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「んー、とりあえず、睨み合うのやめたら?」
落ち着いてお茶でも飲みながら話し合いでもしませんか――とテーブルにつくなりお茶を用意したミルシェリトは、睨み合う二人に呆れた声を漏らす。目つきの悪いロウシュは狼のような顔で水で出来た青年を睨んでいたし、水の精霊らしいウンディーネは氷のような目つきでロウシュに向かい合っている。
保護者よろしくミルシェリトが口を開いた。
「あのねえ、お互いにユカリを見てご覧? 君たちが睨み合ってるからどうしたら良いのか分からなくなってるじゃないか。呼び出された精霊としてそれは本意なの、ウンディーネ? ロウシュも。ちょっと性格が合わなさそうだからってガンを飛ばさない! 子供でも何でもない歳だろ、君は」
仕方ないねという言葉とともに落とされた、芝居がかったため息に、ウンディーネもロウシュも同じタイミングでふいっと顔をそらす。お互いに気まずそうなのが何だか笑いを誘った。
険悪な雰囲気はとりあえずは去ったものの、紫にはミルシェリトのようにのんびりとお茶を飲むほどの度胸はない。
「しかし、精霊まで呼び出しちゃうとはなあ……君の手って凄いね? 宝石に愛されてるのかも」
「そ、そうなんですかね……?」
「多分そんな気がするよ。ウンディーネの懐き方を見ればなんとなくね。……未だに精霊石が手つかずのまま残ってたのにも驚きだけど。……ロウシュ、あのサファイアの原石って、どこでとってきたの?」
精霊石? と紫が首を傾げれば、「精霊が宿った宝石のことだ」と短く答えが返ってくる。サファイアのことかと紫が納得しながらウンディーネを見上げれば、甘い微笑みとともに満足げにうん、うん、と頷かれた。言葉は話せないのか、と紫は少しほっとした。もしウンディーネが見た目の雰囲気通りにミシェルに似ていて、なおかつ言葉を話せるとしたら。
きっと、口達者な精霊とぶっきらぼうな青年は刺々しい雰囲気のまま、言葉で殴り合いをするに違いなかった。
「……“不翔鳥の迷宮”から採ってきたやつだ……多分」
「うわあ、あそこなら確かにまだ残ってそうだな、精霊石……それより、よくまあそんな危ないところに行ったよね。一人だったの?」
「ああ。――最深部までは行かなかったからな。途中で引き返した」
それなら良かったけど、と少し心配そうなミルシェリトは、「ちょっと危ない場所なんだよね」と紫にも分かるようにと説明をし始める。
「“不翔鳥の迷宮”はね、この辺にいる魔物より強い魔物が出る所なんだ。だから人の手もあまり入っていなくて、原石だったり鉱石だったり――いろんなものが色々手に入るんだけど。そこ、結構モノに“魔力”がたまりやすい場所でね――噂によると魔物の王? が眠る地だとされてるんだよ」
「そんなところに行って……? あの、大丈夫だったんですか、ロウシュさん……」
「問題はない」
「一人で行くのは十分問題だと思うけどね。……僕に声かけてくれれば良かったのに」
「……付いて来られても、困る」
つんとした態度のロウシュに苦笑いをしながら、ミルシェリトは「この指輪は売り物に出来ないかもね」とふと真面目な顔をして口にする。なぜ、と尋ねたロウシュに、「精霊の宿る指輪なんて代物、ほいほいと売れないでしょう」と、ミルシェリトはウンディーネの顔を見ながら返した。
ミルシェリトが言うに、精霊とは大きな力を持っているもので、その力を悪用するような輩に指輪を使わせるわけにはいかないと。紫のように魔力もない人間に扱えるのなら、魔力のある人間が使ったら――その力はほかの魔法なんて話に出来ないほどのものになると。扱い次第でどちらにも転がるものを、ほいほいと売るのは店主としては認められないことだからね、と申し訳なさそうに紫の顔をのぞき込むミルシェリトに、確かにと紫もうなずいた。
