12
「案外早く街に着いたなァ。飛ばしすぎた? ユカリちゃんもロウシュも疲れてないか?」
「私は大丈夫です」
「俺の方も問題ない」
紫一人ならまだしも、ロウシュとミシェルがいたのだ。
おかげで、森は何の苦もなく抜けることが出来た。たまに角の生えた狼や、ここに来た一番最初の日に襲われた、あの怖い熊と同じ種類の熊に出会ったりもしたけれど。
そのたびにロウシュが追い払ってくれたし、ミシェルの方もロウシュに負けず劣らずの動きを見せていた。見るからに優男、といった風情のミシェルが、その辺に転がっていた手頃な木の枝で狼をひっぱたき始めたのを見たときは、紫でもちょっと呆れたくらいだ。見ていて色んな意味で怖かった。
銀髪のこの商人はミルシェリトとはまた違った意味で大胆なのだと思ったし、類は友を呼ぶのだろう。
ミシェルは商人だと聞いていた紫からすれば、ミシェルが凶暴そうな魔物のたぐいを退けていくのは純粋に驚くことだったのだが、「でなきゃこんな森に商売に来ねえよ」とあっけらかんと笑ったミシェルを見て、それもそうかと思い直した。
「俺みたいに色んな所を回る商人はな、武器を一つ持ってるだけじゃやっていけねえんだよ。馬車を引いて回る商人なら護衛をつけたりもするけど、見ての通り俺は単騎だから。他にもたくさん武器を持ってるってわけ」
町中を歩いていれば、馬を引き連れた商人の姿もちらほらと見かける。石畳の上を軽やかに、けれどゆっくりと走っていく馬は、紫のいた世界と全く変わらない姿をしていた。馬を見ていれば何となく懐かしい気分になったりもしたが、積み荷を見る限り、やはりここは異世界なのだろうと実感させられてしまう。赤ん坊くらいの大きさの人参を運んでいたり、ガラスでできたボールのような奇妙なモノを運んでいたりと、物珍しいことこの上ない。
商人たちの服装などもちらちらと見てみたりしたが、わりと軽装だ。動きやすそうなシャツにズボン、足をがっちり守ってくれそうなブーツ、といったところで、見栄えは悪くないが見た目よりは実用向きの格好だろう。
じっと商人を見ていた紫に気がついたのか、ロウシュが短く説明を加えてくれる。
「馬を引き連れるような商人たちは、盗賊にあってもすぐに逃げられるように軽装なんだ。荷も大事だが、命あっての物種だからな」
「だからなのかな……あんまり【商売人】って感じはしないですよね、ミシェルさん」
ミシェルはといえば、どこかの王子様か貴族かというような優雅格好だ。白いコートには繊細な金糸で刺繍が入っていたし、ぱりっとした白いシャツも、藤色のリボンタイも、同じく白いベストやスラックスに至るまで全てが“見た目重視”だ。ブーツはどちらかと言えば実用向きといったところだけれど、それだって品を捨ててはいない。全体的に優雅なのだ。
商売人と言われるより、聖職者ですといわれた方がまだ納得できる。そんな雰囲気だ。
「副業だしな」
副業なんですか? と聞き返す紫に「本業にしたい副業ってとこ」とミシェルは謎めいた微笑みを向ける。本業じゃないのかと頭から疑問符を出した紫に、ミシェルはぷっと吹き出した。目の前でけらけら笑い始めたミシェルをみて、ようやっとからかわれたのだと知った紫は、銀髪の商人を半眼でみつめる。
「……ミシェルさん」
「冗談だよ。ちゃんと本業だって。正しくは“本業にした元副業”って感じだけどさ。昔は俺もミルみたいなことしてたんだよ。そのころには“冒険者”なんて呼称はなかったけど」
「アンタ、冒険者だったのか」
「色んな所を巡ったりはしてたさ。適当に飲んだくれて、適当に遊んでた」
「放蕩者の間違いじゃないのか……」
「否定はしない」
紫のいた世界の男性アイドルも顔負けなほど綺麗なウインクを一つして、ミシェルはにっこりと笑う。きざな仕草もぴったり似合ってしまうところが凄いなあと紫は常々思っているが、口には出さない。
