63 聖嬰大王
賊のアジトがあっという間に火炎に包まれる。
ただの火であれば孫悟空ならば余裕、と思うなかれ。
この火炎が本当に『三昧真火』であるならば、孫悟空を追い詰める炎になり得るものだ。重要なのは〝煙〟となる。
孫悟空の火眼金睛は煙こそが弱点なのだ。三昧真火は孫悟空を弱らせた有効な攻撃である。
だが今、そのことはいい。
「私が守るべき人は、この扉の先にいる被害者たちよ!」
「……何?」
私は被害者たちのいる部屋を背に庇いながら、人差し指と中指で剣指を結ぶ。
「避火訣!」
炎のエネルギーを遠ざける術により背後の扉を守る。
被害者の彼女たちを守りながら、変化のすべてを解いた。
頭には緊箍児。赤い髪、ドレス姿の、本来の私の姿に。
アジトの床をぶち抜き、その場に如意棒を立てる。
私はそこで場違いにもカーテシーをしてみせた。
炎の中でのカーテシー。
異世界転生もレアだが、こんなことをするのも、かなりのレア体験だろう。
「は?」
あまりにも場にそぐわないドレス姿とカーテシーで、さしもの槍使いも面食らう。
「私の名前はカーマイン。カーマイン・マロット。マロット公爵家の長女。そして、この場所には、誘拐された女性を救出したあと、賊の一人になりすまして潜入し、誘拐された被害者たちを守るために来た。貴方が来た時、すでに倒れていた賊が何人もいたでしょう? それは私が倒したの。その時点で、ここにいる賊たちを倒した別勢力の〝誰か〟がいると思えたはず。その誰かが私よ」
「…………あ」
槍使いは私の言葉にようやく思い至ったようで、周りを見渡す。
中には、すでに縄で拘束された男までいる始末。
早とちりで私を賊の仲間と思い、襲ってきたということだ。
このバカタレ。こいつ、賊のボスなんかじゃない。
「貴方はこいつらと敵対している。或いは、とにかく被害者たちの味方なのよね? じゃあ私と戦う意味まるでないんだけど? 私も賊を倒しに来た側で、被害者救済のために動いている側だから」
「…………」
火炎が逆巻く修羅場で悠長なやり取り。
現在進行形で賊たちが火に焼かれているけど気を失っているため無反応。
まぁ、彼らについては因果応報だ。多少の火傷程度で文句は言わせない。
「この火、貴方は消せる? 水では消せない火でしょう?」
「なんでそれを知っている……?」
「わからないの?」
もし、彼が転生者で、紅孩児についていろいろと知っているなら、私の孫悟空のことだってわかるはずだ。
緊箍児と如意棒を持っていて、小さな個体を味方にして戦うとか、すぐに想像つきそうなもの。
まして己のギフトが『聖嬰大王紅孩児』ならば、なおさら。
前世の誰であっても、紅孩児より孫悟空について知っていることの方が多いだろう。
「……消えろ」
彼が命じると避火訣の周りの火炎だけが消える。
消えたのは三昧真火の火炎だけかしら。まさかとは思うんだけど……。
「火尖槍で放った炎は消せないとか?」
「…………」
ばつが悪そうな顔するんじゃないわよ!
彼女たちがいる部屋だけは無事みたいだけど!
いつまでもこのままだと家屋そのものが焼け落ちてしまう。
なら私が消すしかないわね。
「芭蕉扇! 風よ、この場のすべての火炎を打ち消せ!」
芭蕉扇を振るうと、猛烈な風が室内に吹き荒れる!
「うぉおおお!? なんだ、何しやがる!?」
さしもの槍使いも、この場に逆巻く風には驚きのようだ。
というか、この芭蕉扇はあんたの母親のものよ! ギフトのだけど!
火炎のあとに吹き荒れる風で、とんでもないことになる室内。
でも、そのおかげで、どうにか鎮火した。とはいえ、だ。
「問答無用で焼き殺そうとするとか。被害者ごと殺しかけたの、わかっている? 証拠が欲しいならこの部屋の向こうを見てみなさい。あんたが殺しそうになった罪のない被害者たちがいるわよ」
「う……」
「連れてくるまで信じない? それとも自分の目で見て確かめる?」
「いや、……そうだな。自分の目で確かめる」
火尖槍からは炎が消えている。どうやら敵意は収まったようだ。
ドレス姿に戻ってカーテシー、かつ名乗りを上げたことが大きいのかも。
「じゃあ、こちらへどうぞ。彼女たちを確認したなら事態の収拾を手伝いなさいよ」
「……ああ」
ギフト紅孩児を持つであろう、黒髪の槍使いに道を譲る。
今のうちにすべきことをしておくか。
可哀想に、ミニ・カーマインたちは全員やられてしまった。元の毛も焼け落ちている。
魂なんて宿っていないと思うけど、どこか愛らしい〝ミニ〟たち。
それが全員戻ってこないなんてねぇ。なんだか悲しくなるわ。ただの毛なんだけど。
「身外身法」
再び小分身を何体か出現させる。
「「「ウキー!」」」
元気な様子がなんとも愛らしい。姿は私なんだけどね!
