93 幕間 ヴィルヘルムの戦い
「……どうにも」
ヴィルヘルムは眼前の黒熊獣人、『黒風大王』ルドロフに対して呟く。
「随分と俺について勝手なことを考えているようだ」
ルドロフという男は、ギフトによる力だけでなく技量も卓越している。
翻弄するように動き、どうにか耐えていたが、ヴィルヘルムが押されていた。
「…………」
寡黙な男はヴィルヘルムの問いには答えず、黒い槍を構えるのみ。
(だが、動揺がないわけでもないようだ)
ヴィルヘルムはそう考える。
状況は目まぐるしく動いている。
湖の底から出てきた巨大な白骨だけならば、カーマインはどうにか倒していた。
しかし、あとから現れたこの男たちがギフトを行使し、襲いかかってきた。
今では骨だけだった巨体に泥のように肉がつき、カーマインが立ち向かっている。
新たに現れた風使いも厄介そうに見えたが、眼前の黒熊の獣人もそうだ。
何より、その風体がアイゼンハルトの騎士たちに動揺をもたらしている。
黒熊の悪魔──。
その姿は、まさにアイゼンハルトの伝承通りのものだった。
「失礼なことを聞くけれど。君のその姿は、この地の伝承に関係があるのかい?」
「…………」
「無言の返答、か」
ヴィルヘルムは苦笑いを浮かべる。
(カーマイン……マインがさっき、この男の上司らしき者を刺した。それからうまく隠してはいるが、動揺している。早く駆けつけたいのか、治療のために連れて逃げたいのか)
「君の上司の狙いは、アイゼンハルトの領地ではなく、俺。そういうことかな」
「…………」
「その上司だけれど、このままでは死んでしまうんじゃないか。血を多く流して」
「……黙れ」
寡黙な男から反応が返ってきた。
ここで揺さぶりをかけるべきか、ヴィルヘルムは相手を観察する。
ルドロフとの実力差はすでに認めていた。
剣と槍という得物の違い、技量の違い。
それだけならば、ヴィルヘルムはルドロフに劣らないだろう。
だが、そこにギフトという〝差〟があるなら、おそらく勝てない。
そう認めていた。
カーマインを前に大きなことを言ってしまったが、力の差は言葉では埋められない。
けれど。
(マインは、彼らの上司に大きな傷を与えた。常人ならば失血死してもおかしくない傷。だが、もしあの男がその傷が原因で死んでしまったら。マインは動けなくなる)
その前に彼らが上司を慮って撤退を選んでくれるなら、それでもいい。
どうにかこの場をやり過ごすことができた、と安堵するだろう。
「今、君たちが引けば彼を助けられるかもしれないよ?」
「……お前たちを殺してからでも間に合う」
「そうかい」
だが、そう簡単には引いてくれそうにない。
(参ったね。以前の俺なら、きっとこの場からの撤退を選んでいた。……でも、今は)
ヴィルヘルムは剣を構え直す。
冷静な判断ではない。そう頭では理解している。
だが今は心が熱くなっていた。
(眼前の敵に負けたくない。いや、違うな。俺は……ギフトを持つ者たちに劣ったままではいたくないんだ)
弟、ジークヴァルトがギフトを授かった時。
ヴィルヘルムはそれを悪くは思わなかった。
むしろ祝福していた。心から。
侯爵位の継承問題になった時も、それを理由に弟をうとましく思わなかった。
むしろ、普段から性格の面や振る舞いの方が問題と思っており、ギフトに関してはどうと思うこともなかったのだ。
けれど、ヴィルヘルムはカーマインと出会った。
彼女の振る舞いは、生来の性格もあるけれど、ギフトに大きく影響されているように見えた。
ギフトを授かった者たちについて、ヴィルヘルムは、それまで普通の人間と変わらないように見ていた。
だが、カーマインはギフトを授かった者として、何かを探るように生きていた。
そして今。
彼女は『ギフトを持つ者』であるが故に。
あの巨大な怪物に一人、立ち向かおうとしている。
そこには彼女の矜持があり、その振る舞いこそがギフトを持つ者、授かった者としての使命。
そのように感じられた。
ギフトを授かった者たちには〝使命〟がある。
カーマインは、それを感覚でわかっているように思えた。
ならば。
そんな彼女は、ギフトを持たない者たちを置いて、いつかどこかへ行ってしまう。
先へ、先へ、と。
辺境伯家のヴォルテール卿とも出会ったという。
彼もまたギフトを授かった者で。
カーマインの隣を歩く者は、きっとそういう者こそが相応しい。
だから、いつかヴィルヘルムは、彼女に置いていかれる。
(ああ……。認めたくない。ジークがギフトを授かり、侯爵位を継ぐかもしれないと言われた時も、こんなふうには思わなかったのに)
ヴィルヘルムは優秀な男だった。
賢く、よく学び、また剣の腕も、馬術も卓越していた。
王にさえ認められたことがあるほどに。
多くの部下に慕われ、領民を大切にしていた。
弟のジークヴァルトがそんな彼に劣等感を抱いていると知っていても、勝ち誇ることはなく、弟を導こうと思っていた。
カーマインに心配されたような、弟への思うところなどなかった。
どこかで。
ヴィルヘルムは、ジークヴァルトにすべてを譲ることになったとしても、そのことを『弟が成長したことが誇らしい』と。
兄として、そう思い、笑って、すべてを譲るだろう未来を見据えていた。
しかし、今は。
(認めたくない。譲りたくない。負けたくない)
ヴィルヘルムが初めて抱く、内側に燃える激情。
死に物狂いで、ギフトを持つ者に食らいつく。
天より、神よりの授かり物なのだから、と。
普通の人間、ギフトを持たざる者なのだから仕方ないのだ、と。
(そう諦めることは……したくない)
たとえ他のすべてを持っていたとしても、持たざる者。
一点、どうあがいても敵わない、神の采配。
諦めるべき、どうにもならない差。
(ああ、俺は。どんなに醜く足掻くことになったとしても。彼女に置いていかれたくは……ない!)
