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16

 

 一人きりになった宿屋の一室で、温められたミルクのような眠気を感じながら、紫はベッドの上で寝返りを打っていた。

 寄せては返すような眠気は、あと一押しというところでさっとひいてしまう。もどかしくて眠れない夜は久しぶりで、何故なのだろうと紫は幾度目かのあくびを漏らす。

 就職活動していた時と、あとは両親がなくなって一週間が経った日の夜、こんな状態で夢とベッドの間をふわふわと漂うような心地でいたのを覚えている。

 そういうまどろみに包まれたとき、ゆりかごより優しく夜の闇より深い眠りは、朝まで訪れることはなかった。

 なぜ眠れないのか、紫はよく知っている。不安なのだ。


(欲張り、なんだよね)


 答えを返すことなんてない天井に、小さくつぶやいた。

 

(何でかなあ、何でそう思っちゃったんだろう)


 あの時、「あいつはしつこいんだ」とロウシュが口にしたとき、紫は少しだけ、自分がもやりとした気持ちを抱えたのがわかった。

 それはきっと、『自分にはなくて、ロウシュが持っているもの』が羨ましくなってしまったせいだ。

 良いなあ。そう思ってから、ずるい、と思ってしまった。


(別に誰も、ずるくないのに)


 紫の話を聞いてロウシュに修理の話を持ち掛けた子――『プリム』。

 親しそうに、少し悪態交じりに話されたその子の話を聞いて、紫はそうだ、と思い至ってしまった。

 ロウシュは紫と違って、ちゃんと【外】にいるのだと。

 日がな一日工房に閉じこもっている自分と違って、対等に話せて肩を組める相手がいるのだと。


 ミルシェリトは雇い主だし、紫の面倒も見てくれるような保護者だ。友人ではない。

 ロウシュは――命の恩人だ。商人のミシェルに至っては、気安く話せてはいるものの知人どまりだ。

 対等に向き合える人は、今の紫にはいない。それが少し寂しかった。

 穏やかで優しいあのエルフの男性も、ぶっきらぼうでも親切なあの青年も、紫を対等には扱わないだろう。

 紫もそれが正しいとわかっている。何もない紫にいろいろなものを与えてくれた人たちだ。

 その人たちにこれ以上を望もうなどと、少しも思っていないけれど。


 自分でも欲張りだと思っている。

 身の安全、住む場所、生活を確保しておいてもらって、これ以上を望むのはただのわがままだ。

 余裕ができてしまったから、望んでいるにすぎないのに。

 けれど、気づいてしまったらほしくなってしまった。

 隣でくだらないことを言い合う人が。

 他愛もない話をして、くすくすと笑いあえる人が。


(この歳で友達がほしいと思うなんて)


 ――紫には友人がいない。

 別に、それは仕方のない事だと思う。

 だってここは『異世界』だから。


 前の世界には友人もいたのだ。それを思い出してしまって、少しナーバスになっているだけだ。

 きっとそうだ、と自分に言い聞かせる。


飛鳥(あすか)ちゃん、元気にしてるかなあ……)


 高校生の頃に知り合った友人を思い浮かべた。

 紫より一つ年下の彼女はとにかくパワフルで、紫にはないものをたくさん持っていた。知り合ったきっかけはバードウォッチングだ。

 県内の様々な中学生、高校生が自由に参加できるイベントだったにもかかわらず、飛鳥はそこでかなり目立っていた。

 鳥が好きだと公言してはばからない彼女は、中学生の身分ながら大人顔負けの鳥の知識を有していて――何故だか紫にちょくちょくと話しかけてきたのだ。


 不思議な子だと思いつつも二人で野鳥の観察をし終えたころには、何故かわからないほど仲良くなっていた。

 引っ込み思案な紫に対して、ぐいぐいと引っ張っていくタイプの飛鳥は相性が良かったということなのだろう。

 紫が通っていた彩皇学園に飛鳥が入学してからも、先輩だとか後輩だとかの垣根なしに仲良くしてもらったのを覚えている。

 紫が剣道部の先輩に恋をした時も応援してくれた、ちょっと不思議だけれど愛嬌のある子だった。

 けれど紫は彼に告白することもなく、卒業していくその先輩の背を見送ってしまったから、応援してくれた飛鳥には申し訳ないことをしたとも思っている。


 紫が彫金師に本当になるべきなのか、それとも無難に大学に進むべきなのかの卒業後の進路に迷った時も、「私の意見なんだけどね!」と前おいて、『おんなじ人生送るなら、やりたいことやったほうが良いんじゃない?』と不敵に笑ってくれた。

