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「ユカリちゃん、お魚平気だった?」

「わ……! ムニエル!」


 プリムが昼食を作る間、紫は千切れたネックレスのチェーンを繋ぎ直していた。ネックレスのチェーンは千切れた部分と金具とをロウ付けすれば終わるものだから、馴れれば十分とかからずに終わってしまう。ただ、繋げるもの同士が小さいせいで、気を抜いて火を当てすぎるとすぐにチェーン自体が溶けてしまう。そのために、慣れていても集中力が試される作業でもあった。


 繋ぎ直したチェーンも磨き、プリムにつれられて食卓へと移動すれば、そこにはこんがりと焼けた白身魚のムニエルがある。胡椒がかけられたものが二切れ、かかっていないものが一切れ。ロウシュは胡椒が苦手だそうだから、かかっていないのはロウシュ用だろう。ふんわりと漂うバターの香りに、紫のお腹がきゅう、と鳴った。あっ、と顔を赤くした紫に、「お腹すいたよねえ」とプリムが笑う。


「今日はね、すっごく良い出来なの! みて! このこんがりしたきつね色! 我ながら芸術的だよ!」

「とっても美味しそう! ムニエルなんて久しぶりです」


 旨そうだな、とロウシュも口にして、三人でいそいそと食卓を囲む。ムニエルに負けず劣らずこんがりと美味しそうに焼かれたパンと、ミネストローネのような赤いスープ、それからサラダがテーブルの上を飾っていた。こちらの世界に来てからは──というか、両親が突然の事故で亡くなってからは、自炊することしかしてこなかった紫からすれば、久しぶりの「人につくってもらったご飯」だ。森でさ迷って、ミルシェリトのところへ連れていってもらって。その時に食べさせてもらったシチューも美味しかった。人の作ってくれたご飯というのは、どこかどきどきとしてしまう。しかも、とっても美味しそうなのだ。


「昨日、良いお魚が入ったよって言われちゃったから……つい多く買っちゃって。一人でお魚祭りするところだったから、二人が一緒に食べてくれて嬉しいよー。やっぱり、美味しいものはみんなで食べるのが一番美味しいし」


 孤独なご飯なんて味気ないものよ、とプリムはニヒルに笑って見せる。紫はそれに強く頷いてしまった。一人で食べるご飯は、美味しくてもどこか味気ないのだ。


 フォークでムニエルを一口の大きさに切り分けて、プリムはふふふん、と機嫌良さそうに鼻を鳴らす。ぱくりとムニエルを食べて、「自画自賛だけどさいこー!」と満足げに笑った。紫もそれにならいムニエルを食べ、わあ……! とため息を漏らす。


「美味しい……! プリムちゃん、これ美味しい!」


 芳ばしくも甘いバターの香りが口の中に広がって、柔らかくふわふわとした白身魚の身から、じんわりと魚の旨味がしみだしてくる。切り身の端の方は少しだけかりっとしていて、それがまたたまらない。かけられた胡椒もちょうどいいアクセントになっているし、紫の顔は思わずゆるんだ。


「よかった! あっちの……山の方にすんでたら、なかなかお魚食べられないかなと思って。あそこ川あるけど……ねえ?」

「川はあっても、食える魚がいるかどうかはまた別の話だしな……」


 うまい、とロウシュも頷いてムニエルをもぐもぐと咀嚼している。そういえばお魚を食べてなかったかもしれない、と紫も頷く。行商人であるらしいミシェルが野菜を持ってきてくれることはあるものの、その他はほぼ自給自足の生活に近いのだ。ミルシェリトが散歩ついでに山菜をとってきたり、あるいは野うさぎのような生き物、鹿のような生き物をとってくるのにも、最初はいちいち驚いていた。が、今はもう慣れっこだ。猪くらいまでなら紫も笑顔で迎えることができる。熊を持ってこられたら、さすがに悲鳴をあげるかもしれないが。


「そういえば、ユカリちゃんはなんでこっちに下りてきたの? ロウシュは免許証(ライセンス)の更新だったみたいだけど」


 彫金材料の調達か何かなら、いいところを知ってるよ、とプリムはサラダを取り分ける。はい、とすすめられた小皿をありがたく受け取って、紫はプリムに「調べたいことがあって、図書館に」と答えた。プリムにドレッシングをかけてもらったサラダを一口食べて、きゅっと口をすぼめる。少し酸っぱい味のドレッシングだが、それが食欲を刺激した。