投げた幌金縄は芭蕉扇とともに消しておいて、と。
私はもう一度、髪の毛を少し縄に変えた。
先程の炎で先に出した縄が焼け切れているかもしれないからだ。
「命令、賊たちを全員きっちりと拘束した状態で外に連れ出して!」
「「「ウキッ!」」」
ミニたちが命令を受けて飛んでいく。
そのあとすぐに奥の部屋に行った槍使いが戻ってきた。
「……確認した。寝ているようだが、あれもお前が?」
「ええ。正直、私の姿を見られたくなかったのと、さっきまで別人の顔をしていたから、彼女たちに誤解されないように配慮したの」
「……そういえばお前、別の顔をしていたな。男の見た目だった。あれはなんだ?」
「なんだって」
え、察しが悪いの? この男。
「私もギフト持ちって見抜いていたでしょう? 私のギフトは〝これ〟よ」
床をぶち抜いて立てていた如意棒を引き抜き、男に示してみせる。
「ん?」
だけど、彼は示された如意棒を見ても首を傾げるばかり。
「だから、これ! わからない?」
「その棒がなんだ?」
「なんだって……。じゃあ、これを見なさい。伸びろ、如意棒!」
グイーンと如意棒が天井まで伸びていく。
転生者なら、たとえ西遊記を詳しく知らなくても如意棒くらいは知っているだろう。
いや、彼は紅孩児のギフトを使いこなしていたのだ。
西遊記について知らないはずがない。
「おお? なんだそりゃ! 伸びるのか! その棒!?」
「え……?」
まさか。
「とぼけているの?」
「とぼける? 何をだ」
え、本当に? 知らない? 如意棒を? 紅孩児の力を使っているのに!?
「いったい、どういう……」
目の前の男が嘘を吐いて、とぼけている?
初対面だから読めないけど、なんとなくそういう雰囲気じゃない気がする。
それは彼が野生児っぽいからというか。シンプルに言うと脳筋っぽいのだ。
ジークヴァルトのような似非・脳筋キャラと違い、行動力バカというか。
その根底が人助けにあったのは間違いない。彼はここに被害者を助けに来たのだ。
もう少しで、その被害者を焼き殺すところだったけど。
……それも私が介入していなければ起こらない事態だった?
彼が火炎を放ったのは、私が彼の力に対抗できてしまったからだ。
武芸のみで制圧できていたのなら、きっとそうしていたはず。
また、被害者の女性たちは私が眠らせていたが、私がいなければ今も起きていて、騒ぎを聞きつけて悲鳴の一つも上げていただろう。
彼女たちは本来、自らSOSを発することができていたはずだった。
そうすれば今、彼が火を消してみせたように焼き殺すような真似をすることはなかった。
彼の問題行動の原因はすべて、この場に私がいたからに他ならない。
考えなしのようではあるが、邪悪な人物とは思えないわね。
「いろいろと聞きたいことはあるんだけど。まず彼女たちを外に連れ出すのを手伝ってくれる? 火災のせいで家屋が脆くなってしまったかも。ここは離れた方が無難だわ」
「……おう!」
素直に承諾する彼。やはり素直さがある。
戦闘時とのテンションの差もあるか。彼も先程はハイになっていたということね。
被害者である四人をそれぞれ二人ずつ肩に担ぐ。
当然のように二人を持ち上げる私に男は面食らっていた。
「お前、いや、さっきもそうだが。力があるな」
「……ギフトのおかげでね。山だって二つまでなら持ち上げられるわ」
「山を!? ははは! デカく出やがったな! 嫌いじゃないぜ、そういうの!」
豪快に笑う槍使い。今の言葉でも孫悟空を連想しないらしい。
まぁ、これはマイナーエピソードだけど。
私は改めて彼を見る。
黒髪が逆立っていて如何にもなワイルドヘア。
筋肉質であろうことが服の外からでもわかる良い体格。
瞳の色は炎を思わせる紅。
私の瞳の赤色が〝血〟の赤色だとしたら、彼の瞳の色は〝炎〟だ。
服装は黒をベースにしているが、ところどころに金の刺繍があり、明らかに良い仕立て。
また顔立ちは美形。でもヴィルヘルムのような優しい感じではない。
ワイルド系のイケメンといったところだろうか。
ちなみに首や手足に〝金の輪〟は嵌っていない様子。
……ヒーローの一人? 隠しキャラ枠? としか思えないほど、いろいろと整っている。
さらにギフトが、おそらく『聖嬰大王紅孩児』。
悪役令嬢が孫悟空であるならば、ヒロイン側に紅孩児がつく? ありそうな話だ。
それとも悪役令嬢の私が、ヒーローズの手に負えないほどの存在になってしまった時の保険?