その経験あって色んな所に商売しに行けてるわけだから、あながち無駄な経験でもないんだ、ともっともらしく銀髪の商人は締めくくり「この辺でお別れかな」とその青い目を街の人混みの方へと向けたのだった。
「図書館まではついてってやれよ、ロウシュ。……それから、二人ともスリには気をつけろよ? ユカリちゃん、人気の無いとこは避けるべきだが、人混みはスリがいるからその辺注意な」
「ガキじゃないんだ、言われなくてもわかってる」
「はい。気をつけます!」
「おっし、良い返事。……ほんとはもうちょっとお前たちと一緒に街とか巡りたいんだけどさ、めんどくさいのに呼ばれてて」
「客か?」
「いいや。同業者だな。最近この界隈も俺たち目当てに一儲けしてやろうって強盗がいるから、その対策とかじゃねえかな」
「……アンタもなおさら気をつけろよ」
スリより面倒じゃないかと呆れたため息をついたロウシュに、「ただの強盗に負ける気はしないね」と悪戯っぽく笑ったミシェルは「それじゃ」と二人にひらひらと手を振る。
手をふりかえした紫に投げキッスを贈ったミシェルにちょっと笑って、紫はロウシュの隣に並んで街を歩き始めた。
***
「あの髪飾り、ちょっと綺麗……」
「おい、早速はぐれる気か」
人でにぎわった街を歩いていれば、当然のごとく露店がある。
いつものくせで――アクセサリーをみるといつもやってしまう――紫はふらりと引き寄せられるようにアクセサリーに見入ってしまった。 細々としたアクセサリーを取り扱っているらしい店の前で立ち止まってしまった紫に、隣を歩いていたロウシュがちょっとだけ不服そうな顔をする。
「あ、ご、ごめんなさい……!」
「急に立ち止まらなければいい。お前は人混みですぐに紛れそうだから不安だ」
見たいものがあるなら声をかけてくれれば構わない、と無愛想な声を返した黒髪の青年に少し気圧されつつも、紫は「このお店を見ても良いですか」と申告してみる。好きにしろ、と許可を貰ったところで、目に付いた髪飾りをいそいそと手に取った。
どんな風に作ってあるのだろう、どんな技術が使われているのだろう。
材質は? 加工の仕方は? どれくらいの値段で売っている?
アクセサリーやジュエリーを見るときは、職業病とでもいうべきか、まずそういった方面から品物を見てしまう紫である。
見たこともない加工の仕方、意外な材質の使用法。
自分では考えもつかなかったようなやり方が形になっていたりするから、製品となったものをじっくりとみるのは勉強になるのだ。
事実、専門学校に通っていた頃は、親しい友人と帰り道にアクセサリーショップに寄っては、可愛いアクセサリーのデザインをじっくりと観察したり、作り方を想像したりと――なかなかに楽しい勉強をしていたものだ。
アクセサリーを買う前に「これ、自分で作れるかな?」と考えてしまうのが癖になっているといってもいい。
――綺麗な透かし彫り。
薄い金色の板には、植物の蔦に囲まれた女性の横顔。カメオによく使われるようなデザインだなと思いながら紫は髪飾りをじっくりと見つめる。バレッタという性質上、あまり重いものには出来ないから透かし彫りという加工法――要するに“切り抜き”を選んだのだろうが、繊細な手仕事だというのがよく伝わってくる出来だった。
――あっ、それなりのお値段だ……。
バレッタをひっくり返したりする間にこっそりとみた値札には、納得できる値段の札がつけられている。
金色の板とはいえ、材質としてはおそらく真鍮だし、真鍮そのものはあまり高価な素材ではない。けれど、デザインや加工法、仕事の丁寧さによっては貴金属で作られたそれより高価な場合だってある。
素材の高価さを上回るときもあるのが、職人の腕という奴だ。
「おや、このバレッタがお気に召したかい」
「あっ……ええと、その、この透かし彫りが素敵だなって。髪飾りには珍しいデザインですね」
急に露店のおじさんに話しかけられ、思わずわたわたと挙動不審な行動をしてしまったものだが、おじさんは特に気にしなかったようだ。
