52 香水事件
変化解除の煙が立ち上ったのは、合同授業で一緒になる別クラスの女子生徒だ。
名前は知らないわね。いえ、これは別にお高くとまっているつもりではなくて。
普通に私が不勉強なだけだ。
「いったい何事だ?」
「どうやら異臭が漂っているようですが」
「……なんだそれは」
G4からのありがたいコメントを拝聴。
へいへい、どうした、ジークヴァルトくん。君の役割は『誰か、おならでもしたんじゃねぇの』とか下品な発言をすることじゃないのかい? もっと熱くなれよ。
「…………」
とか私が思っていると無言で睨まれたわ。
心の声で煽っていただけなのに失礼ね、ウキーッ!
「ベルゴ伯爵令嬢、貴方から臭うわよ」
「えっ、私?」
名を呼ばれた彼女は先程、私が術を解除した時の煙が背中から出ていた生徒だ。
「……勘違いではありません? 臭いの元は、どちらかといえば、あちらでは」
ベルゴ伯爵令嬢はフィナさんへと視線を向ける。
「ええ? いえ、やっぱり臭いのは貴方よ」
「そんなはずは……」
たちまち距離を置かれるベルゴ嬢。困惑している様子だ。
彼女も臭いは感じているはずだけど、それが自分から漂っていることを認識できない。
フィナさんから臭うはずだろうという思い込みのせいね。
「これ、香水? ルチアーナ様、変な香水でも使ったの?」
「え……」
私はその様子をじっと観察する。
伯爵家クラスなら取り巻きに下位貴族の生徒を従えていてもおかしくない。
セラフィナさんと会話していたのはおそらく彼女だけだけど周りに人がいるような声があった。
案の定、ルチアーナ・ベルゴ伯爵令嬢の様子を見ながら顔色を悪くしている女子生徒が二人。
だいたい犯人グループは割り出せたかしら。
「そこに香水瓶が落ちているわよ。原因はそれじゃない?」
「え、あ」
ベルゴ嬢が困惑して動いた拍子に、彼女の足元に落ちていた香水瓶が発見される。
もちろん変化状態は解除されて、ただの香水瓶になっている。
「これは……!」
ベルゴ嬢はその香水瓶を見つけて事態を察したのだろう。
フィナさんを鋭く睨みつける。
「……?」
当然、フィナさんは睨まれる理由がわからない。
でもベルゴ嬢からすれば『香水瓶の仕掛けに気づいたフィナさんが意趣返しに嫌がらせをした』に変換されてもおかしくない状況だ。
これは私の配慮不足ね。因果応報のつもりだったのだけど。
そのせいでフィナさんが逆恨みされるのはよろしくない。
といっても、ここで私が出ていけば余計に拗らせるかしら……?
私は首を傾げて、さも何が起きているかわかりません、な態度を取る。
いざとなれば、きちんと彼女を庇える位置にいよう。
念のため、金剛不壊をオンにしておく。
これで彼女が逆上して、取り出した刃物で刺されたとしてもヘッチャラだ。
「貴方でしょう、こんな嫌がらせをしたのは!」
ベルゴ嬢はストレートにフィナさんを糾弾する方向に舵を切る。
「え!? 私!?」
フィナさんは驚き。そりゃあそうだろう。身に覚えがなさすぎる。
「貴方以外いないじゃない! この!」
「待ちたまえ。急にいったいなんなんだ」
ジュリアンさんが代表して前に出て、フィナさんを庇う。あらぁ。
フィナさんへの好感度高いの? ルート入っちゃう?
「ジュリアン様! ですが、このような酷い真似をするなんて!」
「……確かに異臭は貴方からするようですね、ベルゴ伯爵令嬢。しかし、なぜその臭いの原因がセラフィナ嬢ということになるのですか」
まぁ、そうよね。冷静な判断だわ。
ちなみにヴィンセント殿下は少し離れた場所に控え、ジークヴァルトは彼を守る位置に立つ。
きちんと仕事をしている様子を見るのは初めてだわ。反省したのかしら。
こうしてクソガキは一歩ずつ大人になっていくのね。
「それは……! あの落ちている香水瓶です!」
「……あれが何か?」
「あれを持っていたのはセラフィナさんなんです!」
「え!? もしかして、あの香水瓶ですか!?」
フィナさん、そこは素直に声を上げなくていいのよ。
ベルゴ嬢がニヤリと隠れて笑う。
「ほら! 聞きましたでしょう? 彼女が私に嫌がらせをしたんです!」
「え、嫌がらせってどういうことです?」
「貴方、とぼけるの!? そんなこと許されなくてよ!」
「とぼけるって……」
この流れもベルゴ嬢の想定内かしらねぇ?
