15
「“すんごい”……あはは、私、“すんごい”人じゃあないですよ」
ロウシュがプリムに頼まれたときの状況を仔細漏れなく話せば、紫は困ったように笑った。
『すごい人じゃない』。
それを肯定しようとも思えなかったロウシュは「そうなのか」と短く答えるにとどまる。
黒髪の青年には彫金の難しさや厄介さは分からなかったけれど、少女のひたむきさと手先の器用さは簡単に否定できるものとも思えなかったから。
少しの間一緒にいただけでも、少女の謙虚さはロウシュに伝わっていた。
否定も肯定も返さない代わりに、ロウシュは話を進めることにする。
肯定するにしても、うまい言葉が出てきそうになかったから。
「直せるかどうかだけ先に聞いておきたい」
「直せますよ」
鎖の状態と石座の状態を確認しながら、紫は特に問題もない、とロウシュに即座に返した。事もなげに答えた紫にロウシュも「そうか」と返しただけで、またペンダントをテーブルの上に戻した。
即座に返った反応に、少しだけ青年の表情が緩んだのは、安心した、といったところだろうかと紫は考える。
ロウシュは普段からあまり表情が動かないから、何を考えているのかわかりにくいのだ。加えて無口だから、ちょっと怖い。
「ええと、でも……そうですね、鎖が少し短くなってもよければ、鎖はこのままで『くっつけて』直そうかと。けど、それが駄目なら鎖だけ交換になりますね。石は……見たところ傷もありませんし、石が取れてしまったのは爪が甘くなっていたせいですから。爪もまた付けなおせば、ペンダントとして使えますよ」
「よく喋るな」
「……あ、す、すみません!」
「いや……」
元々泊まることに決めていた宿の一室で、ルーペを持ちながらそうつらつらと述べた紫は、ロウシュが無言で話を聞いていたのに身を竦ませる。
聞かれてもいないことをぺらぺらと喋った気がしたし、青年にとってそれが面白い話とは思えなかった。
加えて、表情の読みにくい仏頂面だ。顔が整っているのがなおさらに怖い。切れ長の瞳の迫力が紫を無言にさせた。
しばしの無言の後、口を開いたのはロウシュの方だった。
「悪い意味じゃない。よく分かるものだな、と思っただけだ。俺にはそれを見てもどう直せばいいのか分からないから」
「ええと、そうですね……。彫金は専門性が高いですからね……」
「話している内容は理解できない部分もあるが、君とミルシェリトの息があった理由がよく分かった」
――宝石が好きなんだな。
ごく普通の当り前のことのように言われたそれが、紫にはなぜかうれしい。
「はい」とうなずいて返せば、「もう少し教えてくれないか」と静かな声が紫の説明を促す。
やはり優しいひとなのだ、とほっとした気持ちで紫は息をついた。
テーブルに置かれたローズクォーツが、ランプに照らされてとろとろと光っている。
爪か、とロウシュは鍵の形のペンダントトップをつまみ上げて、「さっぱりだな」とまたテーブルに戻す。
しばらく無言が続いて、紫は恐る恐る口を開いた。
「えっ……と、爪っていうのはここの……石を押さえる部分で。“甘い”と言ったのは……おそらく、転んだときにどこかにぶつけたんでしょうか……爪が変な方向に曲がっているんです。だから、押さえきれなかった。本来の楕円形の石なら、石座から……モチーフである鍵の本体から外れてしまうところまではいかなかったのかもしれませんが、今回はハート型なので……爪留めをするにも、もともと不安定なんです」
「そんなものなのか」
「ええ」
ロウシュに分かるように“爪”を指さしながら説明していた紫は、そういえば――と気になっていたことを聞いてみることにした。
紫の知っている『銀』は、そう簡単に折れたりも、曲がったりもしない。
「この世界だと、銀には混ぜものをしないのですか?」
「混ぜもの?」
「あ――ええと、【割金】です。銀に銅を混ぜる、とか」
「君たちの世界では混ぜるのか」
「はい。純銀だと、どうしても柔らかいですから。加工もしにくくなりますし、こうやって変形もしやすくなります」
だからほかの金属を混ぜることで強度を上げるんです、と紫が答える。
ロウシュはだから混ぜるのか、と一つうなずいて「君の世界には魔法の概念がなかったな」と壊れたペンダントをトントンと指先でつつく。
この世界の銀にはどうやら、紫の知らない魔法的な価値があるらしい。
「俺たちの世界では銀は魔除けに使われているんだが。知っていたか?」
「魔除け……えーと、吸血鬼や狼男を倒す時に使われる……とかっていうのなら」
紫の知る『銀』の魔法的価値なんてそれくらいだ。しかも、おとぎ話程度のもので。
もう少し現実的な『魔除け』なら、出された食事に毒があるかどうかを判別するために貴族が食器に使用していた、というものだろう。
