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「……指輪を作ろうかな。シンプルなの」
誰もいなくなってしまった【星のかけら】の中で、紫は小さく呟いた。がらんどうの工房に声が響く。藍染めのエプロンをつけて、腰かけたスツールの上で小さく背伸びする。
──『ユカリちゃんが特別付与つきの宝飾品を作れるのなら、指輪をいっぱい作るのをおすすめしたいな。出来るだけシンプルなやつが良いよ。冒険者向けにね』
先日、プリムに教えてもらったことだ。鍛冶屋であるプリムは、普段から【冒険者】を相手にする商売をしている。だからこそ、彼らが何を求めているのかをよく知っていた。
──『見た目にこだわる人もいるけれど、まずは性能だからね』
怪物から逃げるために走ったり、戦うために武器を扱ったり。とにかく『動く』冒険者たちは、自分の持ち物に関してはシビアだ。見た目、つまりデザイン性よりも性能を重視する者が多い。前人未到の地にも、あるいは危険な生き物がすむ場所にも向かう彼らだ。動きにくかっただけで怪物の餌食になったり、自然の脅威に襲われるなど真っ平ごめんだろう。だからこそ簡素なものがいいのだとプリムは言っていた。
──『指輪なら地金も少なくて済むと思うし』
鍛冶屋を営んでいるだけあって、プリムは材料のことも考えて話してくれた。同じ地金の量でも、地金をそう多くは使わない指輪と、地金を多く使う腕輪では作れる数が増えてくる。使う地金が多ければそのぶん値段にも反映されるし、そうなれば作り上げたものは気軽に手を出せる物ではなくなる。「これは私の個人的な気持ちなんだけど」とプリムが前置いて話してくれたことが、紫の心にも残っていた。
──『鍛冶屋って、売ってるのは武器とか防具とか、そういうものだけじゃないと思うんだ。安心を売ってるんだと思う。怪物に遭遇しても防具が良かったら少しは安心できるし。武器も良いものなら、撃退できるでしょ。そういう安心を売ってるんだと思うの』
──買ってってくれたお客様には、いつでも無事でいてほしくって。
そう言って自分の作った防具を撫でる、プリムの優しい指先には、紫も思うところがあった。紫の作る宝飾品は、戦いには無縁なものだ。日々の生活に、あるいは特別な記念日に。ちょっとした「輝き」を添えるものだ。だからこそ紫も、手に取ってくれた人にはいつでも輝いてほしいと思う。大切な日に大切な人に貰った宝飾品。それはきっと、何年たっても【素敵な思い出】とともに持ち主に寄り添っていけるはずだ。持ち主を輝かせることができるはずだ。
プリムが思うことと、紫が思うことで形は違うかもしれないが、手にしてくれた人へ思うことはほぼ同じだろう。使うことによって、『今よりずっと良く』なってほしい。
──『それに、少しでも手に届きやすい値段で提供できたら、今より安全に冒険できる人も増えるのかなって』
なるほど、と思った。もちろん、安く売るというのにも限界はあるけれど、自分の作ったもので他の誰かの助けになるのなら、それは職人冥利に尽きるのではないだろうか。自分と歳もあまり違わないプリムからそんな言葉が出てきたのに、紫はじんときてしまった。だから、自分でもできることをやってみようと思えたのだ。綺麗なだけではなくて、ちゃんとした『お守り』になるような、紫だけが作れる特別付与つきの宝飾品を作ろうと。
平打ちのリングを作ることに決めて、紫はミルシェリトが製錬してくれた銀の板を取り出す。数日前にミルシェリトが魔法を使って製錬してくれたものだ。金を取り出していた金蛇と違い、この銀は鉱物から製錬していた。
宙に浮かせた銀の鉱石を、炎の魔法で温める。そうして溶けゆく鉱石に鉛を加え続け、【鉛と化合する卑金属】と【化合しない貴金属】とに分ける。そこに灰を加え、鉛と化合した卑金属の液体を、灰に吸収させてしまう──という方法だ。これは、【キュペレーション】と呼ばれる。
もちろん、紫は銀の製錬などをみたのは初めてだった。目の前でミルシェリトがやってくれたのが、まるで手品を見ているかのような気持ちにさせてくれたのだ。
魔法の炎にあてられてどろどろに溶けていく鉱石は、宝石のように赤く輝いていた。小さな太陽のようだったのだ。ミルシェリトはそこに灰を被せ、溶けた鉛と卑金属の化合物を灰に吸わせ。そうすれば後に残るのは貴金属の銀のみ。それを今度は精錬し、純銀の板に仕立てたというわけだ。
純銀の板は紫が知っている銀よりも、いくぶんか柔らかい。純銀を扱う感覚を楽しみながら、指輪に使うぶんだけの銀を切り出す。いくつか切り出して机に並べれば、まるで銀色の板ガムのようだ。
