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 ミルシェリトは昔、ちょっと有名な「冒険者」だったそうだ。エルフという種族は比較的穏やかな性格のものが多いのだが、そんな中で彼はちょっと刺激的なことが好きな性格だったのだという。ぜんぜんそんな風には見えませんけど、といった紫に、「今は落ち着いたからねえ」と彼はにこにこと笑ってみせた。


 彼が一番最後に冒険をしたのは、今から八十年ほど前――八十年と聞いて紫は目を丸くしたが、長命のエルフにとっては八十年なんてそう昔のことでもないのだと彼は言う。


 彼の最後の冒険の舞台になったのは、“星のかけら(プティ・エトワール)”があるこの山奥なのだそうで。


「洞窟があったんだよ」

「洞窟ですか――?」


 うん、洞窟。でも、素晴らしい洞窟だった。

 遠い日を懐かしむミルシェリトの顔はどこか透明な寂寥感に満ちていて、何となくその洞窟が今はないことを紫に知らせる。


 冒険者たちの間では、その洞窟は“星降りの洞窟”という名で親しまれていたらしい。

 洞窟の内部にはたくさんの宝石が育っていたのだという。まるで鍾乳洞の垂れた岩の代わりに宝石を垂らしたような、それこそ壁から宝石が生えたような状態だったと彼はいう。

 そんな自然の美しさに冒険者は畏怖を抱き、誰一人として洞窟の宝石に手をつけなかったのだという。

 

 この山では色々な宝石の原石が多く採取できることを紫はミルシェリトから聞いていたが、それでもその洞窟の比ではないと彼は語った。


「夜空の星をすべて集めたらこうなるのかな――ってくらいに、宝石できらめいていたんだ。美しい光景だった」


 ミルシェリトはそこで宝石に魅入られ、研磨職人を志した。美しい宝石に手を加え、さらに美しく磨き上げる。それに喜びを見いだした彼は店を持つまでに腕を上げ、気に入ったこの土地にすみつくこととなり、冒険はやめにしたのだと。


「ある日ね。洞窟を見に行ったんだ」


 星を集めたかのような美しかった光景はそこにはなかった。

 あるのは――掘り返されて岩肌をむき出しにして、傷ついた洞窟だけだった。


「誰かが全部持って行っちゃったんだと思うよ。お金になるから」


 ミルシェリトの口調は淡々としていて、それが紫には悲しく聞こえる。宝石はお金になる。それは紛れもない事実だし、だからこそ“価値のある”品物だ。美しさは富を呼び寄せる。そんなことは誰でも知っている。


「そのときかなあ。ありがちなんだけど、イヤになっちゃったんだ。洞窟はあのままで美しかったのに、それを根こそぎ壊していった見知らぬ“ヒト”が」


 あの宝石達はどんなものに加工されたのだろうねとミルシェリトはぼんやり呟いた。その行く末なんてどうでもいいような口振りで。

 紫にも何となくだが、わかる。


 ミルシェリトが美しいと思ったのは“宝石”ではなくて、“洞窟に存在していた宝石”なのだ。洞窟から切り離されてしまった宝石達は、もう“洞窟に存在していた宝石”ではない。

 彼が美しいと思ったのは、星降るように、けれどひっそりと洞窟内に存在していたそれらなのだ。


「もう一度だけで良いから、あんな風にひっそりと、けれど輝いている宝石を見たくてね。いつか自分であんな風に輝く宝石を――研磨することで生み出せたらと思って、今でもこうして研磨職人を続けてるんだ」

「わたしも、そんな宝石が見てみたいです」

「だろう? 僕も同じ気持ちなんだ。だから、君に作り続けて欲しい――僕はね、君の作品に……君の作ったものに、それに近い輝きを感じるよ」


 君の指輪を見たときにそう思った――ミルシェリトは笑った。


 紫の指輪といえば、あの紫色の石がはまった傷だらけのシルバーリングで。でも、傷だらけでも紫はあの指輪を気に入っている。


「愛が込められているんだと思うよ、陳腐な表現だけどね。――僕は宝石を愛していたから、あのきらめきを、洞窟を愛していたから……あの光景を殊更に美しいと思ったんだ。きっとね。でも、採っていったヒトには侵しがたいほどの美しさはなかったんだよ。美しいけど、お金になるモノ。それくらいの“美しさ”だったんだろうねえ――言い換えれば、愛着がなかったんだ」