「調べたいこと……あー! わかった。【越境者】のことかな?」

「はい。わたし、越境者とか、それに関する色々……よくわかっていないことが多くて」


 何かわかればよかったんですけど、と紫は小さく息をついた。結局、わかったことなんてほとんどなかった。越境者について書かれた本はほとんどがおとぎ話のような体裁をとっていたし、実際に【越境者】についてはよく分からないことが多いのだろう。紫が見つけた本は軒並み【ジゼル・マキッティエ】の著書であり、そのマキッティエ女史こそが越境者の研究の第一人者であるようだった。紫がその話をプリムにすれば、「そうだろうね」と納得したような言葉が返ってくる。


「“研究の第一人者であったジゼル・マキッティエ女史”は、唯一……【越境者】本人から協力を仰げた人だから。彼女以上に詳細で綿密な記録を残せた人はいないんだよね」

「唯一、ですか?」

「そう。唯一。……今はそんなことはほぼ無いんだけど、昔は……【越境者】に冷たい時代だったから。昔は、【越境者】がどんな人たちであるか、が分からなかったから。だから、……本当にすむ世界が違う人たちとして、理解できない存在として、みんな避けてたみたいなんだ」

「そうなんですね……」

「うん……。だから、ユカリちゃんが読めた本が、残されている記録としては一番……誠実で正確なもの、なのかな」


 プリムが言葉を選んで紫に話しているのを、紫は何となく感じ取っていた。ミシェルが話してくれた【越境者】のそれといい、【越境者】は、あまり良い待遇は受けてこられなかったのだろう。彼の口にした「不幸になる」は曖昧な表現ではあったけれど、そこに間違いはなかったのだ。


「あっ、でもほんとに今はそんなことないからね。【越境者】ってすぐに見分けられる人もそんなにいないし……。何だかんだで、【越境者】が増えてきたのもみんな知ってるくらいだから。ちょっと珍しいなとは思うけど」

「あ……そう言えば、プリムちゃん、私の目を見て『越境者だー!』って言ってましたけど。目の色で見分けられる人がいるってことですよね?」

「そうそう。その時に言ったけど、越境者の人って目の色がちょっと不思議なんだよ。……なんだろねえ、どこか見たことのないような……そんな色をしてるの。まじまじと人の目を見ることなんてないから、大体の人は気づかないけど」


 不思議なんですか、と紫は自分の目に手をやった。自分の瞳はよくありがちな、濃くも薄くもない普通の焦げ茶の瞳だ。明るいブラウンの瞳に憧れた頃があったな、と思いながら、ムニエルを口に運ぶ。


「ユカリちゃんはね、ペンを紙にはしらせた直後のインクみたいな……そういう雰囲気の色の目だなって、私は思うよ。乾ききる前のインクって、濡れて少し光っているでしょう? ああいう感じかな。不思議だけどあったかい感じもして、……羨ましい」


 可愛らしい空色の瞳をぱちぱちとさせて、プリムはにっこりと笑う。そんなこと、と紫は口にした。空色の瞳も宝石みたいで綺麗だと。お世辞ではなく、本当に心からそう思ったことだった。ブルートパーズのような、澄みきっていて美しい水色の瞳は、秋口の高い空を思わせる。空気が綺麗で澄んでいて、飛びたくなるような色の空に似ていた。


「ふふ。ありがとう。彫金師さんから『宝石みたい』って褒めて貰えるなんて、とっても嬉しいよ」


 穏やかに話すプリムの言葉に、紫は少しだけ引け目のようなものを感じとる。なんだか引っ掛かったが、それが何だったのか紫にはわからなかった。


「ああ……ねえ、ロウシュもユカリちゃんも、このあとはミルシェさんのところに戻るんでしょ?」

「そうだな」


 もぐもぐとサラダを咀嚼し、飲み込んでから尋ねたプリムにロウシュが頷く。「帰っちゃうのかあ」と残念そうな口ぶりでプリムがふくれた。いつもこうだろう、とロウシュが首をかしげる。今回に限ってなぜそんなことをいうのかと。


「だって、ユカリちゃんはロウシュみたいに気安く山は降りてこられないでしょ? きっと、冒険者じゃないもん。そうしたら、次いつ会えるかどうかわからないじゃない」

「……そうだな」


 もうちょっと一緒にいたい、と口を尖らせたプリムに、「また連れてくる」とロウシュは返した。良いか、というような視線が紫へ向けられる。もちろん、紫は頷いた。紫のほうもプリムともっと話したかったからだ。


