EP.44『私のアダム』
────親衛隊に入ったのは、君に見つけてもらうためだった。カーライルの言葉を信じて、小さい体には見合わない木剣を握った。
オーラが発現したときに消えてしまったが、手には胼胝がいくつも出来ていた。治りきらないほどに、いくつも。
私よりも、君の方が先輩だ。ただ立場が違うだけで。だけど親衛隊に君はいなかった。騎士団はそもそも管轄が違うから。正直、それは残念だった。でもいつしか、私は忙しさの中で生きるようになり、目標もできた。腐敗した親衛隊の現状を憂い、皇国に相応しい騎士たちの強い想いで満たしたかった。
結局は叶わない夢だったのだと、今は知ってる。あれは簡単に、誰かの手で変えられるほど美しいものでは、最初からなかった。それどころか、騎士団が壊滅する事件が起きながら、親衛隊は介入さえせず闇に葬り去ってしまった。
でも、そのおかげで、私が君を見つけることはできた。
「……本当は分かってたんだ。私の気持ちなんて、最初から」
きっとあれは恋だったのだと思う。恋焦がれていたのだと思う。
だって、私は君以外には他に必要だと思えなかったから。
「騎士をやめようなんて言って悪かったね。そのせいで、君には苦労ばかり掛けてしまった。助けられてばかりで、私は君に何もあげられなかったのに」
深入りせずに問題だけ解決してあげればよかった、と唇が言葉を紡ごうとするのに震えて上手くできない。目の前がぐちゃぐちゃになって、まともに見えるものは、愛する人の亡き姿。穏やかで、少なくとも苦しみはなかったと感じる。
冷たくなった頬。血の気を失った唇。開かない目。眼帯の裏で、君が私を見てくれていたら、どんなに嬉しいだろうという、悲しみが押し寄せた。静かな波となって、ずっと、ずっと、そこにいる。
「そうだ、アダム。また騎士になろう。剣を持ちかえって無実を証明すれば、陛下もお喜びになる。私たちの実力を示す良い機会になるよ」
返事はない。返事が欲しいとも思わない。返事をしてほしくない。だけど声は聞かせてほしい。『嫌ですよ』と笑って言ってほしい。頬に触れて、堪え切れなくなった涙を拭いてほしい。なのに、どうして何も言ってくれないのだろう?
「神様なんて、いやしない。私たちは奇跡の下で繋がっただけ。定められた運命は最初からこうだったのかな? だとしたら、あまりにも苦しいよ、アダム」
────アダムスカを強く抱きしめて、ニコールは声を殺して泣き続けた。いつまでも、いつまでも。涙が枯れるまで泣いて、泣いて。
「……帰ろうか。私たちを待ってる人たちに会いに行こう。騎士に戻ったら、そうだな。使節団に入って戦争を止める努力をしなくちゃ。上手くいったら休暇を取ろうよ。旅行は……君が行きたがった別の大陸にしよう。もし気に入ったら暮らしてもいい。皇国では十分に働いたさ」
掠れた声が、優しくぽつぽつと夢を語り紡ぐ。
「庭付きの小さな家を買おう。私は庭仕事をして、君はのんびり紅茶でも飲むんだ。お日様の下で笑って、下らない話で盛り上がって。ゆっくり年老いて、君が私より後に死ぬんだ。贅沢な夢だろ。……だって、先に死なれるのは、こんなにも深い傷になる。だったら私が、君を傷つけていきたい。君に泣いてほしかった」
密やかに覗き見ているディアーナと目が合い、ニコールは疲れた顔で微笑む。
「ずっと居座って申し訳ない。すぐに帰り支度をするよ」
「……あ、う、うん。私にできることはしておくから」
何を言っていいかも分からない。言わない方が良いとさえ思った。魔道具の布袋をアダムスカの手に握らせて、ディアーナは「これで、連れて帰れるから」と言って、すぐに部屋を出て行く。
「(アダムの遺体を保護してくれたのか。帰るときに礼を言わないと)」
一瞬は恨む気持ちもあった。だがアダムならそうしただろうか、とニコールは考えて、胸の中に湧いた黒い気持ちは霧散する。
「背負うよ、アダム。……よい、しょっと。君ってこんなに軽かったんだね」
魔塔を降りるのは辛くない。きっと今なら上ることだって平気だ。ニコールは、淡々と考えながらアダムスカを背負って歩く。誰の声も聞こえない。風も口を閉ざして、海は黙祷する。帰りを待っていた船に乗り込んだときの、船が揺れた瞬間だけが記憶に残っている。来るときは二人で、帰りは独りになった。
見送ったジョナサンとディアーナはとても手を振って見送れず、ニコールも振り返りはしたが、期待はしていなかった。ただ、二人がいることが、羨ましかった。彼らはきっとこれからも変わらない関係なのだろう、と。
寄り添い合い、生きていく姿は美しい。手が届かないほどに。
「────さようなら、私の」
選ぶべき道は全て選んできた。正しいと信じて突き進んできた。自分に向けられる温かい笑顔も、優しい言葉も、穏やかな時間も、今は全てが嘘のようだった。手の中にあった何よりも大切なものは、こぼれてしまった。
────もう何も見えず、何も聞こえなかった。




