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 まずは、と紫はポーチから銀線を取り出した。入れっぱなしにしておいてよかったなあ、と思う。ミルシェリトのところで作業をしていたときに銀線を使ったことがあるのだが、どうやら一時的に仕舞ったままだったのを忘れていたらしい。元々ある爪とよく見比べながら、取り出した銀線を同じ長さに切り、切断面をヤスリで綺麗に平らに整えた。それから、ペンダントの方に少しだけ残っていた折れた爪も平らにヤスリで削り取る。こんな感じかな、と平らになったのを確認してから、紫は指先でそっとサラマンダーを呼んだ。プリムが置いたままにしてくれていた粒胡椒を与えて、「この辺りに火を」とサラマンダーに囁く。


 ろう付けは驚くほどスムーズだった。サラマンダーが先程のろう付けで感覚を学んでくれたのか、ろうが溶けたところですぐに火もとめてくれた。賢いんだなあ、としみじみしながら、紫はそれを酸洗いする。


 石を留めなきゃ、と外れた石を取り出してから、あ、と忘れていたことに気づいた。石留めをするときにつかう固定用のヤニがないのだ。


 石を留めるときには台座を固定しなくてはならない。なぜかと言えば、爪を倒すときに台座が動いてしまうからだ。

 爪留めで石を固定させる際には、爪を『たがね』で倒していく必要がある。【たがね】とは、大体は細い鉄でできていて、用途によってたがねの先端は様々な形になっている。イメージとしては『芋けんぴ』というお菓子を細く、少し長くした感じだろうか。


 たがねの先端は、鉛筆のように細くとがったものもあれば、文字などが彫られていることもある。文字などが彫られている場合の使い方はスタンプと似たようなもので、先端を地金に当てながら、上から金槌で叩けば良い。そうすれば、簡単に刻印をいれることが出来る。要するに、判子のようなものなのだ。今回使う『たがね』は、先の方は丸みを帯びた四角形で、先端も緩やかに丸められている。これを爪にあてがいながら金槌で叩き、爪を徐々に倒していく……というわけだ。


 たがねの世界は奥が深い。場合によっては彫刻刀のように先端を加工し、金属に掘り模様を施す際に使ったりもするし、刻印を入れたり、爪を倒したり、あるいはリベットなどをかしめて留める際にも使われる。

 たがねは大抵、自分で作るものだ。まだ加工されていないたがねを買ってきて、自分で先端を削って作り出すものだ。だから、たがねの使い方も、持っているたがねの種類も、人によって全く異なる。紫はまだそこまでたがねに詳しくはなかったが、長い職人ともなればひとりで様々な種類のたがねを所有することも少なくはない。目的に応じて作るからこそ、どんどんと増えていく道具でもあった。


「うーん……固定するもの……」


 どうしよう、と悩んでいる紫を、サラマンダーがじっと見つめている。くりくりとした瞳に見つめられて、紫はちょっとたじろいだ。まるで、主人(プリム)の持ち物を早く直して、と言われているようで。たじろぐ紫をサラマンダーはそれでも見つめ、しばらくしてから諦めたようにふいっと視線をそらす。そらした先にはプリムがいて、プリムに向かってサラマンダーは不思議な鳴き声を漏らした。蛙と鶏の鳴き声を混ぜたような、不思議な響きだった。


「んー?」


 プリムがそろりと近寄って、サラマンダーの鳴き声に耳を傾ける。ふんふん、と頷いてから、紫に目を向けた。くりくりした丸い瞳は、サラマンダーのそれとよく似ている。かわいいな、と、ふと思ってしまった。


「ユカリちゃんさ、ウンディーネ……とか、呼び出せたりする?」

「ウンディーネ?」

「うん。なんかサーちゃんが呼び出してー! って。ユカリちゃん、もしかして契約してたりするのかな?」

「契約……かどうかはわからないですけど」


 呼び出せると思います、とポーチからあのサファイアの指輪を取り出した。蒼く、深く、透き通った石に触れ、出てきてください、と心のなかで呼び掛ける。


 石の表面がさざ波のように揺れ、青い光が飛び散った。光が静かに消える頃、ふんわりと現れたのはあの青年だ。


「……ウンディーネ? あれ? 男性?」

「男だが、ウンディーネだぞ」


 なんで? と首をかしげたプリムにロウシュが静かに答える。普通は女の子なんだけど、とプリムは出てきたウンディーネを不思議そうな顔で見つめた。先生に似てる、と呟いたのは紫には聞こえない。


 呼び出せたけれど、と紫はウンディーネを見つめる。彼を呼び出したものの、どうすれば良いのかわからなかった。

 ウンディーネの青い瞳が紫を見つめて、それからにっこりと笑う。ぱちんとウィンクをしてから、ウンディーネは作業台に置かれたプリムのペンダントに水の玉を飛ばした。あっ、と声を漏らした紫に安心させるように笑って、ウンディーネはすっと手を振る。しゃら、と手首についているブレスレットが涼しげな音を立て、ペンダントに飛んだ水が凍りついた。


