11
「お、ロウシュ。何か久し振りだな。最近姿見てなかったけど。元気だったか?」
「元気じゃなかったら大人しくしている。問題ない」
むすっとしながら返されたそれにもミシェルは上機嫌に笑うだけだ。たぶんこの二人も付き合いが長いのだろうと、紫はミシェルの座っている席の真向かいに腰掛けたロウシュを見やる。
ロウシュはいつもよりも眉間に皺を寄せた仏頂面だったが、それが朝に弱いだけということを、紫はついこの前知ったばかりだ。
「お前、相変わらず朝に弱いのか」
「うるさい」
からかうように声をかけたミシェルにつんとした態度をとりながら、ロウシュはのろのろと朝食を胃に収めていく。今日の朝食は焼いたベーコン、目玉焼き、野菜のスープにパン、サラダ――といった簡単なメニューだ。
ロウシュは胡椒を好まないということを紫はついこの前知ったから、ロウシュの食事には胡椒を使わないようにしている。前に一度、胡椒をかけたベイクドポテトを出したことがあったのだが――申し訳なさそうに「苦手なんだ」とお皿をそっと返されたのだ。それからは気を使うようにし始めた。
紫だって朝から嫌いなものを出されたら、一日のやる気がちょっとなくなってしまう。今のところ彫金しかできることがないのだし、それなら少しでも得意な料理では役に立ちたいと思う。ロウシュは間違いなく命の恩人だし、ロウシュに出会わなければ紫は今頃あの熊の胃の中にいただろうから。
「へえ、これお守りなのか。珍しい石のはまったリングだとは思ったが……」
「ユカリの世界にしかない石だそうだ。人工石……だったか? 人工的に作った石、なんだろう?」
「はい! えっと、キュービックジルコニアといって……ダイヤモンドの構造を真似した石なんですけど」
「へえ、ダイヤ! 凄いな、ユカリちゃんの世界では宝石をつくれちまうのか」
「値段は全然違いますけどね。やっぱり、自然に出来たダイヤのほうが値段は良いです」
「俺には、石なんてどれも同じに見えるけどな……」
どれも光ってるじゃないか、と紫のピンキーリングを見つめたロウシュに、「石取ってきてる奴にあるまじき発言だなァ」とミシェルがあきれた顔をする。
「ダイヤで作ろうと“装飾品”として作ったのなら“装飾品”だし、ダイヤを模したものであれ、持っている本人が“お守り”だと思うなら“お守り”だろう。思い入れによる価値は素材の価値に比例しない。本人が“お守り”だと思うなら、そっちが本当のお守りだろう」
「そりゃそうなんだけどな……」
そんなロウシュをウンディーネがにらむようにしてじろじろと視線を突き刺していた。「本物のお守り」という言葉に引っかかったんだろうなあ、と紫は思わず苦笑いをしてしまう。
ミルシェリトはウンディーネの宿った指輪をお守り代わり程度の気持ちで持てばいいと言っていたが、どうやらウンディーネはそれを本気にとらえていたらしかったから。
「持ち主を憑り殺すような事があったら、指輪ごと破壊するからな」
「いつになく機嫌悪ィなロウシュ……」
突き刺された視線の分だけ、凶悪な眼光線を飛ばしたロウシュにミシェルが「これだから寝起きは」とにやにやした顔を向ける。
「何、ユカリちゃんにべったりなコイツに嫉妬してんの?」
「何言ってるんですかミシェルさん……」
やめて下さいよと紫は口をへの字に曲げる。小学生の男の子じゃあるまいし、ちょっと子供っぽすぎるからかい方だろう。何より、ロウシュに申し訳がない。案の定、ロウシュの方も「違う」と冷たい視線でミシェルのそれを一掃していた。
「彫金師がいなくなって困るし、ここにユカリを連れてきたのは俺だ。死なないようにと森の中から連れてきたのに、ここで死なれたら俺のあの時間が無駄になる」
「確かに」
そのとおり、と頷いた紫に、「いやここは怒っても良いところだと」とミシェルが微妙な顔をしたが――紫は別に怒るような所ではないと思う。
あの森の中で助けて貰ったこと自体がすでに感謝してもしきれないのに、ここで彫金以外になにか取り柄があるわけでもない紫だ。色々と多忙らしいロウシュの時間を削り取るような形で、あの日に足手まといとなったことは否定のしようもない。つまり、ロウシュの言うことは正しい。
頷いた紫を一度だけちらっと見てから、ロウシュはどこかむすっとした雰囲気を作りながらも「それにミルシェリトより飯がうまい」、とだけ付け足した。
これはフォローなのかな、と紫は思う。
ロウシュがぶっきらぼうなのはもう分かり切ったことではあったけれど、本人もそれを少し気にしているのか、それとも紫に気をつかってくれているのか、たまにこうして少しだけ嬉しい言葉をかけてくれることがあった。森の中でも思っていたことだが、基本的にロウシュは良い人なのだと思う。ただ、ちょっと雰囲気が怖い。無愛想なのが勿体ない、というのがおそらく一番正しいはずだ。
