朔良―飛び交う悪意の中で―
(アイツに、何が分かる…!)
俺は、とにかく腹が立っていた。あんな女に、何も知らない女に言われた言葉が。あの日から、もう三日も経っているのに、まだあの言葉が耳から離れない。
―「へえ。ふられちゃったんだ。馬鹿みたい。」
たった一言の佐伯の言葉は、俺の心を今でも鷲掴みにする。とても、言葉では言い表せない痛みだった。
俺は教室のドアを開ける。おはようと言う言葉が俺に向かって飛んでくる。あいさつをくれた人に小さな声でおはようと言うと、数人の女子がキャアと叫ぶ。うるさいと思いつつ、重い足取りで自分の席へつく。
何気なく、佐伯に目をやると椅子に座ってぼぉっと窓の外を見ている。すると、そこに三人の男子が近づく。
「どうかした?私に用?」
佐伯の感情の無い声が、ここにまで届く。
「授業終わったら、屋上に来てほしい。」
そう言ったのは、このクラスで俺の次にモテている明石 勇人だった。明石は女子には人気があるのだが、男子にはキツイ態度をとるので嫌われている。女子に好かれようとしているのが、男子には見え見えなのだが、それを女子に言うことを男子は出来ない。嘘吐き呼ばわりされるからだ。
そんな明石についている二人の男子は明石に憧れて一緒に居るらしい。一応彼女は居るが、明石に近づこうと目当てに付き合っているに過ぎない。
(行くのか?こんな馬鹿な野郎のところ?)
俺は、佐伯がもし明石のところに行くなら、止めてやろうか…と少し考えたが、頭で揉み消した。そんなことする必要がある人間だと思えないからだった。
「分かった。行く。」
(行くのか…。)
「さあ、席に着け。数学だ。」
それから授業をしていたことは、覚えているが何をしていたかは全く覚えていない…。
「ねぇ、春巳くぅ〜ん!」
「朔良ぁ〜!一緒に話そっ。」
女子の甘ったるい声が聞こえてきて、授業が終わったことがやっと分かる。
「どうしたんだ?」
何事も無かったように、俺は女子たちの相手をする。うわべは笑顔だが、かなりウザイと思いつつ話す。毎回女子を見るだびイライラする。亜由美だけは別だったが…。
「あのね、私の友達明石君が好きだったんだけど、今朝、氷河佐伯と話してるの見て泣いてたんだよ!ありえないよ。どうせネクラなのにね!」
「本当だよ!あんなネクラ女死んじゃえば良いのに。」
「虐めちゃう??」
「虐めちゃう!!」
次々と俺の目の前を何気なく飛び交う、言葉。その一つ一つに悪意があることに周りで聞いている人間が気付いているだろうが、止められない。逆に標的にされてしまうからだ。俺は分からないが。
「…こんな話、盛り上がらないし…。剛!有紀!彰!真澄!京介!バスケの3オン3やろうぜ!」
俺は、何気なく話を逸らす。これ以上こんな話題は聞きたくなかった。
俺たちが、バスケットコートへ行くと、明石たちがすでに1コート使っていた。二コートあるので別に関係は無いのだが。
「さ、春巳。やろうぜ!」
剛が陽気な声を出す。俺たちはグッパをして、二チームに分かれる。コートの外で女子のキャアという声がまた聞こえてきた。それが俺たちへの声か明石たちへの声かは分からないが。
「お、あっちもやるのか…バスケ。」
隣のコートから、明石の声が聞こえてきた。
(黙っとけ。)
俺は心の中でそう言葉を吐き捨てると、バスケを開始する。
「先輩、ちょっといいですか?」
明石の声が聞こえてくる…。
―ドンドン…。
ドリブルしながら、ゴールに近づく。
「何だ?」
「今日俺。告白するんですけど…どうしたら上手くいきますかね?」
―ドンドン…ガシャン!
俺はダンクシュートを決めた…。けれど隣のコートの会話が気になって集中出来ない。
「まあ、当たって砕けろ。上手く言ったら抱きつけ。」
「そんなことするんすか!!」
明石は顔を真っ赤に染めて、先輩らしき人間に言った。
「おい、朔良すげぇじゃん!ダンク決めちゃってよぉ!」
「あ、ああ。」
俺は、それからもなぜか集中出来なかった…。
「ばいばいー!」「またね!」
帰宅の時間だ。クラスの4/3は部活やクラブに没頭する。俺は帰宅部だが、スポーツ部に勧誘されたりする。入る気は無いが。
俺は何気なく、テニスコートに居た。
「あれ?春巳君帰らないの?」
いつも追っかけしてくる子が俺に声をかけてくる。
「ちょっとね。」
「そっか、余り遅くならないように帰りなよー。部活はいってないんだしね。」
優しい言葉だった。まるで、亜由美のような…優しい言葉だった。けれど、これは仮面を被っているに過ぎないんだと思った。今日あった出来事を考えなおしてみたら、誰でも人を信じれなくなると思うのは、俺だけだろうか。
暫らくして教室に帰ると、カバンに教科書を詰めた。
―タッタッタッ。
遠くから誰か走ってくるのに、俺は何も気付かず、机に座ってぼーっとしていた。けれど、段々と近づく音にやっと気付いた時、その足音が佐伯だと気付いた。
「また会ったな。」
「えぇ。」
「お前告白されたんだろ。明石から。」
「えぇ。それがどうかしたの?」
何故か、それが気になっていた…。
「いいや、別に。」
別に、では無い筈だった。虐められると教えてあげたほうがいいだろう…そんな考えが頭の中でぐるぐる回る。
……。
「明日から学校来るな。」
(何で言ったんだ、こんな女に…。)
「何で。」
「言わなきゃいけねえか。」
言いたく無かった。なぜか恥ずかしかった。
「別に。いいけど。助言でもするつもりなの?」
「…お前、明日から虐められるぞ。明石のファンにさ…。」
「別に、かまわない。」
「何で!お前教科書捨てられたりとか、無視されたりとかするんだぞ!?」
(だから…なんでこんな女に……。)
自分に、腹が立った。
「かまわない、と言ったよ。」
佐伯は、空を見る…。俺があの時見た、あの死んだ、眼で。
「私はそんなことで、死んだりしない。」
(どれぐらい、強い女なんだよ…お前は。)
「佐伯…。お前…。」
「春巳君は、きっと分からないよ。悲しみに慣れた人間の気持ちは。」
俺は、何かに悲しくなって…、カバンを持って教室を後にした。