日本ダービーと師弟 ④
半ば強引に連れて来られた巨大なターフビジョンの前で、むらさき賞を観戦した。
そのレースに、今春零が騎乗していた。
思いがけず、スタンドの手摺に身を乗り出した。あいの目は、零の騎乗に釘づけになった。
零は、序盤は中段に構えた。後半、先頭を差した。抜かれた馬は、追い縋ろうとしたが、そこまでの脚は残っていなかった。
ゴールまでほぼ独走し、零が一着を獲った。結果は二馬身差の圧勝である。
後ろから、新人騎手である零を話題にする観客の話し声が聞こえてきた。
零は、デビューから二カ月、騎乗したレースでほぼ負けなしで、このままなら最多勝利新人記録を更新する勢いらしかった。
しかも今回、斤量ハンデのない特別競走でも勝ちを掴んだことで、いよいよ実力は本物か、とささやかれていた。
ターフビジョンに、一着の瞬間がリプレイされる。
あいはぶるりと震え、鳥肌が立った。
零と、卒業前の模擬レースで勝負する約束を交わした。
私も負けてられない、とあいが血を熱くしていると。
「すごい、すごいよ、また的中だ。あいちゃんを信じて、単勝に全額つっこんでよかったぁ。オッズもそこそこ高かったし、かなり儲かっちゃった、うへへ」
美冬が、ふんふんと鼻を鳴らし興奮を露わにし、あいを揺さぶってきた。
おかげで、人生ではじめて覚えた血の昂りは、すっかり失せてしまった。
「ぜ、全額賭けてたんですか」
あいは、もし自分の予想が外れていたら、と想像して、背筋が凍えた。
「だって、ここまでの四レース、全部一着の馬を言い当ててたじゃん」
「ま、まぐれですよ」
実際、ほとんど直感のようなもので、名指しした馬が、偶然続けて一着を獲っただけなのだった。
あいの予想で最初に三連単で買った第六レースでは、一着を的中させつつも、二、三着は別の馬が来て賭けた金を失っていた。
そこから、美冬は単勝狙いに切り替え、三レース立て続けに配当金を受け取っていた。
「あいちゃんには競馬の神様が、いや、もしかしたらギャンブルの神様がついてるのかも。ね、よかったら今度、お姉さんと競艇とか競輪もやってみる?」
「や、ややややりませんっ」
「あはは、冗談だよう」
美冬は笑い飛ばしたが、その前の目は本気そのものだった。
「さ、次はいよいよダービーだ。軍資金も増えたことだし、その分買い増すか」
カーゴパンツのサイドポケットから、馬券を買うためのマークシートと鉛筆を取り出す美冬。直後、くぅ、とあいの腹の虫が鳴った。
「なはは、その前に、ちょっと腹ごなしに行こうか」
「え、でも、私、お金持ってきてないです」
「なぁに言ってんのさ。あいちゃんには競馬で儲けた金があるじゃない」
「それは、もともと美冬さんのお金で買った馬券で」
「勝てたのはあいちゃんのおかげなんだから、気にすることないよ。ほら、行こ」
あいは美冬に手を引かれてスタンドを離れ、一階にあるフードコートに連れていかれた。
「ほんとはたくさん奢ってあげたいけど、騎手課程の学生に、ハイカロリーなもの食べさせ過ぎたらまずいよねえ。お、蕎麦なんてどう?」
「あ、はい。好きです」
「じゃ、決定。私が席取っておくから、好きなの註文しておいで」
美冬から蕎麦一杯には十分すぎる金を渡され、注文口へ行った。かき揚げ蕎麦をもらい、あいがトレーを持って席へ行き、美冬と替わった。
美冬は、天ぷら蕎麦と、カラフルな色の小籠包を別の店で買い、戻って来た。
「わはは、すっごい色だよね。これなら、あいちゃんも食べ過ぎない程度につまめると思ってさ」
「あ、ありがとうございます」
「それはこっちの台詞だよ。いつもなら、競馬に行った日のご飯は水道水なのにさ」
あいは、美冬がなにを言っているのかちょっと考えたが、よくわからなかった。
「さ、はやく食べよ」
美冬は温かい食事を前に掌を合わせ、いただきます、と感謝を口にした。




