カゴの中の鳥
「ご覧、あれが花嫁だよ」
…それは、不思議な光景でしたわ。
館の主人隷度様と私の前には鉄格子があって。…その先にある牢屋に『花嫁』と呼ばれた、純白に包まれた女の人が立ってました。
でも、そのウェディングドレスは、白い糸でできていますの。
たくさんの白い糸がその人に巻きついていて…いいえ、巻きつかせていました。
女性の体から離れた糸は、壁にまで広がっていて、まるで蜘蛛の巣のようです。
それが薄暗い牢屋となれば、私の目の前にある光景は『蜘蛛の巣に引っかかった蝶』としか言い表せませんん。
彼女は、私も含めてですがこの館に閉じ込められているのですから。
『サクリファイス』と呼ばれる多人種販売の館に。
「彼女は婚約の儀式を済ませた。織魔一族の娘は、婚約の儀式を済ませると、花嫁の準備をするため、糸を造り出す力が備わるのだ」
薄笑いを浮かべる主人に、私は彼女に意識を集中して見つめることにしました。
「………」
私たちの存在に気づいたらしく、その方は今まで床に向けていた顔を上げ、私たちに視線を向けてくださいました。
でも、悲鳴を上げそうになってしまいましたわ。女の人のあまりにも美しい顔をしていた…からではなく
その口に白い糸が付いてましたから。
今、隷度様から聞いたばかりであっても、あまりにも奇妙な光景でしたから、つい。
でも、その糸は…絹よりも光沢があって、まるで光を吸収したかのようでした。
「彼女は深黒
このサクリファイス館で、一番高価なものを生産している」
高価な糸を吐き出す能力と、主人に気に入られているため、深黒さんは牢屋に閉じ込められているようです。
そして私は彼女のお手伝いとして、ここに連れてこられました。
ここに来る前、私はとある村に暮らしていました。
ある日、突然、多人種ハンターという男たちに捕まり、私は今で築き上げてきた人生を失ってしまいました。
どこの誰に売られ、どんな生活が待っているのか不安にさいなまれてることはありませんから。
牢屋とはいえ深黒さんという女性の手伝い。知らない誰かに売られどんな仕打ちが待ち受けるのかわからない生活を送るよりはマシなので、ほっととしています。
その女性、深黒さんは、綺麗な人でしたわ。
一言で言うならば、さっぱり系美人になりますわね。
腰まである漆黒の髪はさらさらしていて、細い長身で、肌は、焼けても白くもなく、真ん中ぐらいですわね。私と比べたら、いくぶん日に焼けた方かもしれませんが。
本当に彼女は綺麗な人でしたわ。
過去形になってしまうのは、外見を崩すほど口の悪さ…。
「あーら。誰かと思えば、サクリファイス館の大妖怪じゃないの。
性懲りもなく、また私の前に現れたわね」
深黒さんは、つかつかと歩み寄りました。
今まで体にまとっていた糸たちが揺れ、彼女の体から離れて落ちていった…と言っても、丈の短いズボンと肩にかからない胸部からへそ上まで服、というより黒い布を着ていましたので裸にはなりません。
「深黒よ。お前の雑用係だ。白百という」
「よ、よろしく、お願いしますわ。深黒さん」
「………」
白百と呼ばれた娘は、十代後半くらいかな。一言で例えるならば真っ白い子犬を人間にした感じだけれども犬耳やしっぽはついていなかった。
その白百が私のいる牢屋に入る時、見張りの男が鉄格子の扉に鍵をあける間、牛蛙を含む男達は、しっかりと私を監視している。
監視が厳しいのは、いつもの事なので気にならないかったけどね。
白百を入れて、再び鍵をかければ作業は終了。
見張りの男達はさっさと持ち場に戻っていった。
「なあ、深黒よ」
そして館の主人は鉄格子に顔を近づけて、いつもと同じことを聞いてきた。
「深黒。お前の望む物は何でも与えておる。いつになったら、ワシの事を認めてくれるようになるんかい?」
「一生無理よ。あたしには、永遠の思い人がいるんだから」
返す言葉も、背を向けて歩くことも毎日、同じに繰り返してきた。
同じすぎて儀式のように思えてしまうほど、寸分の狂いもない別れ方だった。
「白百、こっちよ」
鉄格子から1歩先は、私のナワバリで、サクリファイス館の主人だって権限はない。
といっても、私と新入りの2人しかいないけれども。
私の部屋は、鉄格子の生産部屋と寝室の2つ。
2つの部屋をつなぐ出入り口に扉はなくて、後をついてきた白百は寝室を見て歓声をあげた。
まあ、糸以外何もない、殺風景な生活部屋と比べたら月とすっぽん。
「まるで王族や貴族の部屋みたいですわ」
じゅうたん、カーテン、天蓋付きベットで使われている布たちはワインレッドで統一されていて、家具ももちろん、落ち着いたら木製のものばかり。
「私のおかげで儲かっているから、当然よ」
深黒さんの言葉に『それだけかしら?』と私は思いましたの。だってねぇ、別れ際の隷度様の言葉はベタ惚れしているしか思えませんわ。
「ここで私達は生活することになるから、よろしくね」
「はい、深黒さん」
「深黒でいいわ。多分、年も変わらないだろうし」
差し出された手を握り返そうとしたが、差し出した方の深黒が引っ込めてしまった。
「…生活を送る前に聞きたいんだけれども」
「なんですの?」
「本当にここで生活したい?もし、館を脱走したいなら手伝ってあげるわ。脱走名人のわたしにかかれば簡単よ」
「……脱走の名人なのに…どうして脱走しないのですか?」
白百は引っかかる事を先に聞いた。
「館内脱走はしているわよ、こんな狭い部屋でずーっといなければならないのは嫌だからね。
嫌ならば館を出ればいいんじゃないかなと思っているでしょ」
「ええ、もちろんですわ」
「館にいる必要があるからよ」
「え、じゃあ、深黒は館の主人さんを…」
深黒は最後まで聞かず白百の頬を軽くつまんだ。
「あの牛蛙を好きなるわけないでしょ。
脱走できる私がここにいるのは『あの人』がこの館に来るからよ」
頬を摘んだままであるが、深黒の目は別の所を見ていた。
「あの人…ですか」
「ええ。あの人に会えるから、私はここにいるの。それだけのためにね。
で、どうする白百?」
「突然言われましても…。
今までいた村に戻りたいですわ。でも、どうやって戻ればわからないし。
あと…今まで村から出たことがないから、どこ行きの船に乗って、どっちの方向をどう進めばいいのすらわかりません。もちろん、船賃なんてありません」
「帰宅困難ってわけね」
「はい」
「ならば、ここで生活するしかないわね。
じゃあ、よろしくね、白百」
深黒が差し出した手を白百が握りかえした。
「はい。よろしく、お願いしますわ、深黒」
こうして黒と白のコンビが結成した。