指輪をしていて、石に触れてしまう。そういうことはあまり珍しくはないし、そういったふとした瞬間に“水でできた青年”が現れたらびっくりするだろう。確かに危ないですねと頷いた紫に、きちんと意味を理解して言っているのか、とロウシュが半眼になる。
「ウンディーネも懐いちゃってるみたいだしさ、このまま売りに出したら次の持ち主を呪いかねないよ」
「えっ……」
「精霊ってそういうところが大変なんだよね。自由気ままに振る舞う“自然”が魔の力を借りて形を成したものだから、僕たちよりいろんなところがズレてるんだ。やりたいと思ったらやるし、やりたくないならやらないし。そういう精霊に“お願い”をして、お願いを叶えてもらうのがさっき言ってた精霊術師ってわけ。僕も百年くらい前までは精霊術師だったから、精霊の厄介さはわかってるつもりだよ。僕が精霊術師になりたてのころなんか、精霊の扱い方が悪すぎて呪い殺された人とかいたしね」
聞き捨てならないことをさらりと言った挙げ句に、その指輪はお守り程度に持っているのが良いかもねー、と軽く言ったミルシェリト。
紫が「お、お守り……?」とウンディーネの顔を見つめてしまったのも仕方ないだろう。ウンディーネは愛想良くにこにこと笑っていたが、今の話を聞いてしまうと綺麗なだけのお兄さんには見えなくなってくる。そもそも、呪い殺されかねないのに“お守り”とは。
案外ミルシェリトは豪胆な性格をしているのかもしれない――と紫は背筋に冷や汗が流れていくのを感じる。
精霊術師だったという目の前のエルフの男性も、紫にしてみれば“いろいろとズレている”に違いなかった。
ただひたすらに綺麗な笑みを浮かべ続ける水の青年に、まずは挨拶をしなくてはと紫は思い立つ。初対面では挨拶が肝心だ――と就職活動をしていたときによく聞かされていたし、そうでなくても、これから“お守り程度”に付き合っていかなくちゃいけない相手だ。挨拶くらいはしなくては。
「あ、あの……よ、よろしくお願いしますね……」
ミルシェリトの話に恐怖を抱きながら差し出した紫の手を、ウンディーネはにっこりと笑って握り返す。人にはないプルプルとした水の質感が、何となくクセになりそうだった。
***
「ほー、精霊を見るなんざ久しぶりだな。野良か? それとも喚ばれたヤツ?」
「うん。なんかユカリに懐いちゃったっぽくてさー」
いつもの通りに行商にやってきたミシェルは、“星のかけら”に入るなり、視線の先でふわふわと宙に浮いている水の精霊を見て「女の子の方が良かったのになあ」と正直な感想をもらした。
途端に不機嫌な顔をした水の精霊から、水球がミシェルの顔めがけて飛んでくる。
飛ばされる水球をミシェルは難なく片手で受け止め、「コントロールは良いが、惜しいな」と口元に弧を描く。が、球は水で出来ていたために――ミシェルが水球を握った拍子にはじけ、ぐしょりとコートの袖口が濡れた。にやにやとしたウンディーネに、ミシェルは飄々として口を開く。
「女の子からの愛なら受け取るんだけどな。野郎から水もらっても嬉しくねえや。男前に拍車がかかるだけでさ」
水も滴るいい男――、などとウンディーネをからかい倒したミシェルは、店主のミルシェリトに促されるがままにリビングへと足を踏み入れ、床に布をしいて商売道具を広げる紫に「こんにちは」と声をかけると、店主のミルシェリトに「冒険者はやめたんじゃなかったのか?」と首を傾げたのだった。何でまた精霊術師なんかやりはしめたんだ、と。
ミシェルの言葉に「その精霊は僕が喚んだんじゃないんだよね」、と――ことのあらましをミルシェリトはミシェルに話した。
それに、「ああなるほど」と納得したらしいミシェルをみるに、ミルシェリトとミシェルの付き合いは短くはないようだった。
なにしろ、ミルシェリトが精霊術師だったのは百年ほど前だと言うから――すくなくとも、ミシェルも百年以上前から生きているわけで。
その付き合いの長さを“短い”とは言えないな――と、紫は思う。ミルシェリトは“エルフ”だから長寿なのだと聞いたものの、対するミシェルは耳も長くなければミルシェリトのように背が高いわけでもなく。どうみても普通の人なのになあ、と考えてしまうが、それはここが“異世界”だからなのだろうか。
