43 現状把握
いつまでも落ち込んでいるわけにはいかない。
対策を立てなければ。といっても、その答えはすでにある。
原典の孫悟空だって緊箍児をつけたまま変身していたのだ。
この頭の輪は〝隠す〟ことができる。これは原典からそうだ。
「七十二変化、変われ」
頭の輪を隠すように〝変身〟してみる。すると見た目だけは、いつも通りになる。
これで日常生活は、ひとまず支障はない。
「…………」
でも指で頭を探ってみると、確かに緊箍児の感触があった。
姿は見えない。だが、そこにある。
「はぁ……」
誤魔化せるけど外せない。それが孫悟空の緊箍児だ。
あと気にしなくちゃいけないのは。
「指は隙間に入るわね。頭は洗えそう。それから……」
孫悟空の頭から外れない緊箍児だが、頭を洗う時とかどうするの? という疑問がどうしても離れない。それは私だけではなく西遊記の読者たちも同様だ。
変身した際に綺麗になるとか、そもそも猿がそんなこと気にしないだろとか。
だいたい『孫悟空はどうにかしていた』という結論に至る。
緊箍児は孫悟空の魂に紐付けられた概念的な枷。
孫悟空の変身は、そもそも物理的な変身だ。
そうでなければ『小さな虫になって脱出!』というエピソードが成立しない。
となると、緊箍児もまた孫悟空の術による体の変化に合わせて収縮しているはずである。
だから一度何かに変身して、また元の姿に戻った時、体は綺麗になっているという。
緊箍児と頭を洗えるか問題は話題にはなるものの、結論としては『孫悟空なら、どうとでもできるだろ』に落ち着く。
あれだけ万能で様々な術を使えるのに体を綺麗にする術がないとでも? となるわけだ。
しかし、私の場合は死活問題だ。
頭がこの部分だけ洗えないとか、たまったものではない。
とりあえず外せはしないが、輪と頭の間に隙間があり、そこに指を突っ込むことができそうで一安心だ。
いや、何も安心できないが。
「あー……。使えるかしら?」
私は意識しながら唱える。
「浄身法」
孫悟空の体を清める術だ。これを使えば、付着した汚れや血、埃などを一瞬で吹き飛ばせる。
そもそもお風呂に入る必要すらなく、戦闘直後の血生臭い状態から、一瞬で涼しい美猿に戻れるというわけだ。
ウッキー! 俺様の美しい姿を見な!
私の体が淡く光ったかと思うと、すぐにその光が収まった。
術は発動したらしい。
「綺麗になったっぽい? うん……。頭も、髪も、大丈夫そう」
お風呂問題は解決といえば解決かなぁ。
でも、悲しいかな。私って貴族令嬢なのよね。
つまり使用人たちに体を洗ってもらうとかそういう機会があるわけで。
髪の手入れもね。してもらうの。
いつもじゃないのよ。でも、これからドレスを着る時とかはそういうこともある。
「誤魔化すしかないわねぇ」
頭と輪の間に隙間があるなら小さな分身に掃除させる、という手もある。
孫悟空はわりと見栄とかそういうのに拘るのだ。
なので、いろいろと手はあるということで。
その時だけ分身を出して、侍女には分身の世話をさせる。
本物の私は七十二変化を使って、一瞬でドレスアップ完了! とかね。
「それで、ここはどこ、今はいつ?」
部屋には誰もいなかった。
ヴィルヘルムが私を運んだのだと思うのだが、介護要員がいないのはなんだろう。
いや、そうだ。
今、アイゼンハルト領は魔獣が溢れだしていて大変なのだ。
ヴィルヘルムが生存しているのなら、その対応にだって追われているはず。
使用人たちだって、その事態の収拾に駆り出されていることだろう。
「魔獣たちが大人しくなったのか確かめないと……」
殺生禁止がルールなら、逆にそれ以外は自由……か、わからないけど。
それでも今までのように『あるかも、あるかも』と悩むよりはスッキリした面もある。
もう少しギフトに頼っていくのもアリだろう。
とくに今回、必要に駆られてギフトを使うことになってしまった。
これでギフトの力が必要なイベントが終わりとは思えないのだ。
「アイゼンハルト卿の重要なイベントを台無しにしたかもしれないけど」
でも、領民やお兄さんを失うよりは、ずっといいだろう。
彼の人間的な成長は、生きているヴィルヘルムに任せよう。
「隠身……」
私は姿を消して、アイゼンハルト領の安全確認に行こうとする。
その時になって。
コンコン、と。
私のいる部屋がノックされる。おっと。
「はい、起きています」
「……! 失礼しました!」
私が寝ていると思っていたらしい誰かが、反応があったことで驚いている様子。
「入ってきていいですよ」
「……失礼します」
許可を受けて入ってきたのは侍女らしき女性だった。
「……立ち上がられて平気ですか」
「ええ、おかげさまで。元から怪我をしていたわけじゃないから。私の介抱をしてくれていたのは、貴方?」
「はい、そうです」
「直前の状況は覚えているのだけど私、気を失ってしまったみたいなの。近くにいた人が助けてくれたのだと思う。領地が大変な状況になったのよね? 今、どうなっているのかわかる?」
「……私もすべては把握できておりません。屋敷におりましたので。ただ」
「ええ」
「領地に溢れた魔獣は現在、勢いを弱めており、アイゼンハルトの騎士たちがどうにか対応できていると聞きました。当初よりは態勢が整ってきていると」
「本当?」
「はい」
「そう。それはよかったわ」
魔獣たちの勢いが弱まった。
それはあのキメラの討伐と、その体内にあった黒水晶の破壊に連動しているのだろうか。
「私と一緒にいた男性、高貴な人というか、騎士の長のような人と思ったのだけれど。彼は無事?」
「ヴィルヘルム様のことでしたら、ご無事です。今は各地の指示を出すために離れています」
ヴィルヘルムは無事!
