表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

わたくしが何もしていないと仰るなら、この屋敷の炭は誰が数えたのでしょう

作者: 霜月りつ
掲載日:2026/08/04

炭 千八百六十俵、薪 四千二百束、灯油 二百十一壺。

三年ぶんの数です。1話で終わります。

「君は、この家に何もしていない」


 グスタフ様がそう仰ったとき、わたくしの手はまだ黒うございました。


 朝いちばんに炭倉へ入って、俵を数えて出てきたところだったのでございます。手袋をしていても、指の腹には残ります。三年、こうでございます。


 炭倉は北の棟の裏にございます。母屋からは、台所を抜けて、洗い場の脇の戸を出て、渡り板を十歩ほど行った先でございます。屋根が低うございますので、背の高い方は頭を打ちます。


 数え方は、俵を積んだ段の数と、いちばん上の段の俵の数を掛けて、崩れた分を引きます。崩れた分がいつも出ますのは、下男が奥から取るのを面倒がって手前から取るからでございます。それは咎めません。奥から取れと言えば、その者が奥まで入って埃を立てます。埃の立った炭は火の粉が跳ねます。


 ですから、崩れた分を数えるほうを、わたくしの仕事にいたしました。


「三年、置いてやった。行儀見習いとしてだ。だが君は、刺繍の会にも出ない。夜会でも隅にいる。母上は、君を紹介する場がないと仰っている」


「はい」


「僕は、君を悪く言いたいのではない。ただ、この家に入るというのは、そういうことではないと」


「わたくしが何もしていないと仰るなら」


 わたくしは、指を握って隠しました。


「この屋敷の炭は、どなたが数えたのでしょう」


 グスタフ様は、少し首を傾げられました。本当に、わからないという顔でございました。


「炭は、そのう、下の者が」


「下の者が運びます。数えるのは別でございます」


 わたくしは、脇に抱えていた台帳を卓に置きました。表紙は炭の粉で灰色になっております。三年、炭倉で開いてまいりましたので。


「三年ぶんでございます。よろしければ、三つだけ申し上げます」


「……ああ」


「一つ。炭でございます。三年で一千八百六十俵。この屋敷は部屋が二十二、暖炉が十四ございます。冬の四月ふたつきで一日十六俵、そのほかの季節は一日三俵から五俵でございます」


 わたくしは頁を繰りました。


「二つ。薪でございます。三年で四千二百束。台所は薪でございますので、こちらは季節でほとんど動きません。動くのはお客様の数でございます。去年の秋にお客様が続いたときは、ひと月で百二十束多く出ております」


「三つ。灯油でございます。三年で二百十一壺。図書室と、廊下の三か所と、旦那様の書斎でございます。書斎はご主人様がお休みになる刻限で決まりますので、季節よりも年で動きます」


 グスタフ様は、台帳を見ておられました。数字が並んでいるだけの頁でございます。


「……なぜ、そんなものを」


「わたくしが入りました年の冬に、炭が二月の末で尽きたのでございます」


 わたくしは、頁を最初のほうへ戻しました。


「三月の頭に、追加で四百俵お買いになりました。あの時期の炭は高うございます。冬のはじめに買うのの、ほぼ倍でございます」


「……覚えている。母上が、炭屋を叱っていた」


「炭屋のせいではございません。数えていなかっただけでございます」


 責めているつもりはございませんでした。事実、この屋敷には数える人がおりません。それだけのことでございます。


「翌年から、わたくしが数えております。冬のはじめに要り用を出して、まとめてお買いいただきます。二年目の冬から、追加のお買い上げはございません」


 要り用を出すのに、ひと月かかります。


 前の年の使い方をなぞって、その年の見込みを立てます。お客様の予定を女中頭に聞きます。旦那様が書斎で夜更かしをなさる季節を、書斎の灯油の減り方から割り出します。それから炭屋に相場を尋ねます。


 炭は夏に買うといちばん安うございますが、夏に買うと置き場が要ります。置き場を作る手間と、冬に買う差額を比べて、うちは秋のはじめに買うことにいたしました。


 ひと月かけて出した紙は、一枚でございます。数が二十行ほど並んでいるだけの紙でございます。この紙を見て、何かをしていると思う方はいらっしゃいません。


 グスタフ様が頁を一枚めくられました。指が、少し止まりました。


「……この、赤い数字は」


「前の年との差でございます」


「二百四十、減っている」


「はい。炭を減らしました」


「寒くしたのか」


「いいえ」


 わたくしは首を振りました。


「暖炉に、火を落とす刻限を決めました。それから、廊下の暖炉を二つ止めて、そのぶんを扉の隙間の目張りに替えました。目張りは布と糊でございますので、炭よりずっと安うございます。人の通らない廊下を温めても、暖まるのは廊下でございますから」


 グスタフ様は、しばらく黙っておられました。


「二百四十俵というのは」


「金貨で申しますと、十八枚ほどでございます」


「十八」


「ちょうど、去年ロザリー様が王都からお取り寄せになった楽譜と、教師の月謝の一年ぶんでございます」


 グスタフ様の妹君でございます。ピアノをお弾きになります。上手でいらっしゃいます。


「奥様が、今年は余裕があるようだから、と仰ったのを覚えております。台所で聞きました」


    ◆


 わたくしが屋敷を出ましたのは、その月のうちでございます。


 荷は行李が二つ。三年おりましたのに、増えたのは本が四冊と、炭で汚れた前掛けが三枚だけ。前掛けは持って出ました。あれは自分のものでございますから。


 台帳のほうは置いてまいります。持って出るものではございません。この屋敷の炭の数でございますので。最後の頁に、一行だけ書き足しました。


 ――冬のはじめに数えれば、追加のお買い上げは要りません。数えるのは、冬の前でございます。


 三月ほどして、お手紙が届きました。奥様からでございます。台帳の続きをどう書けばよいのか、というお尋ねでございました。


 書き方をお返事いたします。それから、うちの父の商会が炭を扱っておりますので、ご入り用でしたらどうぞ、と一行だけ添えました。


 冬のはじめに、注文が入りました。四百俵。追加はございません。

数えるのは冬の前でございます。

ひとつだけ持ち帰っていただけるなら、この一行を。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