 君の指輪は君が愛しているでしょう。

 低く、けれど穏やかな声につられるように紫は指輪をなでる。きらりと光る紫色は、確かに紫が愛着を持って、愛情を持って、そうして大切にしている輝きだ。傷だらけでも、手作りでも、高くない素材であったとしても、紫にとっては唯一無二の指輪だ。世界に一つだけの。


「君の宝飾品には君の愛が宿っている。だから、石も君に応えるんだろうねえ。愛着を持って作られているから、僕があの日に見た輝きのような、優しくて不思議な光を灯す」

「――そうだとしたら、それは私だけの力じゃないです。私だけのはたらきで石が輝いているわけじゃないと思います」


 紫のもっている濃い茶の目とは全く違う、青く澄んだ瞳が不思議そうに丸く見開かれる。紫は、ミルシェリトの作業台の上に大事そうに置かれていた箱を、そっと手に取った。中に収まっているのは美しく磨かれた宝石だ。きらきらと輝くこの美しさは、ミルシェリトの記憶のそれには及ばなかったとしても――美しいことに変わりはない。


「ミルシェさんも石を愛しているでしょう。愛しているからこんな風に輝くんです。宝石を最終的に宝飾品にするのは私です。ミルシェさんもそれを見て、きれいだって言ってくれる。でも、磨かれた宝石がないとそれは出来ないんです。わたしのつくるものにこもっている“愛”は、私だけの愛じゃないです」


 そうでなきゃ、紫の手は石を石座にセットするときに震えたりはしないだろう。誰かの愛と気持ちがこもった石だからこそ、緊張までして彼女は石座に、収まるべき所に石を収めるのだ。

 

 職人というのは不思議なもので、全く分野の違う職人同士であっても、お互いの力量を何となく知ることが出来るし、相手の熱意に感動すれば、分野が違っても敬意を持って接することもざらだ。お互いの、物作りに対する熱意や執着を、一番理解できるのが職人だ。


 紫はミルシェリトの職人としての熱意を、この小さな煌めきに感じる。紫もまた、この美しく磨かれた石を見て宝飾品を作りたいと思うのだから。

 

 自然の神秘によって生まれるのが宝石だ。それに愛を込めて磨くのが研磨職人だ。研磨された宝石に敬意を払い、おさまるべきところにおさめるのが彫金師である紫の役目だ。


「私、ミルシェリトさんの磨く石が好きです。私が今まで見てきた裸石(ルース)の中で一番綺麗だから」

「……はは、何だか照れるなあ……」


 真っ直ぐミルシェリトの目を見てしっかりと口にした紫に、ミルシェリトは恥ずかしそうに笑った。長く尖ったエルフ族特有の耳がほんのりと赤い。照れ隠しに目元を手のひらで覆って、ミルシェリトは「ありがとうね」と口にする。


「何だろう、すごく嬉しいな――」


 でも照れるねえ、と口元をゆるゆると引き上げて、ミルシェリトは冷めた金蛇(カナヘビ)の黄金をなでる。

 照れたミルシェリトのそれがうつったのか、紫まで何だか気恥ずかしくなってきた。それを誤魔化すように「ここに原型をおいておくので、お暇なときにお願いします」と青いロウで作り上げた珊瑚を模した指輪の枠をミルシェリトの作業台へと乗せる。


「ありがとう。――シルバーで良いんだよね?」

「はい。シルバーでお願いします」


 お互いにちょっと笑ってから――紫はミルシェリトの部屋を出た。


 深く考えずとも、紫は紫の思ったようにやればいいとミルシェリトは言ってくれたのだろう。あのときの彼の言葉に嘘はない。紫にはそれが断言できたから、もう躊躇うことはない。

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