金属を切っている間は無心になる。自分で引いた線の上に、糸ノコを真っ直ぐに走らせる。ざくざくと音をさせながら、進んでいく刃をじっと見つめる。手が疲れてきたらいったんとめて、手をぶんぶんと振ってみる。それからまた糸ノコと向き合って、紫はひとつ深呼吸をした。どうしようもなく楽しい。自分の思うように、固い金属が切れていくのだ。真っ直ぐ、ズレもなく切れたときは最高に胸がどきどきする。ただの板だったそれらが、だんだんと別のなにかに変わっていく。それを見るのが、紫には楽しくてたまらない。
作業台の上に置いた指輪のサファイアがきらりと光る。手についていた銀の粉を払って、青いサファイアに触れた。明るい水色の光が水飛沫のように散って、ウンディーネが飛び出てくる。
ウンディーネはにっこり笑って、紫の邪魔にならない位置にそっと浮いた。
「人が作業してるところを見るの、面白いですよね」
水でできたような体を浮かせ、紫の手元がよく見える場所に陣取った彼を見てつい笑ってしまう。
ウンディーネは人が何かをしているのを見るのが好きなようだった。ミルシェリトが宝石の研磨をしているところを見るのも、紫がこうして彫金をしているのも。邪魔になることはなく、ただきらきらとした目で進む作業を見つめているのだ。最近では、何かをミルシェリトから学んでいるらしい。精霊術師だからなのだろうか、ミルシェリトにはウンディーネもよくなついていて、二人が親しげにしているのは紫としてもなぜか嬉しかった。
切り出した銀板を火で熱する。銀がオレンジ色に輝いてきた頃に火を止める。心得たとばかりにウンディーネが焼けた銀を水球で包み込んだ。水球はもちろん、ウンディーネが作り出したものだ。じゅっ、と水の蒸発する音がした。ありがとう、と紫がウンディーネに微笑めば、どういたしましてとばかりにウィンクが返された。
「これで準備完了、です」
金属を熱して柔らかく、加工しやすくするのが【なまし】だ。鉄などの金属ならば、徐々に冷ましていく【徐冷】をするのだが、銀はそれをすると逆に固くなる性質がある。熱したものをすぐに水などにつけて冷やすのは【急冷】といい、銀をなますときには急冷するのが普通だ。
なました銀は、薄い板なら手でも曲げられるほどだ。さすがにぐにゃぐにゃとは曲げられないが、指先に少しずつ力を込めれば案外曲がるもので、堅かった板が柔らかくなったのを実感する。
それでは板を曲げますか──と木槌を取り出した紫の目の前に、ウンディーネが液体の入った小瓶を持ってくる。ゆらゆらと瓶をふって見せるそのしぐさは、まるで『忘れているだろう』と言わんげだ。
「あっ、忘れてました」
ありがとう、と小瓶を受け取って、紫はそのなかになました銀を入れた。この小瓶のなかには酸が入っている。紫が今忘れていたのは、【酸洗い】だ。
熱したあとの金属はシミのように黒くなっていたり、あるいは変色を起こしていたりする。それは金属の酸化によって起こるものだ。変色やシミ、つまりは『酸化被膜』を取り去るのが【酸洗い】という工程だ。やり方は簡単で、薄い酸に金属をいれるだけ。紫が彫金学校にいたころは、専門店などで売られている粉末状にした薬品を使っていた。粉末の薬品にぬるま湯を加え、液体にすればそのまま酸洗いの液として使える優れもの。しかし、こちらにはそういうものはない。昔のやり方どおり、希硫酸を使っている。
酸に漬け込んで暫く様子を見ていれば、だんだんと濃いグレーのシミが薄れていく。シミがあらかた取れてしまったら、それを水で一度洗う。重曹で擦り、中和してからまた水で洗う。そうすれば、元の白っぽい銀の板になる。これで酸洗いは終了だ。
教えてくれてありがとうとウンディーネにお礼を言えば、ウンディーネは得意気な顔になった。きっと、彼は紫が気づかない時でも紫の作業を見ていたのだろう。工程を覚えてしまうほどなのだから。
それから、紫は鉄でできた棒を取り出した。これは芯金というもので、細い円錐状の彫金道具だ。曲げたい金属をあてがって、木槌で金属を叩いていけば、芯金の丸みに沿って金属が曲がるというわけである。指輪の歪み直しなどにもよく使う工具で、細くて重たいことを除けば、「一角獣の角に似ている」そうだ。ロウシュがそんなようなことを言っていたのを、紫はふと思い出した。なかなかファンタジックな例えだ、と聞いた頃は思ったものだが、この世界には実際に一角獣がいるのだから、ロウシュとしてはファンタジックでも何でもないただの例えなのだろう。
「太くて重い指揮棒みたいなものだなって思ってたけど、ユニコーンの角かあ……」
改めて芯金を見て、ユニコーンはこんな角をしているんだろうか──と考えてしまう。一回見てみたいな、とユニコーンにひとしきり思いを馳せて、紫は芯金に銀の板をあてがった。木槌でとんとんと銀を叩いて行く。叩くたびに銀はゆっくりと曲がり、Uのような形になり、それからCのようになる。空いた隙間を少しずつ埋めていくように木槌で叩いていけば、銀は徐々に輪に近い形になっていった。
トントン、こんこん、と木槌の音が工房に響く。芯金と木槌で次々に板を丸めていく紫を、ウンディーネが楽しげに見つめていた。




