EP.25『潮時』
大人しくしている事が正しいのか。必死に戦う後輩たちを捨て置いて、自分だけ保身のために邸宅に居続ける。妻が無事に帰るかどうかも分からないくせに、圧力に屈する事だけは早い。……情けない、とマウリシオは自分に呆れた。
初めて親衛隊に入った頃は、もっとまじめな気持ちだった。もちろん、当時と変わらずいつかは大きな権力や富、あるいは名声を手にしたいという邪な気持ちがあったのも事実だが、騎士としての誇りは見失ってはいなかった。
いつから狂ってしまったのだろう。結婚する前からそうだった気がする。これで、よくカロールが来てくれたものだ。マウリシオは自分を恥とさえ思った。
「二人共、行け。直前に憲兵隊へ声を掛けておいたのでな、妻は既に保護されている。後は、この人形のような男を留めておけばよい」
「ですが私たちは……!」
マウリシオが、食い下がるニコールたちにやんわりと首を横に振った。
「今のお前たちではまともに戦えん。毒に冒されて消耗しきった小娘と、その心配ばかりで気がそぞろな愚か者では勝てるものも勝てんよ」
その言葉に同意したのはアイデンだった。ニヤッと笑って顎を擦りながら、うんうんと頷いている。
「お前はやはりよく気が付くものだな、マウリシオ。どうせ、私も此処が死に場所だ。そちらが戦うのであれば、最期まで付き合う事も吝かではないが……」
計画は既に破綻している。徹底的に計画を立ててきた。問題が起きれば対処もした。そのうえで全員を始末して誰が現れても言い訳を作れる自信があった。なのに予定外の事がいくつも起きた。
港町へ着いて間もなく、雇った暗殺者たちが契約の破棄を申し出た。というのも、アライナとエボニーが秘かにニコールたちの手助けに加わったからだ。ただでさえオーラ使い二名の隙を窺うはずが、親衛隊長まで出張っている挙句に犠牲まで出たとなると、暗殺ギルドも手を引くほかない。
今度は伯爵夫人に目を向けて、人質に丁度良いと狙った。其処までは良い。だが、今度はマウリシオが想定外の行動に出た事に加え、第六親衛隊の到着やエボニーについての情報が欠けすぎていたのが大きな穴だった。アイデンが唯一、まともに情報を得られなかった公女の側近であった二人については、能力どころか出自すらよく分かっていない。やられた、と感じたのは言うまでもなかった。
「陛下も、殿下も……。兄妹揃って曲者だ。タデウス殿が手をこまねいているのも頷ける。下手に動けば、こちらの首が取られるというわけだ」
アイデンはニコールたちに目を合わせ、くいっと顎で外を指す。
「行きなさい。私は少し、マウリシオと二人で話がしたい」
ニコールがアダムスカに目配せする。マウリシオなら大丈夫だろう、と倉庫の外へ出た。マウリシオがそれを見送ってから剣を鞘に収め、ひと息吐く。
「……同期とはいえ、こうも道が違うとはな。残念だ、アイデン」
「親衛隊に入った頃からお互いに会話すらろくにしなかっただろう?」
アイデンは倉庫の外へ目を向けて、くすっと笑う。
「あの頃から、俺は国を変えたいと思っていた。かつての皇帝が願っていた世界平和など、下らない夢物語だと何度も感じて、どう変えるべきかに悩んだ」
「だから魔物を操る実験に手を出したと言っているのか?」
静かに、ゆっくりとアイデンは頷いた。
「必要な犠牲だったと思っている。それは変わらない。たとえどれだけ力の差を見せられようと、説き伏せられようと。技術とはそうして進歩していく。誰かのたゆまぬ努力と数えきれない犠牲がなければ、今の皇国はないだろう」
今でも考えは同じだ。皇国を本気で憂うのであれば、得るべき力というものがある。そのために、たった数百人が死ぬ事は仕方がない。数十万人の人間が、これから先を生きていくのに必要な事だ。アイデンはまっすぐにそう想う。
「なぜ、そうまでして実験を進めるのだ。犠牲の必要ない、他の手段を探そうと何故思わない。皇族が憎いから、こんな事をしているのか。それとも権力か?」
両方とも違う、とアイデンは呆れたように笑ってかぶりを振った。
「南部の共和国が戦争の準備を進めている話は聞いているだろう。我々の派閥は魔物を操る技術を以て先制攻撃を仕掛けるつもりだった。この数年間、秘密裏に公女殿下が赴き、なんとか事態の進展は止めておられたが……限界がきた」
公女の帰還。人々にとっては良い報せだ。しかし、皇室内部は逆の空気を漂わせた。交渉は終わったのだ。思わしくない結果で。
「我々の技術があれば勝利は確実だというのに、皇帝は未だそれを許そうとはしない。なんとも呆れた話だ。国を想うならば手段など選ぶときではない。それをたかが騎士団の小娘如きのために邪魔はされるべきではなかった」
サーベルを自分の首にあてがう。皮膚が裂けて血が垂れ、真っ白な第五親衛隊の制服の襟が紅く滲む。アイデンはふふっ、と残念そうに笑った。
「……だが希望はゼロではない」
ふと、脳裏にニコールとアダムスカの姿が甦る。言葉を交え、剣を交え、いつの間にか荒野のように何もない感情を乱す、愚直でありながら、いつの間にか根を張る真っすぐな騎士たち。羨ましい、とさえ思うほどに眩しい二人。
「戦争を躱したいなら、あの二人にも伝えておけ。それと、もっと精神と技術を磨けと。では先に失礼する。お前たちの未来に幸あらん事を」
────首にあてがったサーベルを、躊躇なく両手で引いた。