「……な、なるほど……!?」


 そこには、作業台にくっつくようにして凍りついたペンダントがある。ちょうど、たがねで打ちやすいように固定されているのを見て、紫は感動の声をあげた。何て親切なんだろう、とウンディーネの手を握る。


「ありがとうございます! すごい……! 何だかよくわからないけどすごい、凍ってる……! そっか、私が固定できるものがないって悩んでいたから……!」

「氷で固めちゃったってことか! さすが精霊、頼りになるね!」


 やった! と小さくガッツポーズをしてしまった紫に、ウンディーネはどこか得意気だ。どうだ、すごいだろう。とでもいうような顔で口元に弧を描いていた。

 サラマンダーがまたもや鳴いて、プリムがそちらにふむふむと頷きながら耳を傾けている。


「えっと、氷が溶けないようにしててくれるそうだから、早いところ作業を済ませて、ってウンディーネはいってるみたい。ウンディーネもユカリちゃんの作業に興味、あるみたいよ」

「えっ」


 精霊も興味をもつのか、という気持ちと、何だか照れるなあという気持ちとをない交ぜにしながら、紫はウンディーネを見やる。ウンディーネはにっこりとして、金槌を叩くようなジェスチャーをして見せた。


「……ありがとう! 頑張ります!」


 ──『自由気ままに振る舞う“自然”が魔の力を借りて形を成したものだから、僕たちよりいろんなところがズレてるんだ。やりたいと思ったらやるし、やりたくないならやらないし』


 ミルシェリトのそんな言葉を聞いてから、心のどこかで精霊との意思の疎通は難しいのかもしれない、と思い込んでいたが、今のウンディーネの行動を見れば、もしかしたら案外簡単なことなのかもしれないと思う。紫の作業光景を見たくてウンディーネが力を貸してくれたのなら、紫はそれに応えればいい。して貰ったことにお返しすればいいのだ。


 ふん、と気合いをいれるために息を吐いて、紫は氷で固めてもらったペンダントに向き直る。何だか、いつもよりうまく石を留められる気がした。




***




「出来上がりました!」


 かつかつと金槌で叩く音が止み、プリムは紫の声ではっと現実に戻る。紫の作業は地味だったが、見ていて飽きなかった。少しずつ、ほんとうに少しずつ爪を倒しては、今度は向かい側の爪を倒す──という作業を繰り返し、気付いたときにはローズクォーツが、ペンダントのもとの位置にしっかりと収まっていた。


 紫の手元をじっとみていたウンディーネが手を叩き、まるで拍手しているかのようだ。凍りついていたペンダントからさっと氷を取り払い、ウンディーネはネックレスをつまみ上げる。しげしげと眺めて、しきりに頷いていた。


「も、元通りだ……! すごい、すごいねユカリちゃん! わああ……あんなにぐにゃってしてて、石も取れてたのに!」

「プリムさんがサラマンダーさんを貸してくれたからです。それから、ウンディーネさんも」


 ウンディーネから手渡されたペンダントを見つめ、プリムは大切そうにペンダントを何度も撫でている。嬉しさを隠しきれていない顔が、とても可愛らしかった。


「ありがと……! ありがとう、ユカリちゃん! 頼んでよかった!」

「そこまで喜んでもらえると、私もとても嬉しいです」


 なんだか照れ臭いけど、とはにかんだ紫に、プリムはぎゅうっと抱きつく。汚れちゃいますよ、と慌てて自分のエプロンをはたいた紫に、「ほんとにほんとにありがとう」と抱き締める力を強くした。


「これね、すっごく大事なものなんだ……。くれた人にも、そこまで壊れちゃったら新しいの買った方がいいよ、って言われたけど。でも、これじゃなきゃダメなの」

「プリムさん」

「プリムでいいよ、ユカリちゃん。……正直、ちゃんともとに戻るか心配だったのに、こんなにきれいに直してくれるなんて」


 嬉しい、とひまわりのような笑顔に紫もつられて笑ってしまう。こんなに喜んでもらえるのなら、やった甲斐があるというものだ。小さくて可愛らしいペンダントトップを大事そうに握って、プリムは「今度こそ大切にするね」と紫の手をとる。


「先生からもらって、ユカリちゃんに直してもらったものだから。今度はちゃんと、壊れないようにするから!」

「はい! もし壊れてしまっても、また私が直しますから。……本当に、ここまで喜んでもらえたら、私もとても嬉しいです」


 抱き付いたままのプリムを紫もそっと抱き締め返し、嬉しさにどきどきしながら緩んだ笑みを浮かべてしまう。自分の持っている技術で、こんな風に人に喜んでもらえるとは思わなかったから。


「あっ! ねえ、予定がなかったらお昼ご飯一緒に食べない? ロウシュも! お礼という訳じゃないけど、私、ユカリちゃんとご飯食べたい!」

「ぜひ!」

「そうだな」


 これから特に用事もないし、とロウシュも頷き、じゃあ決まりね! とプリムは紫の手をつかんでぶんぶんと振る。


「腕によりをかけるからねっ! 自慢じゃないけどおいしいんだから!」


 いっぱい食べてってね、と得意げな顔をした赤毛の少女に、紫は笑顔でうなずいた。

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