フィナさんへ疑いを充分にかけたあと、彼女の口から『カーマイン様からの贈り物』発言を引き出されば、それで彼女が思い描いたルート入りか。
「貴方じゃなければ誰があの香水瓶を用意したっていうのよ!?」
「え、だって、あの香水をくれたのは……」
フィナさんが視線を私に向けてくる。
うーん、素直。裏とかかけないタイプ。
これで中身が転生者ヒドイン系で、わかっていてやっているんだったら人間不信になるわ。
「まさか、カーマイン様が犯人だっていうの、貴方は?」
「犯人って、違います。ただ、あの香水は……!」
これ、ちなみに推定原作だと、どういう決着になるのかしら?
私はこの事態を知らずにいたでしょう。
フィナさんの素直さからして、くさい臭いのままヴィンセント殿下とダンスを踊ることに。
気づくのはヴィンセント殿下よね。そこで香水瓶を贈ってくれたのが私という話になる。
当然、知らないことだから『私はそんなこと知りません』と主張する推定・原作の私。
G4たちには疑いの目を向けられつつ、証拠がないから解散?
……うーん。つまらないイベントね。
ヒロインの活躍の余地も、ヒーローの活躍の余地もない。
ゲーム上だとヒーロー格好いいシーンで、実態は悪役令嬢が冤罪食らっていた系のシーン?
それもまた悪役令嬢あるあるよねぇ。
「セラフィナ嬢、香水について教えてください」
「は、はい。カーマイン様からプレゼントだって言われて確かに香水を貰いました。でも、その香水瓶を私、どこかで落としてしまったんです」
「落した……?」
「はい。申し訳ありません、マイン様。せっかくのプレゼントを落としてしまって」
私は返事をせず、曖昧に微笑んで応える。
「それで。その落とされた香水というのが、あそこに落ちている青い瓶ですか?」
「ええと……同じ物かは。この教室に来るまでに落してしまったので、同じ物だとするとどうしてあそこにあるのか」
「何者かが落ちていた香水瓶を拾い、この教室に持ち込んだと」
「嘘よ! そんな言い訳通用しないわ!」
「言い訳だなんて……」
声を上げて騒ぐベルゴ嬢、突然の言いがかりに困惑するヒロインちゃん。
冷静に物事を判断しようとしている? ジュリアンさん。
ヴィンセント殿下もこの場にいるけれど、あえて口を出そうとしない。
まぁ、私でもそうするでしょうね。
ジュリアンさんが動き、落ちている香水瓶を拾う。
近づくだけで顔をしかめていて、臭いの原因がそれであるとはっきりする。
「こんな香水、わざわざ用意するなんて……」
ジュリアンさんがそう評価した言葉に、私への視線が集まる。
話の流れ通りであれば、その香水を用意したのは私ということになるからだ。
「…………」
ジュリアンさんは、じっと青い香水瓶を見つめる。
臭いだろうに、それは意に介さずに。
「……どうやら毒ではないようです。ただ異臭がするだけですね」
そう発言した。
彼のギフト『真理の探究』か。鑑定系の能力であるのは間違いない。
「そうか。毒ではないか。では、この授業で起きたことはせいぜい嫌がらせ程度の話だね、ジュリアン」
「はい、ヴィンセント殿下」
殿下がそこで初めて口を開き、起きた出来事を明確化する。
まぁ、王族もいる場で毒物が持ち込まれた、は洒落にならないわよね。
『毒物ではない』という判定を聞いた時のベルゴ嬢の様子に私は注目した。
そこに驚きや焦りの様子はない。
つまり、私が禁毒法を用いずとも元から毒物ではなかったのだろう。
事前の判別でもそんな感じだったものね。
「マロット公爵令嬢、貴方からも話を聞きたいのですが、よろしいですか?」
「ええ、かまいませんわよ、ジュリアンさん」
ジュリアンさんは落ちている瓶の蓋を取り、香水瓶を閉めた。
気持ち、手で臭いを払ってからそれを持ってくる。
「こちらの香水瓶を用意したのはマロット公爵令嬢ですか?」
「……あら? その瓶、青色ですのね?」
私は首を傾げながら、その瓶を見て、そう口にする。
「……瓶の色が何か?」
