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 【星のかけら(プティ・エトワール)】に紫が戻って数日後。穏やかなミルシェリトにしては珍しく、どことなく面倒くさそうな、なげやりな空気を纏いながら、彼は店の玄関に立っていた。のろのろとブーツを履き、外套を羽織る姿は、駄々をこねる子供を思い出させた。

 うだうだとしつつも玄関先で出掛ける準備をしてしまったあと、ミルシェリトは疲れた顔で紫に「よく聞いてね」と切り出す。このやり取りは何度目になるのだろうと思いながら、紫は頷いた。


「いいかい、ユカリ。念のために二日に一度はミシェルにここに来るように頼んであるけれど。でも、毎日来るって訳じゃないからね。何回も言っちゃうけど……とにかく、出来るだけ外には出ないこと。特に夜は! 夜は絶対に出ちゃ駄目だよ! 満月が近いし、そうでなくてもこんな山だ。何があるかわからないから、外に出るのはやめてね。【休業中】の札はかけておくから、お客さんのことも心配しなくて良い」

「はい」

「最近は商人狙いの強盗も多いと聞いたからね? 目一杯、出来る限りの強盗対策の魔法も呪術もかけておいたけれど、何かあったらとにかくウンディーネを呼び出して!」


 強盗はウンディーネに任せて撃退しちゃって良いから! とどこまでも心配性なミルシェリトに、紫は一つずつ頷いた。


 お店と家をかねた、山小屋のようなこの建物の周りを、ミルシェリトの魔法や呪術が二重、三重に取り巻いている。うっすらと淡い光を放つ膜のようなものが見えたからこそ、それがミルシェリトの魔法だと紫にもわかったのだ。ミルシェリトがこの家を覆っているドーム状のそれを作っていたとき、見ていたミシェルが「すっげえ」と呆れた声を出したのが印象的だった。やりすぎじゃねえのか、と。


 「籠城戦でもそんなエグい魔法は張らなかったぞ」などとミシェルが言っていたのに対して、「備えあれば憂いなし、だよ」とミルシェリトが緩く首を振る。何かあってからじゃあ遅いんだから、という言葉に、そりゃごもっともだとミシェルも頷く。そんな光景を見ながら、次々と張られていく光の膜──魔法や呪術──に、紫は目を奪われていた。今まで見たこともないものだから、すべてが物珍しい。特に、魔法など元の世界ではありえないものだった。だからこそ、気になってしまうのだ。


「ユカリも知ってると思うけど、魔法はいっぱいかけたからね」

「はい。ありがとうございます。ひとりでも、安心です」

「僕は心配でたまらないよ。ごめんね、留守番なんて頼んじゃって」

「いえ。大したことじゃないですから」


 ありがとう、と優しく笑ってくれるミルシェリトに紫も笑い返す。それと同時に、今目の前で紫の心配をしている男性が、昔どれほどすごかったか──ということについて思いを馳せてしまう。色々と衝撃的すぎたのだ。


 ロウシュとプリムからは聞けなかったものの、少し気になるからと、数日前に紫はミルシェリトに直接質問していた。


 ──「どなたに呼ばれているんですか」と。




 表には出さないものの、人を苦手にしているような部分のあるミルシェリトだ。そんな彼が、呼び出されていくほどの人とは誰なのか。どんな用事なのか。

 話して貰えないなら紫もそれ以上を聞く気はなかったのだが、ミルシェリトはため息と共に「王様みたいなものなのかなあ」と吐き出したから驚きだ。王様ですか!? とすっ頓狂な声を上げてしまった紫に、「厳密にいうとちょっと違うけど……」と金髪をもつ美しいエルフの男性は、長い長いため息をついたわけで。


「僕が昔に冒険者をしていたという話はしたよね」

「はい。ええっと、精霊術師……でしたよね?」

「そう。まあその……自分でいうのもおかしいんだけれど、いわゆる【凄腕の】とか【稀代の】とかっていう言葉が頭につくような、そういう才をたまたま持っていたんだよ、僕は」

「わ、わあ……」


 こちらの世界に来てまだ日の浅い紫でも、それがどれだけすごいことなのかは簡単に想像がつく。何しろ、【王様みたいな】ひとから声がかけられるほどなのだ。【凄腕の】も【稀代の】も、伊達ではないのだろう。


「それもあって、危険だと推測される古代の遺跡や洞窟……いわゆる【迷宮(ダンジョン)】の探索とか調査に加わってもらえないか──って打診が時折来ていてね。王様……というか、王の直属の組織からの打診は今月に入って四度目。流石にもう無視はできないから、直接出向いて断ってくるつもりさ」

「四度目……!?」


 それまでずっと無視をし続けてきたミルシェリトに驚いてしまう。繊細そうな見た目に反して、実はなかなかに豪胆なのかもしれない。


「普通の人間なら王様の言うことを無視し続けるのは難しいだろうけど、あいにく僕はエルフだしね。人の王のいうことを聞く義理は基本的にはないんだよ。……そうでなくともこんな山に住んでいるから。手紙が届かなかった(・・・・・・)ことにしてしまえばいいのさ。僕も【不翔鳥(ふしょうちょう)迷宮(めいきゅう)】になんてそうそう行きたくはないし」