孫悟空と紅孩児が揃ったならば、どちらかはカウンター的な存在だろう。
いや、相互的にそうか。
紅孩児は、孫悟空を死の淵まで追い詰めた、西遊記で最も恐るべき敵だ。
見た目は子供であるものの、その正体はあまりに苛烈な存在。
孫悟空が力負けではなく、術の相性で〝完敗〟した相手だ。
拠点を火雲洞に構え、最初は人間の子供に化けて助けを求めてくる。
本当に助けてほしいのではなく、一行を騙し討ちして、三蔵法師を食らうためだ。
孫悟空がその正体を見破り、遠ざけるものの、三蔵法師が助けを求める子供に絆され、救うように命じる。
一人、紅孩児の正体を見破っていた悟空が子供を背負って移動することに。
その際、紅孩児は『重身法』を使って孫悟空を圧し潰そうとするものの、孫悟空には通じない。
悟空は、その場で人間の子供姿の紅孩児を地面に叩きつけて潰してしまう。
だが、それで死ぬことはなく、変化が解けただけであり、紅孩児は突風を巻き起こして悟空たちの目を逸らさせている隙に三蔵法師を連れ去ってしまう。
ちなみに孫悟空は、紅孩児を兄弟分である牛魔王の息子だから〝甥〟として接しようとする。
が、そんなことは五百年も前の関係。
当の紅孩児は『お前など知ったことか』と突っぱねて、ややあって二人は、丈八の火尖槍と如意棒を打ち合う戦いとなる。
術でも力でも決着がつかない二人の戦いだが、果てに紅孩児は三昧真火を繰り出してくる。
それは四海竜王を呼んで降らせた天の雨でも消せず、逆に燃え盛る火炎だった。
孫悟空は、実は『猛烈な煙』にめっぽう弱く、眼を焼かれて視界を失い、冷たい川に飛び込んで、ショック死してしまった。
そう、孫悟空は一度死んでいるのである。
まぁ、すぐに仲間である猪八戒の術で蘇生するわけだが……。
孫悟空が敗北し、死に追いやられてしまったのは間違いない。
とにかく紅孩児とは、そういう存在だ。
孫悟空の敵やライバルと呼ぶべき存在は他にもいるが、紅孩児は別格といっていい。
ついでに〝最〟の方でも別格キャラだったわよねぇ。
また最終的に紅孩児を倒したのは孫悟空とは言い難い。
菩薩に助けを求めて退治してもらった、が正しくなる。
その先で紅孩児も孫悟空と同じような金の輪、『金箍児』を頭・両手・両足の五箇所につけられてしまう。
降参した紅孩児は観音菩薩の弟子となり、『善財童子』の名を授かるのだ。
彼を観察しつつ、屋敷の外へ眠る彼女たちを連れ出した。
「おお? いつの間にこいつらまで外に出したんだ?」
「それは……」
「「「ウキー!」」」
説明しようとしたところでミニたちが戻ってくる。
「ご苦労様、もう戻りなさい」
「「「ウキッ!」」」
ミニたちが私のうなじの毛に戻る。
「……おお?」
「これを見ても私が何のギフトを持っているか、わからない?」
「ああ? そりゃわかるわけないだろ」
そんなはずが。でも、やはり嘘を吐いているように見えない。どういうことなの?
「……貴方は。いえ、そもそも貴方の名前は?」
前世の何者かより、まず今世の何者かをはっきりさせるべきだった。
私が先に名乗ったからといって彼も名乗る義理はないかもしれないが。
しかし、彼は当たり前のように名前を告げた。
「ラグナ。ラグナ・ヴォルテールだ。ヴォルテール辺境伯の子、ラグナとは俺のことだ!」
自信満々に胸を張ってそう名乗る槍使い、ラグナ・ヴォルテール。
さも、こちらがその名を聞けば恐れおののくとでも言いたげな様子なのだけど。
「ごめん、知らない」
「あが!」
私が貴族社会に不勉強なせいかもだけどね。
それにしても辺境伯令息かぁ。この人、やっぱり隠しヒーローなんじゃない?