穏やかで、理性的だった彼に宿ったのは、そんな泥臭さ。
完璧で、整ったまま、すべてを終わらせても笑っているような。
そんな今までのヴィルヘルムにはない感情。
「……!」
ヴィルヘルムから発せられる気配が変化したことに、対峙しているルドロフは誰よりも早く気付いた。
「……何を笑っている、ヴィルヘルム・アイゼンハルト」
「笑っている?」
初めて会話をしようと口を開いたルドロフに驚くヴィルヘルム。
だが、驚いたのは少しだけで彼はすぐに微笑みを浮かべる。
「はは、笑っているか。なんだか今は……楽しくもあるね」
「……そうか」
(……手強い)
ルドロフは、長引くほど彼の方に有利になるはずの戦いに、変化が生じたことを察した。
眼前の青年は、先程までは綺麗で、論理的で、整った、騎士らしい戦いをしていた。
武を嗜んだ者としてルドロフもそれに応じた戦い方を返した。
それでも、おそらく勝敗はついていただろう。
なにせルドロフにはギフトがある。
それは黒水晶によってもたらされたような、まがいものではない。
ルドロフ本人が授かった本物のギフトだ。
如何に眼前の青年が強く、賢く、完成されていたとしても。
ギフトを使いこなすルドロフとは膂力が違う。体力が違う。身体能力が違う。
ルドロフの勝利は揺るぎないものだ。
……揺るぎない、はずだった。
(だが今、それは変わった)
眼前の青年、ヴィルヘルムは如何なる心境の変化か。
何があろうとも勝ちを狙ってくるような、そんな気迫が漲っている。
「詳細に明かすわけにはいかないけれど」
ヴィルヘルムは再び口を開く。
それは先程までと違い、ルドロフを探るようなものではない。
「俺は君を退けたあと、君たちの上司らしき彼……、〝先生〟だったかい? 彼を殺しに行くよ」
ヴィルヘルムは、そう宣言する。
「……なぜだ」
「さぁ? どうにも。君にならわかるんじゃないか」
「…………」
ヴィルヘルムの視線が一瞬、ルドロフの頭にある金の輪に向けられた。
それが何を意味するものか。
「……わからんな」
「……そうかい」
ルドロフの頭にある金の輪、禁箍児は、彼がギフトを十全に使いこなした証だ。
少なくともルドロフはそう認識している。
ギフトを授かった者として、その力を極限にまで引き出した、その証のようなものだと。
「ただ、俺の手で彼を殺したい。そう思っているだけだ。俺は必ずそれを実行する」
「……そうか。随分と恨みを買ったな」
「はは、その通りでもあるね」
ヴィルヘルムは考える。
もし、あのピンク髪の男が、血を流したことではなく、ヴィルヘルムの剣によって首を切られて死んだなら。
カーマインに課せられた金の輪は発動しないのではないか。
今の状況では彼女に頼るしかない。
だから、この状況でカーマインの手助けになるとすれば、それしかないのではないか。
巨大な怪物を打ち倒す時にも、必ず間に合わなければならない。
ヴィルヘルムは一度、苦しむカーマインの姿を見ている。
彼女をあのように再び苦しめたくはない。
だが、それを実行するためには、眼前の敵を退けなければならない。
(やってやろう。可能な限り、早く)
ヴィルヘルムは大地を蹴り抜き、ルドロフへと向かっていった。