私はその言葉で、ようやくホッと一安心できた。とにかく当初の目的は達成できた。
山場は乗り越えたとみていいだろう。
「ここは、アイゼンハルト侯爵家の屋敷かしら?」
「はい、その通りですが……」
「何か?」
「ここは本邸ではなく別邸でございます」
「ふぅん、そう」
本邸か別邸かはどうでもいいのだけど。
「私、ここに連れてこられてからどれくらい経っているかわかる?」
「……正確ではありませんが、私が認識しているかぎり、連れてこられてから半日は経過しているはずです」
「半日……」
ヴィルヘルムがあの場所から私を運んでくれたとして、近くに馬がいたのかは不明。
私は部屋にある窓の外へ視線を向ける。すっかりと外の景色は暗くなっていた。
学園が終わったあと王宮に呼び出され、陛下と謁見するまで少し待ち、謁見中に急報を受けた。
私はそこから筋斗雲でアイゼンハルト領に飛び、キメラと戦闘。
そこで気を失った私をヴィルヘルムが屋敷まで運び、さらに半日。
日付はもう変わってしまったか。
なんとも怒涛の一日だったな。
「この時間になっても、アイゼンハルト小侯爵はまだ働かれているのね」
「はい、そうです」
領地の被害はどれだけ出たのか。
魔獣の勢いが落ちたというが、それで領民がすぐに安心できる根拠はない。
被害の確認をしつつ、再襲来に備えて騎士団を待機させつつ、休ませる。大変だろうな。
「…………」
ヴィルヘルムの生死に介入したのは、その運命について、私以外に気づき、さらに対処できる者が他にいないと思ったからだ。
でも、彼が無事だったならば、これ以上の介入を私がする義理はない。
この地を預かるアイゼンハルトの者たちがその対処をするべきだ。
私とアイゼンハルトには、なんのつながりもなく、家同士の提携もない。
正直、もう家に帰って休みたいのだが、この状況と時間帯で、果たしてそれが許されるか。
いや、もちろん私は平気だろう。だって帰りは筋斗雲だ。だが、それを認識する者はいない。
ヴィルヘルムでさえ私の能力の全容を理解していないだろうし、まして私は彼の目の前で突然に苦しみだし、気を失っている。
彼目線で言って、かなり体調が悪い人物に見えているだろう。
そんな私を夜中に屋敷を発たせて放置した。
そんなふうに言われては、目の前の女性や、この屋敷の使用人たちが怒られてしまう。
「あー……。体調は平気なの。本当は今すぐにでも帰りたいのだけど。今出ていくとなったら問題あるかしら。何か小侯爵に私の対応を聞いている?」
「丁重に扱うようにと。ヴィルヘルム様の命の恩人であり、身分のある女性だから。男性の使用人や騎士、またジークヴァルト様とは顔を合わせないように取り計らうように。そもそも」
「ええ」
「貴方様がここで療養されていることは他に漏らさないように。そう命じられております」
他に漏らさないように? 男性の使用人やアイゼンハルト卿と顔を合わせないように。
私のことを隠してくれている?
そういえば、ヴィルヘルムに私の力を隠したいこととか伝えていたっけ。
できればアイゼンハルト卿にも見つかりたくないと。
きちんとした約束ではなかったのに、守ってくれているのだ。
ヴィルヘルム、律儀だし、紳士ね。騎士道精神がある。
なぜ、あの兄がいて、あの弟なのか。
……そういうことを、たくさん言われてきたから性格が歪んだのかな。
アイゼンハルト卿にお兄さんとの比較を指摘するのはNGね、これは。武士の情けってやつよ。
「気がついたかい、レディ」
ヴィルヘルムが開いていたドアの向こうから顔を見せた。




