甲板
紫羅の特別室は、のんびりと揺れながらも目的地に近づいていた。
紫羅の儀式の役目があるとはいえ、別にたいしたことする必要はなくて、ただのんびりと、いや、だらだらと時を過ごすこととなった。
白百の船酔いを予想していたものの、人間貝だけあってか体調を崩すことはなく、雪の上を走り回る子犬のようにわんわんと元気にはしゃいでいた。
やることのない娘3人は、あれこれ(やかましく)話したり、カードゲームに熱中したりして暇な時間を潰していたけども。
さすがに時がたつにつれて外の空気を浴びたくなってきた。
完璧な変装とはいえ、牛蛙は簡単に見破ってしまうので(あいつは人間離れしているから)牛蛙が眠る夜中を選んで甲坂へ。
「う~ん」
真夜中だけあって、見張りの人を覗いて人はいなかった。
「白百も連れてくればよかったな」
深黒は大きくのびをした。
闇の空と海しか見えないが、雲一つない月と星空は建物で見えなくなることはなく、それと永遠に続く海は絶景といっても過言ではなかった。
ずっと部屋に閉じこもっていた分、深黒はいつまでも見上げていたかったが、甲板にでる扉音が耳に届いた。
「……」
深黒はとっさに身を低くして帆と見張り台のある柱へいくと扉側に見えないように身を隠した。
『館にあった暗視仮面を持ってくればよかった』
雲一つない月空とはいえ、夜となれば現れた者が誰なのかは判断できなかった。
頼みの綱である明かりも深黒の近くにあり、不利でしかなかい。
『せめて盗賊か館側か、船関係者なのか、わかれば良いんだけども…』
深黒は近づいてくる足音に更に身を低くした。
「………」
足音は近づいてくる。
見張りの柱で気づかれるのではないかと気が気でなかったが、向こうは人がいる事に気づいていないのか、近づいてきた。
近づいて…深黒のいる柱を通り過ぎていった。
『誰だかわからないけれども、ここは撤退した方が良かったわね』
深黒は遠のいた足音が止まったことを確認してから、足音をたてないように、それから極力早足で扉に向かう。
「わっ」
はずだった…扉に着く前に、深黒は何かにぶつかった。
声を出すのは人だけで、甲板に来たのは1人だけではなかったのだ。
しかも
「深黒っ」
ぶつかったのは肉塊の腹を持つ男、サクリファイス館の牛蛙主人。
「……」
深黒は声をあげる間もなく、身をひるがえし人がいない方へ走り出した。
「まて、深黒っ、誰か、誰か、捕まえろっ」
牛蛙主人の怒号のような命令が響く中、深黒は別の扉を見つけ中の構造を考えることなく入りこんだ。
扉の先は薄暗い通路が左右に続いていた。
「……」
ばたばたと慌しい音が甲板から近づいてくる。考えている暇はない。
深黒は右の通路を進み
3歩目で右側から強い力が深黒に襲い掛かってきた。
予想もしなかった力に気づいた時にはもう、引っ張り込まれてしまっていた。
引っ張り込まれた先には部屋になっていて、深黒がそれを認識したのと部屋のドアが閉まるのと、甲板のドアが開かれたのは同時だった。
「静かに」
頭の中で必死に整理する深黒は、引っ張った者の言う通り微動だにしなかったが数秒後、相手が深黒の腕を掴み軽く引っ張った。
深黒も無言でうなづき部屋の奥に進むと物陰に隠れ、無言で指示されるまま、頭上に布を大量に乗せられて下敷きになった。
「………」
それから、数秒、数十秒、数分…
部屋にノック音が深黒の耳にも届いた。
扉の開く音、会話のやり取りが聞こえ…扉が閉まる音が聞こえ…それからしばらくの時がたった。
「…ありがとう」
深黒はにこっと引っ張りいれてくれた恩人、細虫に礼を言った。
「何の物音かと思って見てみたら、走ってくる深黒がいるんだもん、驚いたよ」
一安心した深黒は改めて部屋を見渡した。
「個室の部屋?」
「兄さんとでか虫の兄弟部屋。でか虫は盗賊行動の打ち合わせで出かけているよ」