「僕の料理、あんまり美味しくなかったりした? 」
「いや……そんなことはないが……モノによる、が正しいな」
言うべきか言わざるべきか、といったような雰囲気で少し口を閉じたロウシュは、「ミルシェリトはたまにとんでもないモノを作るからな」と眉間にしわを寄せる。それについで、「ああ、確かに」とミシェルが深く頷いた。
そんなに不思議なモノを食べた記憶はないですけど、と恐る恐るミルシェリトのフォローに回った紫に、ロウシュは「知らないことは恐ろしいな」とほんの少し生暖かい目を向ける。そんな顔をしたこの青年を見たことがない紫は、思わず、紅茶に砂糖を落とし、かき混ぜているエルフの男性を凝視してしまった。
――この人は何を作ったというのか。
「変なものとか作ったかな、僕」
記憶にないけども、と首を傾げたミルシェリトに。
「ベリーとイノシシ肉のミルク煮は一生忘れられない味だった」
「生魚と茸の蜂蜜和えもなかなか強烈だったなァ……」
お互いに一番「あり得なかった」料理を挙げて、ロウシュとミシェルは固い握手を交わしている。ミシェルの隣でちょっと引いた顔をしているウンディーネは、料理名から味を想像したのか、ロウシュそっくりに眉間にしわをこさえ。ウッ、と口元を押さえている。精霊にも味覚なんてあるのかと妙なところに感慨を覚えてしまう紫だ。
――てっきり何も食べないものと思っていたけれど、今度から何か食事を出した方がいいのかな。
不味かった、ひどかったと顔をしかめる二人を目の前に、ミルシェリトさんって案外大胆だなあ、と紫はしみじみと思う。怖いもの見たさで食べてみたい気もするが、二人の反応を見る限りやめておいた方が良さそうでもある。
「ちょっと個性的な味付けかなとは思ったけど、割とあんなの普通じゃない?」
「アレを普通って言うなら俺はお前の味覚を疑うよ、ミル」
「イノシシ肉を入れたときにちょっと失敗したかなぁとは思ったし、蜂蜜で和えてるときに何で蜂蜜入れたんだっけ、とか思ったりもしたけど、別に毒物を作ったわけでなし」
「失敗したかと思った時点でやめてくれ……」
わりと切実な声音のロウシュに紫は少し笑ってしまう。何だ、と不思議そうな顔をされたが、「本当に美味しくなかったんですね」と紫が言えば「人を選ぶ味だし、普通の人なら選ばない味だな」と真剣な言葉が返ってきた。
「失敗は成功の母だから」
「じゃあ今度は普通の料理作ってくれよ……失敗を元に成功を俺たちに提供してくれよ……」
見た目は良かったのに口に含んだときの裏切られた感じは忘れられない、とミシェルはきれいな顔を思い切りくしゃりと歪める。生魚と茸の蜂蜜和えか、と紫は味を想像しようとして、よぎった不安にそれを中止した。蜂蜜の甘さと生魚の生臭さが何とも言えずに悪夢な気がしたからだ。
お前変なところでオリジナリティを発揮するから手に負えないよな、とぶつくさ呟いたミシェルは、三人の話にくすくすと笑う紫を見て「そうだ」と思いついたように笑顔になった。
「飯の不味い話はおいておくとして。ユカリちゃん、街に行くって話なら、俺と一緒に行くか? 一人でこの森は抜けられねえだろ」
「あっ、それならロウシュさんが。ロウシュさんも街に用があるらしくて、ついでに、という話で」
「そっか。それなら良かった。帰りは?」
「帰りもですよ。街に二日滞在して、それから帰ってくる感じです」
ですよね、と紫が確認すれば、ああ、と淡泊な答えが返ってくる。
「街に用があるのか、ロウシュ。……って事はアレだな? 免許証の更新か?」
「ああ。もうそろそろ切れる」
免許証がないと狩りも出来ないからな、とロウシュはスープを飲み干し、「手続きが面倒で困るよなあ」とミシェルが笑う。
「俺が商人になった頃は許可証なんて無かったのになァ」
「何年前の話だ」
「ざっと二百年」
ハートマークでもつきそうな調子でニヤリと笑ったミシェルに、「だろうな」とロウシュは翠眼を細めた。俗に言う半眼だ。ジト目ともいう。
ミシェルがふざけた調子なのは今更だとわかっているからこそ、ロウシュの方も適当にあしらうのだろう。
「んじゃ、俺も行きだけは一緒に行っても良いか? 話し相手がいないと暇でさ。何せほら、延々と木々が立ち並んでるだけだから」
「俺は構わない。ユカリの支度が終わり次第向かう。だから、そのつもりでいてくれ」
「オッケー。ユカリちゃんは俺がいても問題ない?」
「はい。えっと、出来るだけ早く支度しますね!」
あまり待たせるわけには、と急いでやすりに油をひきはじめた紫に、まあのんびりやってくれ、と銀髪の商人は朗らかに笑った。