「しっかし、こいつは水の精霊だよな、見た目からして。なのに女の子じゃないとはねえ」
「その辺も謎と言えば謎なんだけど――まあ、女性がいるなら男性がいても不思議じゃないからね」
「これが本物の“水も滴るいい男”か? ――ま、俺ほどじゃないけどな!」
からかい始めるミシェルの顔面を狙って、またも水球が宙を舞う。ミシェルとウンディーネが似ていると紫は思ったのだが、似ているのは見た目だけで――中身は全く違う。ミシェルの方がずっと軽い。それから、ウンディーネはミシェルよりも怒りっぽい。
水の精霊の手のひらから放たれ、宙を舞う水球。
マイペースに茶を飲む店主。
水球を器用に掴みながら精霊にからかいの言葉を投げる商人。
――彼らを横目に、紫は黙々とヤスリの手入れをしている。
紫はミルシェリトのことを“マイペース”だと思うことがたびたびあるのだが、この現在の様子を第三者が見たのなら、紫も同じ部類に入るだろう。紫が思うよりもずっと、紫はこの空間にとけ込んでいた。
それでも何度か、紫の方からもミシェルに水球を投げるのはやめるようにとウンディーネに注意はしていたのだ。
けれど、「暇だし遊べてちょうど良い」とミシェルが水球を飛ばすのを歓迎し始めたから、紫は注意するのをやめていた。何となくウンディーネの方も楽しそうだから、と。
「俺をじっと見つめるのも悪くないだろうけど、仕事仲間のことは放っといて良いのか?」
俺よりヤスリを気にかけたらどうだ? とからかい混じりにミシェルに言われて、それもそうだと思い直す。
ウンディーネが悪いわけではないのだが――彼が紫のそばにしょっちゅういるせいか、紫の持ち物が湿気たり、濡れたりすることが多くなったのだ。ただ、その一方で彫金の“なまし”――金属を火で暖め、急激に冷やすことで加工しやすくする工程――に使う水には事欠かなくなったのは少し嬉しい。
商売道具であるヤスリが錆びて使い物にならなくなる前に――と紫はヤスリに油を薄く塗り、それを乾いた布で拭く――という作業を繰り返している。
本当なら作業場でやりたい作業だけれど、商品が作りかけのままおいてあるから――作業場では出来ない。油が商品に付かないとは言い切れないからだ。別に油が付いたところで落とせば済む話なのだが、気分的に厭だったのだ。
紫が黙々と商売道具に錆び防止の油を塗るのを見ながら、ミシェルは「油塗ってるってことは、どっか行くの、ユカリちゃん?」とウンディーネの水球を片手で受け止め続けている。
彼の白手袋に包まれた左手はぐしょぐしょになっていたが、本人は気にする様子もない。ウンディーネの方も加減をしているのか、ミシェルの左手以外に水が飛び散ることはなかった。どうやら普通に遊んでいるらしい――と紫はほっとする。精霊とふつうに遊べてしまうミシェルの適応力には驚いたが、それくらい図太くなくては商人など出来ないのだろう。おそらくは。
「何で分かるんですか、ミシェルさん」
「ん? だって油差してるってことはあれだろ、錆び防止。毎日使ってりゃヤスリは早々錆びないし――ってことはしばらくどっかに行くのかと思ってさ。違う?」
「大当たりです」
「へえ? どちらへ?」
「街の方に。ミシェルさんやミルシェリトさんから特別附与 つきの装飾品について色々聞かせて貰いましたし、――ええと、簡単に言えば“自分が何を作っているのか”を客観的に見てみたいんです。街には図書館があると聞きましたし、たぶん、図書館にいけば特別附与つきの装飾品とか、そういったモノについて書かれた本もあるでしょう?」
「なァるほど? 図書館ね……確かにそれは良い心掛けかもな」
自分が何を生み出せるのかを知れば、それに伴って身の振り方も変わってくるだろうしな――とミシェルは含みを持たせた言葉を投げる。身の振り方ですか、とオウム返しに紫が問えば、「これからのことを決めるのにも大切だろ」とミシェルはウィンクし――紫にさらりとこう返した。
「――例えば、元の世界に戻る、とかさ」