 だから、紫は「そうだよね」と笑って彫金師を目指せたのだ。

 「紫ちゃんが彫金師になったら、私は鳥博士になるから!」と宣言した彼女のことをよく覚えている。


(もう、会えないのかなあ……)


 確か、飛鳥はこの春休みにフラミンゴを見るために南米に行くと息巻いていた。帰ってきたらお話を聞かせて、と言っていたあの日のことが遠い昔のようだ。

 思い出せば思い出すほど寂しい。


 懐かしい思い出に沈みながら、紫は浅い眠りの淵で朝焼けを待つ。

 夜明けの空のような色の石がはまったピンキーリングだけが、紫の心を慰めてくれた。




***




「こ、ここは……」

「鍛冶屋だ。……心当たりがあるのがここしかなかった」


 なんと形容するべきか、と紫は無言で『鍛冶屋』の入口を見つめる。

 鍛冶屋というと年季の入った建物だとか、どこかいかつさを感じさせる要素があるのではと紫は思っていたのだが――。

 なんと形容すべきだろう、と紫は改めて思ってしまう。

 ああ、と思いついた。


「魔女の家、みたいな……」

「間違ってはいない」


 ツタの巻き付いた外観、入り口付近に置かれた大釜。

 大釜の中をのぞきこめば水がたっぷりと注がれていて、魚が何匹か泳いでいる。

 釣り糸を垂れたカエルの置物が大釜の淵に置かれていたのがユーモラスだった。

 前を歩くロウシュに続いて、紫はきょろきょろと店の外観を眺める。見れば見るほど、おとぎ話に出てくる魔女の家のようだった。

 不思議で怪しい雰囲気の中にも、ちょっぴりユーモアが感じられるような。


 迷いのない足取りですいすいと店の扉の前まで進んだロウシュからは、何となくだが「常連さん」の雰囲気がある。

 それを感じ取った紫は、「何回か来てらっしゃるんですね」とがっしりした背中に語り掛けた。

 「時折な」と短く返したロウシュは、扉の取っ手に手をかけようとして――。


「おっと」


 その寸前で開いた扉に、後ろにのけ反った。

 鼻先すれすれをかすめていったその扉に「危ないな」と神妙そうにつぶやいたのがなんだかかわいく見えてしまって、紫は少しだけ唇をゆるめてしまう。


「やだー、朝早くからごめんね!」

「全くだ」


 ロウシュが店の扉を開ける前に飛び出てきたのは小柄な赤毛の少女だ。

 紫がつけるようなエプロンと同じようなものを身に着け、手には槌のようなものを握っている。

 小さな鼻先が炭のようなもので黒く汚れていて、それがかわいらしかった。

 ロウシュに親しげに話しかけた少女は、続いて興味深そうに紫を凝視する。まん丸の空色の瞳がぱちぱちと瞬いて、「ほんとだ」と口にした。


「越境者だ、本物だー!!」

「おい、うるさい」

「ごめんごめん! ちょっと興奮しちゃった! ……ユカリちゃんだよね、ロウシュから聞いてます! あたしはプリム! よろしくぅ!」


 高めのテンションに目をぱちぱちとさせながら、紫は自分に向かってまっすぐに伸ばされた手を握る。

 握手なんて高校生の頃、剣道の試合の後くらいにしかしたことがなかったけれど、不思議と『そうするのが自然』だと思えた。

 手を握り返したプリムは、丸い瞳で紫をみつめて、きらきらとした瞳になっていた。好奇心に満ちたこの瞳をどこかで見たことがある気がして、紫はしばらく考えてから納得した。


 ――鳥を目の前にした時の飛鳥ちゃんに似てるかも。


「わあ……ほんとだね、ほんとに目の色がちょっと不思議な感じ……いいなあ、知的で不思議でいい感じ!」

「目の色、ですか?」


 うん、とプリムは満面の笑みでうなずいて「あのね」と好奇心をむき出しにして語る。


「越境者の人たちはね、みんな目の色が不思議な感じなんだって……! 昔読んでた本に書いてあったの。ほんとなんだね!」

「不思議?」


 不思議だろうか、と紫は自分の顔に触れる。

 宿で自分の顔を見たばかりだったが、特段変わっていたところはないようにも思えた。


「まあとりあえず、入って入って!」

「あ、……はい」


 ぐいぐいと引っ張られたとことに紫は驚いてしまったが――小柄な見た目を裏切って、案外力が強かったのだ――ロウシュは慣れっこのようだった。

 いいなあ、とふとよぎってしまった考えに苦笑いをして、紫は首を振る。

 そんな紫に一瞬だけロウシュが何かを言いたそうにしていたのを、紫は知らなかった。


 

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