「……数日後にミルシェリトがあの店を空けるんだ。だから、今回はとりあえず帰らないといけない。留守番を頼まれているから。また暇があったら、ユカリを連れてくる」


 今回は我慢してくれないか、と口にするロウシュに、わがままは言えないもんね、とプリムも応じる。寂しそうだったのが紫にも切なく感じられた。

 そっかあ、と自分を慰めるように呟いてから、プリムはロウシュに尋ねる。


「ミルシェさん、お店空けちゃうんだ? どこか行くの?」

また(・・)呼ばれたんだと。戻らないか、と。相手が相手ゆえに手紙一通で断ることも出来ないらしくてな……」

「……ふーん」


 ため息をついてうんざりした顔を見せたロウシュに、プリムも低い声で面白くなさそうな相づちを打つ。あの人たちほんとにしつっこいんだから、とプリムは頬を膨らませた。


「今度見かけたら『お喋り蛙の呪い』をかけてやろうかしら。喋るたびにゲコゲコいうやつ」

「『赤鼻の呪い』にしておけ」

「鼻がピカピカ赤く光るだけじゃない」

お叱り(・・・)も少なくて済むだろ」


 ぷくっと膨れて「いい加減諦めればいいのにねえ」とため息をついたプリムに、ロウシュも深く頷いている。厄介なお客さんに呼ばれでもしたのだろうかと紫は思ったものの、うんざりとした顔の二人には聞く気にもなれなかった。




「また来てねーっ! 今度は私おすすめのお菓子も用意しておくから!」


 ちぎれんばかりに手をぶんぶんと振るプリムに、紫も笑顔で手を振って返す。

 紫の隣を歩きながら、「気分は晴れたか」とロウシュが呟く。何のことかと紫は目を丸くして、彼の緑色の瞳を見つめてしまった。そんな様子の紫に「俺の気のせいなら別に構わない」とロウシュは口を閉じてしまう。


「わ、私、変な顔とか、具合悪そうな顔をしてましたか」


 何やら心配してくれていたらしい人に、気の利いた言葉ひとつ返せないのにもどかしくなりながら、紫はたずねる。聞けば答えてくれるのがロウシュだと知っていたからだ。


「ここ数日、元気が無いようだったから。……越境者についてもあまり分かったことがないようだったし、落ち込んでいるのだと思っていたが。プリムに会ってからか? 今は落ち着いているように見える」

「あ……」


 元気がなかった、という言葉で思い当たることがひとつ。口にするのは恥ずかしさがあるものの、心配してくれたロウシュに黙っているのも不義理だろう。実は、と前置きして、紫ははにかみながらその原因に触れる。


「ええと……お恥ずかしい話なんですが、友達ができたら良いなとか、そういうことを考えていて。……ロウシュさんがプリムちゃんのペンダントの話をもっていらしたときに、羨ましくなってしまって──ううん、何でしょう、寂しかったのかも。もとの世界の友達のこととか、ちょっと思い出したりしてしまって」

「そういうことか」


 通りで今は落ち着いているはずだ、とロウシュは小さく笑った。


「うっ……。この歳で恥ずかしいですよね、友達が欲しいなんて」

「良いんじゃないか。この世界に馴染むためにも。親しい人間がいればそのぶん、こちらの世界にも早く慣れるだろう。プリムなら、職人としての見識を広める上でも良いんじゃないか。プリムの方も仲良くしたがっていたし。……というより、あちらはもう友人として見ているぞ」

「はい。……それが、自分でもびっくりするくらい嬉しくて。また会いたいって言ってくれて」

「あいつもあいつで寂しがりだからな。……歳の近い君が友人になってくれるなら、俺も嬉しいと思う」


 振り回されることも減るし、と小さく呟かれたのは恐らく冗談だろう。ロウシュには案外お茶目な部分があるのだと、プリムと共にいて分かったこともたくさんある。


「私、ロウシュさんに助けられてばっかりです。初めてあったときのことも、今日のことも。ロウシュさんがペンダントの話を私にしてくださらなかったら、プリムちゃんには会えなかったから」

「そうか」

「いつか、絶対に恩返しします」

「それなら、俺がどうしようもなくなった時に助けてくれ」


 特に気にした様子もなく、ロウシュはさらりと返しただけだ。それがまた格好良い。並んで歩く二人の背中に、穏やかな午後の陽が差していた。

 

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