「【不翔鳥の迷宮】……」


 どこかで聞いたような、と紫は首をかしげる。つい最近聞いたはずなのだ。あれは確か──


「あ、サファイアの……?」

「そう。ウンディーネが宿った精霊石(サファイア)をロウシュが見つけてきたでしょう。そのサファイアがあった洞窟のことだよ」


 結構危険な場所でねえ、とミルシェリトはまたもため息をついた。ため息をつくたびに憂鬱そうな雰囲気が濃くなっていく。


「洞窟の奥には魔王と呼ばれた怪物(モンスター)が眠ってるって話だし、そうでなくても、あそこに棲んでいる生物が、ここの生き物よりはるかに強いから。……現役時代に何度かいったことはあるけど、最深部に行く一歩手前くらいのところで引き返してたんだ。毎回ね。正直、またあそこにいこうとは思わないよ。今回は最深部を目指すと言われているし」

「とっても危ないところじゃないですか」


 最初の最初に熊で死にかけた紫からすれば、ただの地獄にしか思えない。それなのに『最深部にいく一歩手前』まで行っていたというミルシェリトは、当たり前かのようにさらさらと話す。


 サファイアを持ってきたとロウシュが告げたとき、ミルシェリトが心配した理由がここに来てよくわかった。一人で行ってきたというような話もしていたし、ロウシュもまた冒険者としての実力は高いのだろう。そのロウシュを案じることができるほど、ミルシェリトもまた【不翔鳥の迷宮】をよく知っているのだ。


「なんでまたあの洞窟を調べることになったのか、全くわからないんだけれど。まあ、そんな場所だから、何度か赴いたことのある僕の協力(・・)が欲しいそうでね」

「協力ですか……」


 頼りにされるのはありがたいけれど、とミルシェリトはがっくりと項垂れる。現役を退いた老人なんて連れ回すものじゃないよと言いながら、紫にまたひとつ言い聞かせた。


「とにかく、何度でもいうけど夜は外に出ないこと。満月が近いんだ。【闇に親しむもの】がいつ出てもおかしくないからね。これに関しては僕にもどうにもできないから」

「わかりました」


 ミルシェリトから聞いた話を思いだし、紫はしっかりと頷いた。


 【闇に親しむもの】。怪物(モンスター)とはまた違った、人の脅威になる存在がこの世界にはいるらしい。


 ──〝満月の夜には狼が吠える。満月の夜には蝙蝠が羽ばたく。満月の夜には悪魔が微笑む。外に出てはならない。幼子の手を離してはならない。夜はいつでも貴方を手招く。闇に親しむものへと手招く〟


 紫に【闇に親しむもの】の恐ろしさを言い含めた夜、ミルシェリトが静かに歌うように紡いだこの詩は、古くからこの国に残る『子守唄(ナーサリー・ライム)』だ。満月の夜には狼男が、吸血鬼が、悪魔が一人歩きをする人間を狙って、闇へと手招くのだという。自らの眷属を増やすべく、或いは自らの衝動を満たすべく。邪なる思いで、血塗られた手で人を害するもの。それを【闇に親しむもの】というのだと。銀のナイフをロウシュが見せてくれたときに話した【吸血鬼】は、まさしく【闇に親しむもの】なのだろう。


 昔よりずいぶんと被害は減ったけれど、彼らがいなくなることはないんだよ、とミルシェリトは紫によくよく言い聞かせた。


「彼らに本来の意味できちんと(・・・・)対抗できるのは【クルースニク】だけだからね。銀のナイフや弾丸で対抗できるという話もあるけれど、追い返すのが精一杯さ」

「クルースニク?」

「怪物退治専門の聖職者、といったところかな。元々は吸血鬼専門だったらしいんだけれど」


 今は他の【闇に親しむもの】も退治しているそうだよ、とミルシェリトは語った。満月の夜に出歩いて無事なのは彼等くらいだと。


「何にせよ、戸締まりはしっかりね。僕が帰ってくるまではここに通して良いのはミシェルとロウシュだけだよ」

「はい!」


 何度も何度も注意を口にするミルシェリトに、紫もしっかりと頷いた。ミルシェリトがここまでいうのだから、気を付けようという気持ちは否応なく高まる。加えて、この世界ではじめて朝から晩まで一人で過ごすのだとなれば、何だか緊張感までわいてくる。


「出来るだけ早く帰ってくるからね」

「わかりました。しっかりお留守番してます」


 うん、とミルシェリトは頷いて、ようやく玄関の扉を開ける。行きたくないなあああ……と嫌々ながらに呟いた彼は、重い足取りで山道を下っていった。

 三つ編みにした長い金髪が見えなくなってから、紫はしっかりと玄関の扉を閉める。鍵もかけ、扉の下部についているかんぬきもしっかりと。それから窓の鍵はどうか──などと見回って、確認を終えてから紫はほっと息をついた。籠城するような気分だ。


「……そういえば、いつも戸締まりきっちりしてた」


 ミルシェリトに就寝の挨拶をするのが紫の一日の終わりであったし、紫が「おやすみなさい」を口にするとき、大抵ミルシェリトは扉や窓のチェックをしていた。今思えば、満月の夜はそれが顕著だったように思う。そういうことだったのかと一人で頷いた。紫が気づかなかっただけで、ミルシェリトはいつでも用心深かったということだろう。何も知らない自分を、ミルシェリトがあれだけ心配するのも無理はない。


「ミシェルさんはいつもより頻繁に来てくれるらしいけど」


 人がいなくなったとたんに寂しくなってくるんだよね、と独り言を呟きながら、紫はいつものように作業場へと向かい、仕事に取りかかった。お客様が来なくても、紫の仕事はあるのだ。ミルシェリトが研磨した宝石を使って、装飾品を作るという仕事が。


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