「確かに私はフィナさんへのプレゼントを用意していました。ですが、用意した香水の瓶は〝赤色〟でしたのよ。授業の前に、そちらのルチアーナ・ベルゴ伯爵令嬢とその友人のお二人に、フィナさんへ渡すようにお願いして、赤色の香水瓶を渡したはずなのですけれど?」
「なっ……!?」
私の答えが想定外であったのか、ベルゴ嬢は驚愕する。
彼女の取り巻きらしき二人の令嬢もだ。
「う、嘘よ! そんなこと、貴方に頼まれていないわ!」
「え? 頼まれていないんですか? 私にはマイン様からのプレゼントっておっしゃっていたじゃないですか」
「なっ……!」
ナイス援護よ、フィナさん。
流石のヒロインムーブというか、状況をひっかき回す言い方は天然ものだ。
「どういうことかな、セラフィナ嬢」
「えっと。そもそも、その青い香水瓶は『マイン様からのプレゼント』ということで、そちらの方にいただいたものなんです。ですが、先程も言ったように教室に来る前にどこかで落としてしまって。それでマイン様に申し訳なく思っていました」
「……この瓶を直接、貴方に手渡したのは、そちらのベルゴ伯爵令嬢であると?」
「はい、そうです」
「……!」
青くなり始めるベルゴ嬢。
「マロット公爵令嬢は……」
「私は確かにフィナさんへ香水瓶を贈ろうとしました。ですが、初めてのダンス授業の前で彼女と会えば、ついお喋りに興じてしまいそうでしたので。直接は手渡さず、偶々通り掛かった、そちらのベルゴ嬢とご友人のお二人にお願いしたのです。ですが、私が彼女たちに手渡した香水瓶は赤色でしたわ。それだけは間違いありません」
もちろん嘘だけど。
こういう時は下手な言い訳をするより、しれっと嘘を混ぜるのだ。
ただ、この嘘をジュリアンさんは見抜くかもしれないが。
「……つまり、香水瓶のすり替えが行われたということですか」
「どうやらそのようですわね。フィナさんのこと、羨ましく思ったのかしら。でも盗むなんて、そんな品のない真似を……」
「なっ、ち、違います! カーマイン様が嘘を言っているのですわ!」
その通りですが何か? ウキキッ。
ベルゴ嬢は自分が糾弾側に立ち、疑念の舞台に上がるのは私とフィナさんだけの想定だったのだろう。
つまり安全地帯から私たち二人を攻撃するつもりだった。
でも、彼女はこうして見事に舞台の上に上がってしまっている。
焦燥感が表情に出ているわねぇ。
「……わかりました」
ジュリアンさんが溜息をつきながら、改めて香水瓶を目線の高さに持ち上げる。
「セラフィナ嬢、この香水瓶の所有権を放棄し、返却の意思を示していただけますか」
「え? なんです?」
ん? 所有権?
「お願いします。事態の解決に必要なことです」
「え……はい。わかりました。所有権ですか?」
「はい」
「……その青い香水瓶について、私は所有権を放棄します」
フィナさんの発言に無言で頷くジュリアンさん。
「これでいいのでしょうか?」
「ええ、いいです。続いて返却の意思を示してください。その際、誰にとは言及せず『元の持ち主』に返却すると」
「……わかりました。その香水瓶を、元の持ち主に返却致します」
さらに宣言するフィナさん。いったいなんの儀式?
「よろしい。これでこの香水瓶の所有者は、元々の持ち主に戻ったことになります」
「……はぁ。それでどうなるのでしょうか」
「こうするのです」
ジュリアンさんが香水瓶を持つ手とは逆の手で、眼鏡をカチャリと持ち上げた。
すると彼の体から淡い光を放つ煙が溢れ出す!
私を含め、その光景に驚く生徒たち。
ジュリアンさんから溢れた煙は、やがて形となり、二匹の黒い犬の姿になった。
これはまさか。
「ギフト『真理の探究』、その使い魔です」
ジュリアンさんのギフトの力! 使い魔って本当に出せるのね!
「ジュリアン・ヴァレンシュタインが命じる。この香水瓶の、元の持ち主を探り当てろ」
教室の中で二匹の黒い犬が放たれた!
……命令文が、かなり厨二病じゃない?