悪しきものが含まれていたなら黒ずむ、という話だが、それは盛られた毒によって銀が硫化し、黒ずむという化学的なものであり、魔術的な要素は一切ない。
その判別方法も割と穴だらけで、たとえばトリカブトの毒であるならば、銀の色も変化することはないのだと紫は聞いたことがある。
吸血鬼と狼男の話を持ってきた紫に、ロウシュは不思議そうな顔を隠さなかった。
「こちらの世界とほとんど同じだな。なら、なぜ混ぜ物を入れるんだ? 効き目が落ちるかもしれないのに」
「えっ? ……効き目?」
効き目って、と聞き返した紫に「吸血鬼や狼男を封じ込めるんだろう?」とロウシュが紫を見る。
翠の瞳はまっすぐに紫を見ていて、それが冗談の類ではないことを悟った。
それから、何度目かの諦めにも似た驚きを抱きながら、紫はおずおずと口にした。
やっぱりここは紫の知っている世界ではないのだ、とあらためて思ってしまう。
いろいろなところが似通っていても、それは「似ている」だけなのだ。本質的には、紫のいた世界とは全く違うのがわかるから。
「……こっちの世界には吸血鬼、本当にいるんですね……?」
「お前の世界にはいないんだな……」
二人で一瞬沈黙してから、いたらこんなことは言い出さないな、と一人で納得したロウシュは首の後ろをかく。
どう説明したものか。そんな雰囲気を漂わせていたロウシュだったが、不意に紫にとあるものを差し出した。
反射的に受け取った紫の手には、まばゆく輝く銀のナイフ。少し色が変わってしまっている気がするが、宝飾品の類ではない事を鑑みるのなら、しょっちゅう磨くこともないのだろう。
冒険用の手袋をしたままのロウシュはともかくとして、紫の方は素手だ。それに気づいたのか「持つ場所に気を付けろ」とぶっきらぼうな忠告が降ってくる。
はい、と紫はうなずいて、鈍く、けれど鋭い光を返すそのナイフを見つめた。
刃の方を触らないようにしながらナイフの持ち手に施された飾りに目を奪われていれば、ロウシュはナイフを指さして紡ぐ。
「襲われた時にはそれで対抗する。ある程度の効果はある。が、『奪う』までには至らない。あくまで護身用だ。気休めともいえる」
「襲われるって」
「夜の野盗と特に変わりはないさ。夜中に道をのんびり歩いていれば、血に飢えた吸血鬼に襲われることもあるし……満月の夜は、狼男が出てくることもある」
野盗、と紫はつぶやいた。こっち側で言う夜中のひったくりとか、そういったものなのだろうけれども。
そう考えると、吸血鬼も狼男も思っていたよりポピュラーな存在なのだと思ってしまう。
ガラス細工を買ってもらった店で聞いた吸血鬼の話も、ただの伝承やおとぎ話だと思っていたのに。
「世の中には吸血鬼やそういう存在を狩る者たちもいて――そういう職業のやつらはもう少し物騒なものを持っているな。多分、そちらは確実に仕留められるやつだと思う」
「銀のナイフなんて切れ味よくなさそうですけど……」
「問題は切れ味じゃない。傷つけられるかどうかだ」
そんな人たちもいるのか、と紫は手に持っているナイフを見つめる。
刃が銀でできたそのナイフは、大きさとしては果物ナイフと同じくらいだけれど――重さが格段に違う。
溶かしたら幾つ銀細工ができるだろうかと思ってしまってから、あわててその思考を打ち消した。これは人のナイフなのだ。それも、なんだか恐ろしい闇の生き物から身を守るための。
「じゃあ、混ぜ物はしない方がいいんでしょうね……」
「混ぜる、という発想は面白いと思ったが。金属同士を混ぜようとは思わないからな、普通は」
少なくともこの世界でそんなことを考えるやつは少ないと思う、とロウシュは締めくくる。
そもそも混ざるものなのかと問われ、紫の方も「ま、混ざるんですよ」と微妙に自信のない言葉を返すほかなかった。
紫は当然ながら――材料の金属を作るところから始めたことなど、ない。さすがにそこまでできる『彫金師』は珍しいだろう。
「これ、いつまでに直せばいいんでしょうか」
うっかり話がそれてしまったと、紫は壊れたペンダントを指さす。
当然のことながら火や、それ相応の設備のある場所でないと彫金などは出来やしない。
工房がないと作業はできない、つまり一度【星のかけら】に帰らないと作業ができないのだ。
火の心配を口にすれば、ロウシュは少しだけ考え込むようにあごの下へ手を置いて。
「火の心配なら……しなくてもいい。心当たりがあるからな」
「え?」
「君が望むなら、明日にでも修理は行えると思う」
出来たら早めに修理してもらえると俺が助かる。
あいつはしつこいんだ、と冒険者仲間の少女を指して呟いたロウシュに、紫は少しだけ寂しくなったのだった。
この人には友人がいるのだなあ、などと、小さな喪失感を抱えながら。