぶのに良いなと思うけど」
「ああ……そういう使い方を」
ミシェルの言葉を聞いて、ウンディーネもどこか気が抜けた顔になる。ミシェルの頭に止まらせていた氷の小鳥を手元に戻して、ウンディーネはそれを水に変えた。それから、空になっていたミシェルのマグカップにその水を注ぐ。
「どうも」
精霊の御酌なんてなかなか体験できるもんじゃないな、と朗らかに笑って、ミシェルはマグカップに口をつけた。
「ん? ……なんかワインの味がするな。かなり薄いワインの味がする」
「さっき飲んでいたからでしょうか」
「そう考えると素直に飲めないな……」
その気持ちは何となくわかる──と紫は心のなかで頷いてしまう。ワインを飲んだ精霊が作り出す水はワインの味がする──ということはつまり、作り出した水もまたウンディーネの一部なのかもしれない、と。
「ああ、でもワインか。白ワインだったっけ? もうそろそろ満月も近いし、厄除けに飲ませておくのも良いかもな」
「厄除けに?」
「ミルシェリトから聞いてるだろ? 【闇に親しむもの】の話」
「あ──はい。いっぱい聞きました。すごく怖いから気を付けて、って」
「吸血鬼が白ワインを嫌うんだ」
「そうなんですか?」
「赤ワインは好物らしいけどな。人狼は香辛料を嫌うし、赤帽子はミントを嫌うし。悪魔はなんだったかな……餅? が嫌いなんだと」
「お餅ですか……」
「神に捧げられる食べ物だなんてとんでもない、しかも長寿まで願われちゃあ、魂をとるのに手間がかかる! ってことらしいぜ」
こっちにもお餅があるのか……と妙な気持ちになってしまう。変なところで紫のいた世界と共通項が見つかるのが不思議な感じだ。
ミシェルが聞かせてくれる話は面白く、紫はついつい聞き入ってしまう。気づいたときにはお昼もすっかり過ぎて、おやつの時間だった。