「そうか? もしかしてお嬢ちゃん、この国の人じゃないのかい? ――ああ、兄妹で旅してるのか!」
「えっ?」
紫とロウシュの髪色が同じ黒だったのを見て取った露店の店主は、おそらく勘違いをしたのだろう。
ロウシュさんとはあんまり顔は似てないと思うんだけど、と口にはしなかった紫をさしおいて、「このバレッタはこの国に伝わる昔話をモチーフにしたデザインなのさ」と店主はなめらかに話し出し、バレッタに彫られた女性の横顔を指さす。
よく見れば、蔦に囲まれた女性の顔はどこか悲しげだった。伏せられた目は悲しみをこらえているような――そんな顔に見える。
「昔な、この国には魔女がいたんだ。華樹の精霊と恋に落ちた魔女が」
「魔女……?」
「そう。魔女って言っても、“越境者”だったって話だけどさ。とにかく魔女は恋に落ちて――でもその恋は幸せなもんじゃなかった」
「そうなんですか……」
「華樹の精霊が死んじまったのさ。ひっそりと暮らしてた二人の家に、火をつけた奴がいた。魔女は悲しみ山に引きこもり……生涯を終えた。いわゆる悲恋さね……。だからこのバレッタの“魔女”は泣いてるのさ」
なるほど、と紫はバレッタの横顔をじっくりとながめる。やっぱり、悲しい顔だった。
――不幸な目に遭うって、本当なんだ。
ミシェルの話していた吸血鬼と魔女の話も、今聞いた精霊と魔女の話も。
二人の“越境者”が不幸な目にあっている。それが本当にあったことかどうかは紫には分からないけれど、伝承として伝わる以上、何か似たようなことがあったのは間違いないのだろう。火のないところに煙は立たないのだから。
「でも悲しいばかりの話じゃあないんだぜ。自分が悲恋に終わったからと、この魔女は恋する乙女を助けるって話も一緒に伝わってるのさ」
「恋かあ……」
「ん? お嬢ちゃん、好きな相手でもいるのかい」
にやにやと笑って茶化してくる露店の店主にいませんよ、と紫は首を横に振った。恋なんて初恋が最初で最後だったようなものだ。
その初恋だって、もう高校生の頃の話だ。もう何年も前のこと。
それに、紫の初恋の人は――この世界にはいない。
「そうか。じゃ、他のが良いかねえ」
ちょっと元気をなくした紫をちらっと見た店主は「これなんかどうだろう」とガラスでできた小さなペンダントトップを取り出してきた。きらきらと赤く輝くそれは、瑞々しそうなラズベリーを模している。つやつやとしたそのラズベリーは、ガラスであると分かっていても口に含みたくなるようなみずみずしさだ。美味しそう、と呟いた紫の隣で「食べるのか」とロウシュが同じように小さく呟いた。食べません! と咄嗟に返した紫に、店主がくすくすと笑う。
「これは旅路の加護とか、健康とか、家族愛とか――とにかく、“無事でありますように”って代物さ。お守りだな」
「可愛いお守りなんですね」
「これも昔の伝承でね。――昔、白い髪を持った双子の姉弟がいたんだが……」
「あの、すみません……買って貰ってしまって」
「気にするな。おそらく、そのままあそこにいたら何か買うまで放して貰えなかっただろうから」
紫の胸の上では、ガラスでできた小さなラズベリーがつやつやと輝いている。ラズベリーにまつわる昔話をひとしきり聞いた後、ロウシュが「これをくれ」と店主に申し出たものだ。
旅人のお嬢ちゃんにはサービスで、と革紐にそのラズベリーのペンダントトップを通した露店の店主から受け取ったそれを、紫は早速身につけていた。可愛いと思ったのもそうだが、ロウシュから貰ったというのが嬉しかったからだ。
「お守りで全身を固めていれば、そう厄介なことにも巻き込まれないんじゃないか」
冗談なのかそうでないのかちょっとわからないロウシュの言葉に曖昧に笑って、紫は「そうですねえ」と胸の上のラズベリーに触れる。ガラスのちょっと冷たい感覚が、なんとなく心地よかった。