それから細虫はテーブルの上にある果物カゴを指さした。
「熟睡?珍しいわね」
一騒動が合ったのにもかかわらず、うつぶせになって眠る丸虫は人形のようでしかなかった。
「船酔いがひどくてさ。ようやく落ち着いてきて、眠れたところだよ」
「あらら」
「というより、ほとんどが船酔いでダウンしているよ」
「細虫は大丈夫なの?」
深黒は中央にある椅子に座る前に、そこのテーブルにある丸虫が入った果物かごを部屋のすみにある木箱の上に置いた。
「とても船酔いできる状態でもないよ」
細虫の笑みに影が見えた。
「……」
事情を知っている深黒は何も言えず苦笑を返す。
「盗賊団としてはめでたい話なんだけれどもね…でも、まだ『おめでとう』って言えないんだ…」
叶わない恋
「船に乗って独自の儀式をやってくれているおかげで会わなくてすむから、今はまだいいんだけれど…」
細虫が無言でいる間、深黒は『式を挙げるまで異性と会わない儀式』を考えたのは深黒が牛蛙主人と会わないようにするのと、細虫と紫羅に会わせないようにするためではないかと考えた。
『紫羅は細虫の思いに気づいていないから、丸虫の考えね…』
細虫の傷心をひどくするためではなく、万が一に備えてもあるだろう。
「町の盗賊業をまとめる勇猛な人なんだけれども、たまに見せる、年頃の女性のような、いやそれ以上に弱い姿を見せる時があるんだ。
普段はめったにないけれど、たまに、気を緩ませた時とか兄さんと話している時とか。
そんな姿を見ると力になりたくなるんだ…部下としてではなく、1人の男として…」
細虫はワインをあおった。
「でもさ、そう思っている人が、俺いがいにも現れてさ…その人、盗賊と関係ない人だから…頭はその人を1人の男として見るようになってさ…
気がついたら、2人は繋がってた…」
「………」
「あの人が現れる前に、なんで告白しなかったんだろうって、後悔しているよ」
「それができない事も、知っているわよ」
深黒の言葉に細虫は苦笑した。
盗賊団の頭とその部下。それ以上の関係を一歩踏み出せば、内部に支障がでる。なんらかの関係でヒビが生まれ、溝ができる。
必ずなるとは限らないが、絶対起きないとはいえない。
「好きな人が治める盗賊団を壊したくない。
でも…」
細虫はそれ以上言わず、深黒が注いでくれたワインを口に含んだ。
「俺、頭に『おめでとう』って言えるかな…」
「言えるわよ。今は時間が必要だけれどもね」
深黒は部屋に置かれていたグラスとワインを取り出した。
「深黒の方はどうなの?」
ワインを軽くあけてから、細虫は片思い仲間の心情を聞いた。
「あまり館に行くことはないから、兄さんの話からの情報でしかないけれども…最近は会うことすらできないみたいだって」
「そう。あの人の身に何かあったという情報はないんだけど…ね。
一目でいいから、一秒でもいいから、会いたい…」
「それにしても…自分を捕まえた人に惚れるなんて、俺には考えられないよ」
「好きになった瞬間は誰にもわからないわよ」
「深黒。あの人と会った時って何しているの?どうやって過ごしているのか予測つかないんだよね」
「牛蛙にみつからない部屋があるから、そこで待ち合わせして、とりとめない会話をしているよ」
「とりとめない会話ね…」
「………」
細虫の言葉に深黒は一度口を閉じた。
「わかっているわよ…本当は好き…好きって遠まわしになったとしても言いたいわよ。でも、思いを伝えるとなると口がフリーズしちゃって」
「わかる。好きって言う気持ちが体中から表れているのに。それを相手に知らせる事ができない。後一歩だっていうのに」
「そうそう」
私たちは、ほぼ同時にため息をついて天井を見上げていた。
それに気づき互いに笑い出した。
「睡眠の邪魔をするな」
熟睡していた丸虫を起こしてしまったけれど。